田舎教師ときどき都会教師

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宮台真司、藤井誠二、内藤朝雄 著『学校が自由になる日』より。佐藤学さんの「学びの共同体」と、学校の新しい生活様式と。

藤井 先ほどの話にも出てきたんですが、「学びの共同体」ということを提唱しているのは教育学者の佐藤学さんです。これまで話し合われてきた共同体主義者の旗頭のような人だと思いますが、リベラリズムを論じていく上では、彼の主張は無視できないと思います。というのは、佐藤学さんの主張を支持している人たちというのは、教育界では多数派を形成しているからです。
宮台 藤井さんは、佐藤学さんのどこにひっかかるわけですか。
藤井 佐藤学さんには、基本的に学校への盲信があると思うんです。信頼に足る学校というのが前提としてあって、それに帰属するのが子どもの幸せであるという、確固とした信念をもっています。その中で、子どもも先生も一緒に学び合っていくというユートピアを描いているんです。
(宮台真司、藤井誠二、内藤朝雄『学校が自由になる日』雲母書房、2002)

 

 おはようございます。学校の再開に向けて、昨日、文部科学省のHPに「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル ~『学校の新しい生活様式』~」がアップされました。

 マニュアルでは、政府の専門家会議の提言を踏まえ、地域の感染の状況に応じて、最も低い「レベル1」から「特定警戒都道府県」にあたる「レベル3」までの3段階に分けて対応を示しています。

 レベル3の場合には、合唱や子どもが密集する運動などの感染リスクの高い授業は行わないとのこと。そしてたとえレベル1であっても、子どもたちの身体的距離は1メートルを目安に最大限離すよう求められています。

 参考として示されている、レベル1地域での教室の座席配置はこんな感じです。学校の新しい生活様式とありますが、これが「新しい」とはとても思えません。どこかの博物館から引っ張り出してきた「図」でしょうか。

 

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マニュアルに例示された教室のイメージ(https://www.mext.go.jp/content/20200522_mxt_kouhou02_mext_00029_01.pdf

 

 過去20年間、世界の学校と教室の風景は著しい変貌を遂げてきました。欧米諸国の学校を訪問しますと、黒板と教卓があって机と椅子が一方向に並べられ、教師が教科書を中心に説明し生徒がノートをとるという授業風景は、もはや博物館に入っています。教室は20名前後の生徒が四、五人ずつテーブルに座って特定のテーマを中心に創造的、探究的に協同学習を行う場所へと様変わりしています。多くの資料が活用されて教科書は補助資料の一つになり、教師は学びのデザイナーとファシリテーター(促進者)の役割を果たしています。知識や学びの「量」から「質」への転換がはかられ、所定の知識や技能を効率的に修得する学びから、創造的な思考とコミュニケーションによって質の高い本質的な内容を探究し表現し共有する学びへと変化しています。  

 

 佐藤学さんの『教育の方法』(左右社、2010)からの引用です。こういうのを「新しい」というのではないでしょうか。感染症対策で「学校の新しい生活様式」を考えるのであれば、教室の中にPCの設置場所が図示されていたり、1クラスの想定人数を40人ではなく20人にするなどの変化があって然るべきです。だいたい教室の横一列に8席も並べられませんけど、机と椅子。新しいどころか妄想です。冒頭の引用に《盲信》とありますが、妄想も盲信も勘弁してほしい。現場からは以上です。

 

学校が自由になる日

学校が自由になる日

 

 

 宮台真司さん、藤井誠二さん、内藤朝雄さんの『学校が自由になる日』を再読しました。この本のおもしろいところは、ずばり、宮台さんと藤井さんと内藤さんが、佐藤学さんの「学びの共同体」を批判しているところです。舌鋒鋭く、完膚なきまでに、宮台さんなんて特に。私は教員になってから佐藤学さんの支持者になりました。でも、それ以前から宮台真司さんのファンです。だからこの引き裂かれる感じが勉強になって、よい。

 初任のときの最初の校内研修が、「学びの共同体」のパイロット・スクールとして知られる茅ヶ崎市立浜之郷小学校の授業を映像で観るというものでした。教頭先生が佐藤学さんを支持していて、実際に行って撮ってきたものです。延べ訪問者数日本一の浜之郷小学校。その1年後には私も新幹線を乗り継いで観に行くことになります。冒頭の引用にもあるように、佐藤学さんを支持している人たち、昔の教育界には多かったんですよね。

 

 学びの共同体って何?

 

kyoiku.sho.jp

 

「学びの共同体」の改革は35年前に始めました。現在では全世界で17か国が挑戦しています。学びの共同体の特徴は、21世紀型の対話的・探求的学びを初めから提示し、それにふさわしい学校づくりをしてきたことです。その中でもベースとなるのが「聴き合う関係」です。学びは対話によって成立するもので、一人では学びは成立しません。聴き合う関係をつくり、対話的なコミュニティを大切にすることで、高いレベルの学びを実現することができます。結果として、低学力の子供がいる学校でも必ず成績が伸びるのです。この「聴き合う関係」をつくるためには「場」と「環境」が必要です。例えば、机の配置をみんなの顔が見えるコの字型にしたり、3、4人のグループの配置にしたりするなどして「聴き合う場」をつくります。

 

 佐藤学さんの功績は、授業のスタイルを変えようというムーブメントの火付け役になったことだと思うんですよね。授業を変えるためには「場」と「環境」を変えなければいけません。有名なところでいうと、サークル対話や哲学対話、ホワイトボード・ミーティング、ベンチのある教室、等々。それから岩瀬直樹さんの教室リフォーム・プロジェクトなんかも「場」と「環境」を変えることによって授業の在り方を再定義した実践といえるでしょうか。私の教室も3、4人のグループを島状に配置したかたちをデフォルトにしていて、文科省が提示したような「学校の新しい生活様式」にはなっていません。インフルエンザが流行ったときにだけ「仕方なく」旧いかたちにしていました。旧いかたちに戻すと、教師が教科書を中心に説明し子どもがノートをとるという旧い授業が復活してしまいます。振り出しに戻る。それならオンラインでいい。

 

藤井 学校がなくなると地域コミュニティーまでなくなりかねない、と佐藤さんは言う。
宮台 それはそのとおりでしょう。そのくらいに、地域も家族も「学校化」されている。その認識では佐藤学とぼくは同じなんだけど、問題はそこから先です。佐藤学は、ファシズム研究の基本常識を知らないようですが、「共同体の空洞化を埋め合わせるために、代替的な共同体を一元的に提供する」というスキームこそ、ファシズムの本質なんです。

 

 20年前に出版された『学校が自由になる日』で展開されている「学びの共同体」への批判は、授業レベルのそれではありません。学校的価値を広げていけば広げていくほど、すなわち学校ががんばればがんばるほど、共依存の関係ができあがっていって、社会は荒野になっていくよという、もっとメタなレベルからの批判です。子どもも先生も一緒に学び合っていくというユートピア幻想は、学校以外の選択共同体が生まれるチャンスを摘み、ファシズム的なディストピアを生みかねない。20年後の今、実際に、ちょっとそうなっている。私も含め、先生たちがわけもわからず過労死レベルで働いているのも、ディストピアのあらわれでしょう。

 

 社会は学校よりもでっかい。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 分散登校にして40人学級を20人にする。合わせて標準時間数を減らす。カリキュラムの「量」も減らす。履修主義ではなく習得主義にする。授業は「学びの共同体」路線でOK。でも身体的距離は確保する。知識はICTで補う。学校以外のセクター(選択共同体)の誕生を願って、とにかく学校ががんばりすぎないこと。学校が自由になる日は、それくらいラディカルに変えないとやってこないように思います。無理そうだなぁ。

 

 自粛ロスに襲われています。

 

 やれやれ。

  

 

教育の方法 (放送大学叢書)

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  • 作者:佐藤 学
  • 発売日: 2010/07/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)