田舎教師ときどき都会教師

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宮台真司 著『宮台教授の就活原論』より。経済よりも社会、仕事よりも家族。

 グローバル化が進み、消費性向が高まりつつあるにもかかわらず生産人口が減りつつある日本では、夫の稼ぎで妻の食い扶持を支えることはできません。金持ち以外は夫婦で働くしかなく、従って長時間労働は家族と地域の空洞化につながります。
 空洞化は、英国の四倍に及ぶ先進国一の高自殺率や、ひとり寂しく死んで誰も見つけてくれない孤独死や、誰も遺骨や遺品を取りに来ない無縁死や、超高齢者所在不明問題や乳幼児虐待放置問題や、75位よりも上に来たことのない幸福度として、表われています。
「ワークライフバランスは重要だが、日本ではまだ時期尚早だ」と言う向きもありますが、時期尚早どころか、手遅れなのです。労働時間を減らした分、家族や地域などでの社会活動に時間を使わない限り、共同体の空洞化を手当てする方法は全くありません。
(宮台真司『宮台教授の就活言論』太田出版、2011)

 

 こんにちは。ようやく身体の疲れと眠気がとれてきたような気がします。土曜日と日曜日に仕事(持ち帰り仕事)をしなかったのは久し振りです。先週、先々週と、土曜授業を挟んでの2週間があまりにもハードで、共同体の空洞化を手当てする前にメンタルの手当てをしないと「手遅れ」になりそうな状態でした。よく寝た。とはいえ、こうやって共同体の空洞化が進むのだろうなぁ。そういえば先週は人身事故で電車がとまっていたことがありました。その人はきっと「手遅れ」で、もしかしたら《人生を空洞化させるような仕事の仕方》をしていたのかもしれません。かわいそうに。

 

 〈社会を空洞化させるような企業行動〉の容認と、〈人生を空洞化させるような仕事の仕方〉は表裏一体です。

 

 法令違反の可能性も指摘されている振替えなき土曜授業とか、給特法に基づく定額働かせ放題とか、そういったことを容認していると、回り回って、子どもたちが大人になったときに〈人生を空洞化させるような仕事の仕方〉をしてしまう可能性が大きくなります。ワークライフバランスはますます遠のき、次世代を家族形成や地域貢献へと向かわせる動機付けはますますうまくいかなくなっていくように思います。

 

 だから《時期尚早どころか、手遅れ》。

 

 今朝のニュースに「内閣府は20日、少子化対策の一環として、新婚世帯の家賃や敷金・礼金、引っ越し代など新生活にかかる費用について、来年度から60万円を上限に補助する方針を固めた。~中略~。経済的理由で結婚を諦めることがないよう後押しする狙い」(共同通信社)とありましたが、お門違い。結婚を諦めているのは経済的理由ではありません。長時間労働に代表されるような、社会的理由に因るものです。

 

 経済よりも社会、仕事よりも家族。

 

 その社会と家族が「一貫して強者に優しく弱者に冷たい社会保障改革」によってさらにボロボロになったという話が先日のマル激(インターネットのニュース番組)で交わされていました。ゲストの大沢真理さん(東大名誉教授)曰く「安倍政権は給付抑制と負担増が徹底して行われた7年8カ月だった。特に低所得層に対する負担増が顕著だった」云々。嗚呼。

 

www.videonews.com

 

 経済よりも社会、仕事よりも家族。学級が成り立っていれば授業を進められるけど、学級崩壊していたら授業はできないよねという話です。授業よりも学級。それぞれ両輪とはいえ、ベースは社会であり家族であり学級です。

 社会や家族の健全性を診るための指標としては、例えばマル激で紹介されていた次のような数値が参考になります。

 

 〇 未婚率(50歳時)
    男性 20.14%(2010)→ 23.37%(2015)
    女性 10.61%(2010)→ 14.06%(2015)

 〇 介護離職
    10万1000人(2012)→ 9万9000人(2017)

 〇 男女平等指数
    80位(2006)→ 101位(2012)→ 121位(2019)

 

 教室にいる男の子の4人に1人は家族をつくることができない。教室にいる女の子は大人になると男の子と平等に扱ってもらえない。嗚呼。前政権下で「女性活躍」「一億総活躍」「全世代型社会保障」と選挙のたびに次々と掲げられていた方針はどうなってしまったのでしょうか。掲げるだけ掲げておいて、その成果の検証はザルだなんて、まるで学校における研究主題みたいじゃないですか。

 

宮台教授の就活原論

宮台教授の就活原論

  • 作者:宮台真司
  • 発売日: 2011/09/17
  • メディア: 単行本
 

 

 宮台真司さんの『宮台教授の就活原論』を再読しました。ツイートの3行目で知られるブロガーのインクさんが就職活動(求職活動)をしているということを耳にし、就活かぁ、就活といえばあの本だなぁ、と思い出したのが再読のきっかけです。2008年まで都立大の就職支援委員会委員長を務めていたという、宮台さんの就活本。宮台さんの他のどの本を読み返しても思うことですが、全く古びれないところが、神。古びれないどころか、預言書みたいになっている。

 

taishiowawa.hatenablog.com

 

 各章のタイトルがそのまま就活生へのメッセージになっています。第2章、第3章、第4章なんて、まさにそうだなぁと思います。自己実現幻想しかり、適職幻想しかり。勘違いしてはいけない。

 

 第1章  なによりも“適応力”が求められている
 第2章  仕事は自己実現の最良の方法ではない
 第3章  自己実現より“ホームベース”を作れ
 第4章  自分にぴったりの仕事なんてない
 第5章 CMと就職情報サイトに踊らされない仕事選び
 第6章  就職できる人間になる“脱ヘタレ”の心得
 第7章  社会がヘタレを生んでいる
 第8章  すぐには役立たない就活マニュアル

 

 第1章は、ルキノ・ヴィスコンティいうところの「変わらないためには、変わり続けなければならない」という「適応力」の話。宮台さん曰く《企業も企業文化も、企業存続のために変わるかもしれない。だから「適応」ではなく「適応力」を求めざるを得ない》云々。適応しすぎると適応力が落ちますからね。教員でいうと、ずっと同じ学校、ずっと同じ自治体にいてはダメだという話です。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 第2章~第4章が、私的にはこの本の肝。自己実現だなんだと言って承認欲求を満たすために夜遅くまで職員室に残っていたら、家族形成も地域貢献もできなくなって、帰還場所も出撃基地も失うことになりますよ、そういうヘタレが増えたから世の中が荒野になっちゃったんですよ、というようなことが書かれています。自己実現も幻想、適職があるというのも幻想。常に最終目的、昔の宮台さんだったら《「好きな本を読み、好きな映画を観て、思うところを表現する」生活》を手に入れること、を思い出せ、とのこと。

 

 いずれにせよ、諸悪の根源は長時間労働。

 

 今の日本は、地域であれ家族であれ、共同体が空洞化しています。共同体の空洞化を解決するには、何よりも就業時間を短くすることです。子育てにせよ、介護にせよ、ボランティア活動にせよ、NPO活動にせよ、就業時間が長すぎれば十分にはできません。

 

 同じようなことを『残業学』の中原淳さんも書いています。多くの識者が長時間労働は日本社会をまともにするための一丁目一番地の課題だと認識しているのに、9月19日のニュースの見出しに「文科省職員100人超、副大臣らを深夜出迎え『非常識』」(朝日新聞デジタル)なんて出ていて、ほんとウンザリします。拍手での出迎え。「誰か何とか言ってやれよ」問題。河野行政改革相が「ヤメレ。」って言ってくれましたが。それこそ拍手。

 

 全部ヤメレ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 第5章~第8章の中で、教員目線で興味をもったのは、以下の記述。これも長時間労働と同じで、時間の使い方(=生き方)に関する話です。

 

自意識の問題は泥沼になるのでスルーして、ここでは「後から取り返せることに時間を使ってしまった子は、その機会費用の分、遊びで得られる経験をしていない」がゆえに「経験値が低いショボイ奴になりやすい」という傾きにだけ、注目しておいてほしいと思います。

 

 遊びを含め、経験値って大事ですよね。かつてゲストティーチャーに呼んだ大人が子どもたちに「経験値を稼げ」って語っていましたが、そういった話です。エマニュエル・トッドが言うところの「学業と知性の分断」とも関係しています。6時間目まで学校にいて、しかもコロナ禍のためにグループワーク(友達とトゥギャザーすること)ができなくて、さらに土曜授業もあって、家に帰ったら塾通いで、それでいて「もっと宿題を出してください」なんて言ってくる保護者もいたりして、そんな保護者には「宮台真司さんの『就活原論』を読んでください」と言いたい。

 

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 自助>公助。

 

 新政権はそう考えているようですが、一昨日(9月19日)のマル激の中で、宮台さんが「フィンランドは日本の班活動を手本にして公助の力をつける方向で学校も社会をよくしていったのに、日本の学校は班活動をやめて能力別クラス編成のような自助の力をつける方向にシフトしてダメになっていった」というようなことを話しています。同じことがこの『就活原論』にも書かれています。

 

PISAやTIMSSなどの国際学力比較調査で、日本の順位がどんどん下がったのは、直接にはこのシフトのせいです。
 詳しく言うと、グループワークを重視する国々では中位値(順位がちょうど真ん中)よりも下半分の成績が良くなるのに対し、グループワークを軽視して能力別編成する国々は、下半分の成績がどんどん下がるのに、上半分の成績がさして変わらないからです。

 

 子どもたちの下半分の成績を、大人でいうと低所得層を引き上げないと、経済を含め社会はまともにならないということがOECDの調査で明らかになっているそうです。だから学校は公助の力をつけるために『学び合い』(西川純さん)路線にシフトし、さらには午前授業にして午後は下半分の成績の子どもたちのために時間を使う。大人は長時間労働をやめて共同体の空洞化を手当てし、低所得層を包摂できるような地域社会をつくっていく。

 

 そうなったらいいなぁ。

 

 明日は祝日出勤です。