田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

三浦英之 著『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』より。十年一昔ではない。断じて違う。

「彼らはいつもハキハキとしていて、一生懸命農作業に取り組んでくれた」
 古民家を舞台にアイドル自らが田植えや炭焼きを体験し、自給自足の生活を送る。そんな農作業の風景が高齢者には懐かしく、都会の若者の目には新鮮に映った。
 TOKIOは「農業アイドル」として有名になり、若者の間に田舎暮らしのブームが起きた。

(三浦英之『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』集英社文庫、2022)

 

 こんばんは。DASH村の教育版のようなものがあれば、教員不足に喘ぐ地方の小学校にも都会の若者が目を向けたりすると思うのですが、どうでしょうか。人と人とが気兼ねなく交流できる地域コミュニティーが持つ温かさに支えられながら、ひとクラス10人前後の小学生と一緒に学び、一緒に遊ぶ。控え目に言って最高です。

 

 根拠、私。

 

 

 本当に温かいんです。都会を離れ、福島県浪江町と同じ東北地方の小さな町で教員生活をスタートした私としては、帰れない村の元住民が言うところの《それは決してお金では買えないものでした》という気付きに首がもげるほど頷きたくなります。決してお金では買えないものだったのに、あの原発事故に、その温かさを奪われてしまった。国の担当者が「このまま何もしなければ、100年は帰れない」と口にするくらい、つまり当事者にとっては「永遠に」と言ってもいいくらいの時間スケールで奪われてしまった。十年一昔なんて言っていられません。あの震災を忘れようものなら、今なお避難している人たちがいることを忘れようものなら、控え目に言って最悪です。

 

 根拠、本。

 

 

 三浦英之さんの『帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年』を読みました。DASH村というのはもちろん、アイドルグループ「TOKIO」によって一躍有名になったロケ地のことです。そのロケ地が福島県の浪江町にある旧津島村だったということは、当時、公にはされていなかったとのこと。大っぴらにするとファンが押し寄せてきてしまいますからね。しかし今では、押し寄せようにも入ることすらできません。2011年の原発事故によって、DASH村を含む旧津島村は、帰還困難地域になってしまったからです。だから、

 

 帰れない村。

 

「復興のシンボルとして使ってくれるなら、あの土地を無償提供したいと思っているんだ」
 旧津島村の元浪江町議・三瓶宝次(84)はポツリと言った。

 

 相手が三浦さんだから、ポツリと本音を言うのでしょう。三浦さんは、そういった関係性を築く力に長けています。『帰れない村』はもちろんのこと、『南三陸日記』や『災害特派員』などの著書を読んだときにもそう思いました。子どもたちの本音を引き出すという意味で、私たち教員にも必要な力といえます。そんな羨ましい力をもった三浦さんが、旧津島村に住んでいた人々の本音を引き出し、それらに写真を添えて出版したのが『帰れない村』です。名著『白い土地  ルポ  福島「帰還困難地区」とその周辺』の下地になった作品でもあることから、TOKIOのファン以外にも、

 

 ぜひ読んでほしい。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 教員にも読んでほしい。

 

 いつからか、カメラと一緒に震災前の津島を写した写真も持ち歩くようになった。かつて教え子たちが里帰りした際に一緒に見返して笑えるようにと撮影した、地元の祭りや農作業の光景や文化祭に集う教え子たちの写真の数々。出会えた人に「昔はこんなに美しい場所だったのよ」と説明するために。それらは靖子にとって人生の「宝」だ。

 

『帰れない村』に収録されている「人生」は全部で34。そのトリを飾っているのが、元教師・馬場靖子(79)さんの「人生」を描いた「先生のカメラ」です。私たち教員の仕事は、未来をつくること。だから、最後に相応しい。三浦さんもきっとそう思ったのではないでしょうか。津島小や浪江小に計20年間勤めていたという馬場さんは、こう言います。

 

 毎日が宝石のような日々だった、と。

 

 そんなふうに思える場所で働くことができたとしたら、それはもう、教師冥利に尽きると言っていいでしょう。やがてその「宝石」はポラリスに(!)という話はちょうど1年前のブログに書きました。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 馬場さんはきっと、今なお、カメラを抱えて旧津島村を駆け回っているはずです。20年間とまではいかないものの、人と人とが気兼ねなく交流できる地域コミュニティーに支えられた小学校で、馬場さんと同じように「宝石のような毎日」を送ったことがある同業者として、そう思います。「先生のカメラ」のラスト、馬場さんは三浦さんに《どうか、この記事に書いていただけませんか》と言って、かつての教え子に向けたメッセージを託します。さて、三浦さんは、どんな言伝を預かったのでしょうか。

 

 答えは本の中に。

 

 おやすみなさい。

 

 

災害特派員

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