田舎教師ときどき都会教師

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宮台真司 著『崩壊を加速させよ』より。微熱の街と子供の領分と。もうひとつの世界へ。

 遠い昔の話だと思われがちです。でも、視線が邂逅する街、見る・見られるが輻輳する街、「森」のような「微熱の街」は、『トロピカル~』のイサーンや90年代半ばまでのバンコクや渋谷のように最近まで実在しました。「森」だった街を実際に経験した僕ら世代も今実在します。”微熱の街” が冷えて「言葉の自動機械」や「法の奴隷」が増殖したのが平成なのです。
(宮台真司『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』blueprint、2021)

 

 こんばんは。疲れが先行すると仕事帰りに珈琲ではなく甘いものが飲みたくなります。同じような感覚で、疲れが先行すると社会学者の宮台真司さんが批評するような映画、例えば上記の引用に登場する『トロピカル・マラディ』(アピチャッポン・ウィーラセタクン監督作品)のような映画ではなく、甘い映画が観たくなります。昨夜観た『ラブ・セカンド・サイト』(ヒューゴ・ジェラン監督作品)なんてまさに so sweet。

 

 ラブコメの王道です。

 

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劇場用パンフレット『ラブ・セカンド・サイト』

 

 愛を手に入れたのに他に何を望む?

 

 甘い映画だけにそんな台詞が刺さりました。日常に戻って答えるならば「まともな労働環境」でしょうか。

 

 

 教員が生きづらいのは、すなわち 「教員採用試験の倍率は過去最低」&「精神疾患を理由に退職した教員は過去最多」なんてことになっているのは、宮台さんが書いているように《社会がクソ》だからでしょう。そんなクソ社会を温存してはいけない。社会は教育よりもでっかい。社会がクソなら教育もクソ。だから「コロナ禍」を梃子に、或いは「#教師のバトン」を梃子にして、

 

 崩壊を加速させよ。

 

崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する
 

 

 宮台真司さんの『崩壊を加速させよ 「社会」が沈んで「世界」が浮上する』を読みました。前作『正義から享楽へ』に続く、4作目の「映画批評」集(2011ー2020)です。目次は、以下。

 

 まえがき 僕らが奇蹟を知るために ~「世界」を浮上させる映画たち ~
 第1章 〈森〉のような「微熱の街」はどこにいったのか
 第2章  震災後の日本が露呈させた空洞
 第3章  社会は世界を拒み、クソとなった
 特別収録 宮台真司 ✕ 黒沢清 
 特別収録 宮台真司 ✕ ダースレイダー
 あとがき

 

 副題にある「社会」とは《コミュニケーション可能なものの全体》で、他方の「世界」は《あらゆる全体》のこと。冒頭の引用でいえば、森のような微熱の街が「世界」で、草原のような平熱の街が「社会」に相当します。イメージしやすくするために宮台さんが示している図式をいくつか挙げれば、以下。

 

 社会/世界(社会の外)
 草原/森
 法/法外
 男/女
 なす/ある
 輪郭あり/輪郭なし
 規定可能/規定不能
 平熱/微熱
 フラット/凸凹
 ツアー/バックパッカー

 

 平熱/微熱、フラット/凸凹、ツアー/バックパッカーというのは私が加えたものです。クソ社会というのは左辺に偏った社会のこと。その偏りは年々ひどくなっているように見えます。偏りも行き過ぎればガラッと変わる。だからこその『崩壊を加速させよ』というタイトルなのでしょう。

 教育でいえば、学校スタンダードが左辺でしょうか。授業の始まりには号令をかけましょう、授業の終わりには黒板にまとめを書いて赤で囲みましょう、等々。先生の凸凹を均そうという発想自体が、宮台さんいうところの「言葉の自動機械」や「法の奴隷」を生む土壌をつくっています。

 

 映画は左辺を嫌悪、右辺を称賛します。

 

 だからまともな映画を観ると「〈世界〉はそもそもそうなっている」ということに気付けます。前々作のタイトルでいえば『〈世界〉はそもそもデタラメである』ということがわかる。それがわかれば、あなたも「社会という荒野を生きる。」ことができるかもしれない。

 とはいえ、映画のリテラシーがないと「世界」に気付くことなく映画館を後にする可能性があります。第1章で批評されている『ア・ゴースト・ストーリー』(デヴィッド・ロウリー監督作品)が典型でしょうか。実際、私もマル激(マル激トーク・オン・ディマン)で宮台さんのプレトークを聞いていなかったら、以下でいうところの《半分以上の観客》の中の一人だったように思います。

 

 素晴らしい作品なのに、日本では半分以上の観客が分からなかったという感想を抱いて帰ると聞きます。

 

 砕け散った瓦礫の中の一瞬の星座。

 

 ベンヤミンの言葉です。宮台さんはこれを奇蹟と呼びます。奇蹟は社会の外にある。だから映画を観て、世界への〈開かれ〉を通して、奇蹟を知る。『ア・ゴースト・ストーリー』は、ゴーストになった主人公がこの奇蹟を知った瞬間に終わります。奇蹟を知れば、あなたは変わる。僕らが「世界」に開かれるために。僕らが奇蹟を知るために。宮台さんが教育的実践を意図して映画批評を続ける所以です。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 その『ア・ゴースト・ストーリー』と、高校の遠い先輩にあたる是枝裕和監督の『万引き家族』について、少し。

 

 微熱の街。

 

 冒頭の引用は『ア・ゴースト・ストーリー』を批評するくだりで出てきます。90年代半ばまでの渋谷は目が合うだけですぐに「男女の仲」になるような「微熱の街」だったという話。この話は宮台さんと上妻世海さんのトークイベント(2019年2月4日、代官山蔦谷書店)に参加したときに聞いたことがあって、その「視線が邂逅する街」っていうのは、私がバックパッカーだったときにアジアの街で感じていたことと全く同じだ(!)って興奮したことを覚えています。私の場合は90年代後半から00年代前半になりますが、ただ道を歩いているだけで楽しかった。すぐに恋に落ちた。そうか、

 

 あれは閉じつつある〈世界〉だったんだ。

  

 だが実際に描かれるのは、束の間に現出した「子供たちのパラダイス」だ。年長者はかつての子供時代を想起して感慨に耽ろう。この映画は、第一に、それで与えられる〈娯楽性〉の高さと、第二に、そうであるほど際立つ寓話性の深さとが、両立している点が傑出している。
 どんな寓話性か。映画に描かれた「子供の領分」は昔は普通に存在した。だが今は許されない。なぜか。そこを掘り下げると「システムへの登録」が見えて来る。

 

 これは『万引き家族』の批評に出てくるくだり(正確には園子温監督の『冷たい熱帯魚』とキム・ジウン監督の『悪魔を見た』の批評に出てくるくだり)です。「社会/世界」の図式でいうと「システム/子供の領分」となります。もしも「子供の領分」の価値を知る大人がたくさんいたら。すなわち「世界」を知る大人がたくさんいて、それを拒むのではなく、受け入れていたら。子供の生きづらさも教員の生きづらさも、今とは全く違ったものになっていたかもしれない。

 

 もうひとつの世界。 

 

 昨夜観た『ラブ・セカンド・サイト』は、主人公ラファエル(♂)が「夫婦の立場が逆転した」異世界へ迷い込むというストーリーでした。もしも「システム」と「子供の領分」の割合が逆転した異世界に迷い込んだら。

 

 微熱の街と子供の領分と。

 

 崩壊を加速させよ。

 

 

社会という荒野を生きる。

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  • 作者:宮台 真司
  • 発売日: 2015/10/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
制作へ 上妻世海初期論考集

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  • 作者:上妻 世海
  • 発売日: 2018/10/16
  • メディア: 単行本