田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

宮台真司、藤井聡 著『神なき時代の日本蘇生プラン』より。君たちが頓馬であれば、クラスは出鱈目に機能するよ。

 キャンプファイヤーをやったことのある人はわかるけど、大切なのは歌や踊りじゃない。火を囲んで座っているだけで、いつもなら話さないことを友人どころか知らない人にまで話してしまうマジックです。パチパチという木の爆ぜる音を一緒に聞いているだけでも「同じ世界」で「一つになる」。学校ではほとんど話さなかった子とキャンプファイヤーで初めてじっくり話せた記憶がある人も多いはずです。その体験が失われたことは大きい。
 火は「同じ世界」で「一つになる」貴重な共通体験を与えます。共通前提がないと本音で話せない日本人にとって、火の共通体験は強力なアイスブレイキング機能(初対面の緊張をほぐす機能)を果たします。キャンプで一緒に料理し、火や食について先史に遡り、地球全体に想像力を拡げて語り合えば、それが子供たちを「社会への閉ざされ」の外に解放します。
(宮台真司、藤井聡『神なき時代の日本蘇生プラン』ビジネス社、2022)

 

 こんばんは。火の力を借りるか、食の力を借りるか、あるいは場の力を借りるか。いずれにせよ、いつもなら話さないことを話せてしまうマジックを子どもたちに体験させることは、私たち大人ができる最も大切な教えのひとつかもしれません。マジックの存在を知っていれば、あるいは社会学者の宮台真司さんがよく口にする「言外・法外・損得外の豊かさ」を知っていれば、そしてそれらにアクセスする方法を知っていれば、これまた宮台さんがよく口にする「沈みかけた船の座席争い」に巻き込まれることなく神なき時代を生き抜くことができるかもしれないからです。もっとダイレクトにいえば、

 

 クズにならずに済む。

 

酒の力を借りる

 

 昨日、東京で働いている友人と久しぶりに会って、飲んだり食べたり喋ったりしてきました。共通前提のある旧い友人とのサシ飲みは、平日のノンストップ労働で凝り固まった思考を「社会への閉ざされ」の外に解放してくれます。

 

 

 私たちが提供しているようなケアを、私たち自身が高齢者になったときには絶対に受けることができない。これからやってくる「長い冬」を前に、友人はそう話していました。人も金も間違いなく足りなくなるということです。もしかしたら社会福祉士も教員と同じように休憩ゼロになるかもしれません。

 宮台さん曰く《日本は25年間実質賃金が下がり続けたOECD唯一の国だ。平均賃金は2015年に韓国に抜かれ、2018年には一人当たりのGDPが抜かれ、今は最低賃金が並ぶ。既に先進国ではない》云々。そんな日本に必要なのは「神なき時代の蘇生プラン」です。もっとダイレクトにいえば、

 

「クズになってしまわない」ための処方箋。

 

 

 宮台真司さんと藤井聡さんの『神なき時代の日本蘇生プラン』を読みました。副題は「『クズになってしまわない』ための処方箋」です。藤井さん曰く《この本のテーマは「クズ化、あるいは日本の劣化を食い止める処方箋を、社会学的・社会工学的に議論する」というもの》とのこと。社会学の専門家であると同時に「数字を見る文系人間」である宮台さんと、社会工学の専門家であると同時に「人心が分かる理系人間」である藤井さんが、小学校でいうところの「教科横断的」に語り合った一冊です。

 

 第1章 「若者の未来」は守れるのか
 第2章 クズ化を防ぐ共同体
 第3章 荒野を生んだ都市工学
 第4章「天皇」を参照せよ
 第5章 神なき時代のメタバース

 

 以上が目次で、第1章から第5章までの流れを各章のタイトルに合わせて「ざっくり」説明すると、以下。

 

 若者の未来は守れない。ただし局所的には守れるかもしれない。鍵となるのはクズ化を防ぐ共同体。具体的には「共同体が個人を支え、その個人が共同体を支える」という絵を描けた地域のみが「守れる」に近づいていく。クラスづくりのセオリーでいえば「私がクラスをつくり、クラスが私をつくる」ということ。私というのはもちろん子どもたち一人ひとりを指していて、宮台さん曰く《だから子供たちには、「君たちが頓馬であれば、民主主義は出鱈目に機能するよ」「君たちが頓馬であれば、資本主義は出鱈目に機能するよ」と告げる必要があります》云々。君たちが頓馬であれば、クラスは出鱈目に機能するよ。街づくりもそこに住む人々のことを考えないと荒野になるよ。実例は今の日本。ちなみに三島由紀夫が見抜いていたように日本人は「からっぽ」なのだから、まともな共同体をつくるべく、そして価値の空洞を埋めるべく、天皇を参照せよ。それができなければクズになってしまってメタバースの世界に取り込まれてしまうよというのが第1章から第5章までの「ざっくり」です。

 

 鍵となるのは、共同体。

 

 そしてそのうえで必要なのが三つ目で、「活物同期」。自分の「外部」にある生命的循環、あるいは、解釈学的循環、つまり「活物」に自らの精神を「同期」させることで精神の循環を図る。それこそバッタを捕まえる、炎のゆらぎを見る、本当に気の合う人友人と酒を飲みながら語り合う、本を読む、映画を楽しむ・・・・・・こうしたことは、いわゆる「解釈学的循環」ないしは「生命学的循環」と呼ぶことができるものと思いますが、こうした循環を旺盛に回していくことが「生きる」ことだと定義できる。

 

 第2章より。クズになってしまわないために、藤井さんは「運命焦点化」「独立確保」そして「活物同期」の3つの処方箋を出します。運命を受け入れること、独立を確保すること、そして外とつながること。藤井さんの「活物同期」は、宮台さんの「焚き火の効用」(冒頭の引用)と同じでしょう。どちらも「外部」を、すなわち「社会への閉ざされ」の外に解放されることの重要性を指摘しています。閉ざされの外に解放されることによって、

 

 周りにいる人間は仲間なんだ(!)と思える。

 

 小学校でいちばん大切なことはクラスづくりです。そして周りにいる人間は仲間なんだ(!)と思えることです。この仲間意識が「クズ化を防ぐ共同体」をつくる上で必要不可欠なものになります。だから初等教育って、大事。共同体への感度こそが「神なき時代の日本蘇生プラン」のベースとなるからです。私はそう読みました。そして勝手に明後日からもがんばろうという気持ちになりました。

 

 その他のことについては。

 

 買って、読みましょう。