旅とは何か。
それは、とても深い問題である。あまりにも深く難しいため、旅は人生であるとか、試練であるとか、出会いとか、めぐり会いとか、メグ・ライアンとか、いろいろ言われているが、その真相は謎のままである。
さて、私は、名もない一介の素敵なサラリーマンに過ぎない。この本は、私が夏期休暇やゴールデンウィーク、年末年始休暇のほか、会社員として当然の権利である有給休暇を取得したり、その他当然じゃない権利もいろいろ取得したりして出掛けた旅の記録である。
(宮田珠己『旅の理不尽』筑摩書房、2010)
こんにちは。旅の記録って人柄が出ますよね。以前のブログにも書きましたが、沢木耕太郎さんのように「旅を人生になぞらえていく」記録もあるし、蔵前仁一さんのように「旅を生活になぞらえていく」記録もあります。星野道夫さんのように旅を自然になぞらえたり、教員が旅を教育になぞらえたりするのもいいかもしれません。だから「旅をメグ・ライアンになぞらえていく」記録があったって、いい。わたしと小鳥と鈴と。みんな違って、どうでもいい。
宮田珠己さんのエッセイ集『旅の理不尽 アジア悶絶編』を読みました。解説を書いている蔵前仁一さんが Twitter で「お勧め」していたのがきっかけです。
出会いとか、めぐり会いとか、メグ・ライアンとか。こういうのって、うまいなぁと思います。処女作にしてすでにこのうまさ。目次の次に書かれている「はじめに」から引用した文章なのですが、リズムのよさや語呂のよさはもちろんのこと、この本のスタンスを予告する伏線にもなっているんですよね。スタンスとはずばり、ロマンティック・コメディです。メグ・ライアンがトム・ハンクスと共演している『めぐり逢えたら』(ノーラ・エフロン監督作品)と同じです。
母親が私のために簡単な昼食を作ってくれ、せっかくだからおかわりして二杯御馳走になり、私は覚えたてのベトナム語で、カモン、とお礼を言った。カモンはありがとうの意味で、別に母親を誘ったわけではない。
今にして思えば、当たり前のことではないか。どこのもの好きが男をホテルに連れ込んで、いきなりエンジョ~イなどとコカコーラみたいなことを言うものか。しかも、ビッグなどと、明らかに嘘とわかる嘘まで。
上段はベトナムのニャチャンでメグ・ライアンしたときのひとコマです。下段はタイのバンコクで謎の女一号二号とメグ・ライアンしたときのひとコマです。宮田さんの旅は、基本的にこのようなコメディ・タッチで記録されていきます。ちなみにベトナムのニャチャンは理不尽なくらい美しいビーチで有名なところで、宮田さんがバスで到着したときの場面は《あまりの美しさに白人たちが逆上し、バスを降りるなり服のまま海にオリャオリャあ! と躍り込んでいた。さすが白人。濡れた後のことを何も考えていない》と描かれています。ここでもまたユーモアを忘れていません。さすが聖人。エンジョ~イすることなく現金5万円を抜き取られただけのことはあります。
ニャチャン、いいところです。仲よくなったおばちゃんがビーチパラソルとチェアをただで貸してくれて、理不尽なくらい甘~い飲み物を飲みながら、理不尽なくらい美しいビーチを堪能した記憶があります。しかし「ただより高いものはない」というパターンも旅にはつきもので、宮田さんはカモンとお礼を言った後に「理不尽」に巻き込まれることになります。はめていないけどはめられたバンコクでのビッグな「理不尽」に比べたら大したことはありませんが、どんな「理不尽」なのかは読んでみてからのお楽しみ。
私は腹と尻の筋肉に力を入れるため、やたら深呼吸を繰り返していた。肛門の中では不穏な暖かい動きが活発化していて、今にも決死隊が飛び出して来そうだ。ここでぶざまな姿を恵文や他の香港人たちに見られたら一生の恥。耐えなければならない。
シルクロードでメグ・ライアンしているときのひとコマです。ただより高いものはないという話と同じように、下痢と闘いながらのバス移動もバックパッカーあるあるです。経験者にしかわからない不条理レベルの理不尽。ちいちゃんもごんぎつねも真っ青です。
えっ、これではただのコメディじゃないかって(?)。ロマンティックはどこにあるのかって(?)。そうです。基本的にはコメディです。見舞われた理不尽に、ユーモアというスパイスをかけて味わうチャップリン・スタイル。それが宮田さんのよさです。
でも、理不尽な旅の、もとい『旅の理不尽』のラストを飾っている香港人の恵文さんとのエピソードはロマンティックに終わるんですよね。恋はそもそも理不尽なもの。笑顔の後に涙あり。ぜひ手にとって笑ったり泣いたりしてみてください。
トルコを舞台にした「そんなんじゃだめだ熊男」にはじまり、シルクロードを舞台にした「花畑パカパカ王子」に終わる、16本のエッセイが収録されているこの本。終わりよければ次もよし。ロマンティックな後味が、著者の別の本も読んでみたいなと思わせます。例えば蔵前仁一さんが解説に取り上げている『ウはウミウシのウ シュノーケリング偏愛旅行記』。これは次のような一文ではじまるそうです。
この本の収益の一部を、かけがえのない世界の海とそこに棲む生きものたちを、わたしが見に行くために捧げたい。
おもしろい。
6月には学校がリスタートします。コはコロナのコ。定額働かせ放題という理不尽に加えて、感染症という理不尽とも対峙しなければいけなくなりましたが、宮田さんのようにユーモアをもって毎日を過ごすことができたらいいなと思います。
エンジョ~イ。
カモン。