田舎教師ときどき都会教師

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ヤマザキマリ、中野信子 著『パンデミックの文明論』より。小さな物語をどれだけ確保できるか。

中野 そう、若者のパーティにお年寄りが来たりするし、公園で一緒にチェスに興じたり。それにひきかえ、日本では「シルバー民主主義」みたいなことが言われて、選挙に必ず行く高齢者のほうが強い発言力を持っているようでいて、街中では若者と交ざり合うことなく、お年寄りクラスターで固まっちゃう。老若男女が同じ地域に住んでいても、活動の時間帯が違えば興味の対象もまったく違う。何層にも分かれた東京があって、異なるレイヤーにそれぞれが分かれて暮らしているんですね。
ヤマザキ 確かに交じり合っていない。
ヤマザキマリ、中野信子 著『パンデミックの文明論』(文春新書、2020)

 

 こんばんは。昨夜、同じ学校の異動1年目の先生に誘われて、初任の先生と3人でご飯を食べに行きました。そのうち誰にも声をかけてもらえなくなるから行ってくれば、とパートナー。パパ、もしかして夜いないの(?)と不意の女子会の到来に目を輝かせる思春期の長女と次女。老若男女がひとつ屋根の下に住んでいても、忙しさ故、異なるレイヤーに分かれて暮らしているのではないかと思うことが多々あるのと同様に、老若男女が同じ学校で働いていても、忙しさ故、異なるレイヤーに分かれて働いているのではないかと思うことが多々あります。20代の初任者(♀)、異動1年目の30代ママ先生、そしてアラフォーの私。

 

 確かに交じり合っていない。

 

 定時退勤&教室仕事がモットー故、人間関係を含む学校の内部事情に疎い私にとっては、彼女たちの学校観がとっても新鮮で、愉しい夜の3時間となりました。ちなみに異動1年目と初任は「病みやすい」と言われています。異動は最大の研修という言葉もあるし、初任は言わずもがなだし、統計的にも確かな事実。4月のスタートから半年が経過しようとしている今、そのカテゴリーに属する二人が口を揃えて「この学校でよかった」と言うのだから、勤務校の校長は Good Job なのではないでしょうか。素晴らしき学校経営。《民主主義の健全性というのは、大きな物語に対して小さな物語をどれだけ確保できるかにあると思うんです》とは、脳科学者の中野信子さんの言葉です。学校の健全性も、研究発表のような大きな打ち上げ花火ではなく、そこで働く先生たちの小さな花火をどれだけ大切にしているかにあるように思います。

 

 

 愉しかった夜を延長すべく、昨夜、帰宅後にヤマザキマリさんと中野信子さんのオンラインでの対談を収めた『パンデミックの文明論』を読みました。前回のブログで紹介したヤマザキさんの『たちどまって考える』とセットで読むと理解が深まります。理解というのは、『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家のヤマザキさんがどのようにこのパンデミックを受け止めたのかという理解です。

 

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 対談相手の中野さん曰く《それで、歴史という縦軸と、日本とヨーロッパという地域の横軸を掛け合わせて感染症を語ってみたら、文明史的な観点から現在という時を俯瞰する面白い議論ができ、きっと多くの人の思考に役に立ててもらえる本ができるだろうなと思ったんです》云々。ヤマザキさんはイタリアや古代ローマ、中野さんはフランスについての造詣が深く、そういったことに疎い私にとっては、彼女たちの文明論がとっても新鮮で、愉しい深夜の2時間となりました。章立ては以下の通り。

 

 第1章 コロナでわかった世界各国「パンツの色」
 第2章 パンデミックが変えた人類の歴史
 第3章 古代ローマの女性と日本の女性
 第4章 「新しい日常」への高いハードル
 第5章 私たちのルネッサンス計画

 

 第1章は、世界各国のコロナ対応の話です。パンツの色というのは、民主主義の色と言い換えることができるでしょうか。コロナへの対応の仕方が世界各国の民主主義の度合いをはかるリトマス紙になっているというわけです。もちろん、民主主義の土台となる教育の色も含まれます。中野さん曰く《一度お聞きして確認してみたかったんですけど、日本で「みんなと同じようにしなさい」と教えられるのと対照的に、イタリアなどヨーロッパの学校では、「みんなと同じことをしたらバカですよ」と教えられるのではないですか?》云々。この本では触れられていませんが、個人的には以下のブログで言及したスウェーデンのパンツの色が、異彩を放っていて、よい。教育には、パンツの色を変える力があります。

 

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ヤマザキ コロナ対策の違いはいろんなところに表われましたね。平時には隠れていた世界各国の「本性」が明らかになった気がする。下世話な表現を使うと、コロナが「お前はどんなパンツをはいているのか、脱いで見せてみろ」とそれぞれの国に迫ったような感があった。
中野 ハハハ、確かに。各国の対応は驚くほど分かれて、普段はマッチョなことを言って格好つけてるけど、実は穴の空いたパンツをはいていたことが分かった。というような国や指導者もありました、どことは言いませんけど。民主主義って、やっぱり指導者を選ぶ側それぞれに、考える力がないと、あっという間にポピュリズムになるんですよね。

 

 ポピュリズム、それに続くファシズムというのが、第一次世界大戦の最中に起きたスペイン風邪に続くムッソリーニやヒトラーの台頭という「パンデミックが変えた人類の歴史」のひとつ。もうひとつが14世紀のヨーロッパを中心に猛威を振るったペストのパンデミックに続く、封建社会の崩壊及び文芸復興です。ヤマザキさんは第2章で次のように述べています。

 

死者の数もさることながら、パンデミックのあとに農奴たちの猛反乱が起きて、仕方なく領主たちは農奴を解放するようになり、なんとか人間扱いされるようになった。

 
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 コロナ禍を転じて福となす。今後、過労死寸前の教員たちも、なんとか人間扱いされるようになるのでしょうか。そんな希望を抱かせてくれる第2章に続く第3章には、女性は今も昔もしたたかで逞しい、というような話が交わされています。ヤマザキさんが言うには、そのことがわかっていたからこそ、古代ローマにおいては《「こいつらを野放しにしておいたら、社会は大変なことになってしまう」というので、女性を卑しめたり、家庭に縛りつけるような社会の動向を築いていったんじゃないでしょうかね》とあります。特にイタリアの母親については《子どもを産めば無敵のマンマと化してしまう》とあって、50歳や60歳を過ぎても、イタリアの男性は1日に2回も3回もマンマに電話し、さらに週に一度や二度は会いに行くとのこと。本当でしょうか。本当だとしたら、

 

 そりゃ、コロナの感染が拡がるわけだ。

 

 冒頭の引用は第4章からとったもので、イタリアやフランスでは老若男女が常日頃から交じり合っていて、そのために「距離」を求める新しい日常(ニューノーマル)へのハードルが高いということが話題となっています。逆に姥捨山のような風習があった日本では、家族がベタベタしていないから、そのハードルが低い。だからコロナの感染が拡がらない。そういった話です。さて、どちらがしあわせな社会でしょうか。

 

ヤマザキ ただでさえ人生という大仕事を経て体が不自由になり、一番人に助けてもらわなければならない頃に、施設に閉じこめるなんてとても酷でできない、と言いますね。しかし、そんな彼らの厚い人情が、今回まるで裏目に出てしまいましたね。孫たちが街や学校でウイルスをもらって帰ってきて「おばあちゃん、ただいま」ってハグし、頬にキスをして、その孫は無症状のままなのにおばあちゃんはコロナに感染して重症化、なんてケースが頻発したはずです。
中野 イタリア人の暮らしは、”密”なんですね。

 

 満員電車と小学校の教室は、おそらくイタリア人の暮らし以上に密です。労働時間が世界最長で、都市部では通勤時間も長く、ファミリーよりも赤の他人と密でいる時間の方が長い日本って、いったい。

 

 そんな日本が変わるためには?

 

 第5章「私たちのルネッサンス計画」には、職階制から実力主義へのシフトなど、日本が変わるためのヒントが書かれています。しかし、パンデミックという外圧をもってしても日本が変わるのは難しいようで、中野さん曰く《日本はこのままだらだらとコロナと付き合う感じになりそうです》云々。ヤマザキさん曰く《ルネッサンスは、メディチ家に代表されるパトロンの力が大いに貢献しました。ああいう、経済面と文化面を掛け合わせた実力者を育んでこなかった日本の環境では、決してルネッサンスは生まれないでしょう》云々。二人の計画は《ダ・ヴィンチにならって未完成も良しとしますか》と結ばれています。最初の話につなげると、大きな物語はこれからもずっと未完成ということ。だからこそ、

 

 小さな物語を大切に。