田舎教師ときどき都会教師

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赤松啓介 著『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』より。この子の顔、俺に似とらんだろう?

 結婚と夜這いは別のもので、僕は結婚は労働力の問題と関わり、夜這いは、宗教や信仰に頼りながら過酷な農作業を続けねばならぬムラの構造的機能、そういうものがなければ共同体としてのムラが存立していけなくなるような機能だと、一応考えるが、当時、いまのような避妊具があったわけではなく、自然と子供が生まれることになる。子供ができたとしても、だれのタネのものかわからず、結婚していても同棲の男との間に出来たものかどうか怪しかったが、生まれた子供はいつの間にかムラのどこかで、生んだ娘の家やタネ主かどうかわからぬ男のところで、育てられていた。大正初めには、東播磨あたりのムラで、ヒザに子供を乗せたオヤジが、この子の顔、俺にチットも似とらんだろうと笑わせるものもいた。夜這いが自由なムラでは当たり前のことで、だからといって深刻に考えたりするバカはいない。
(赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫、2004)

 

 こんにちは。夜這いには惹かれませんが、最後の《だからといって深刻に考えたりするバカはいない》というところには惹かれます。2023年の社会通念に照らし合わせると、ものすごい胆力だなぁと思うからです。令和の今、もしも男女の間に《だれのタネのものか》わからない子どもが生まれたとしたら、

 

 深刻に考えないバカはいない。

 

 当然、そうなるでしょう。地獄絵図すら思い浮かびます。つまり、大正初めの東播磨あたりのムラの人間からすると、言い換えると、ロマンティック・ラブという概念の予兆さえなかったムラの人間からすると、

 

 令和の今はバカばかり。

 

 

 赤松啓介さんの『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』を読みました。姫岡とし子さんの『ヨーロッパの家族史』とセットで読みましょう、と勧められた一冊です。勧めてくれたのは、家族や労働などに関する「常識」をアンラーニングすることによって新しい生き方を開発する(!)という研究をしているNPOの人たちです。

 

 

 著者の赤松啓介(1909-2000)は民俗学者です。日本の民俗学者といえば、農務官僚だった柳田國男(1875-1962)が有名ですが、その柳田のことを赤松は嫌っていたとのこと。柳田が「性とやくざと天皇」を研究対象としなかったからです。「性とやくざと天皇」といえば、現代でいうところの社会学者の宮台真司さん(1959-)のフィールドと重なります。赤松も宮台さんと同様に、柳田のようなエリートが目を逸らしたものにこそ社会のリアルがあると感じていたのでしょう。まぁ、宮台さんも東大卒のエリートですが。その赤松が足で稼いだり、体で体験(?)したりしたことを生き生きとした語り口調で記録したのが『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』です。もともとは『夜這いの民俗学』と『夜這いの性愛論』に分かれていた本だったので、

 

 お買い得。

 

私たちが戦前の民俗調査で、柳田派の連中の採取を見ていてわかってないなあと感じていたのは、この教育の差である。
 要するに明治二十年から三十年頃に生まれた女性の殆どはマチなら幕末、ムラなら村落共同体思考感覚で生活しており、明治時代の近代教育ですら殆ど受けていない。家父長制とか、一夫一婦制などの思考方法がなじまないのが当たり前で、夜這いにしてもマチの付き合いにしても、性的交渉を淫風陋習などと感じるはずがなく、お互いに解放する機会があって当然だと思っている。

 

 教員としては、やはり教育について書かれたところが気になります。赤松は、上記の引用に続けて、「教育勅語」によって汚染されなかった女たちと、「教育勅語」によって汚染された女たちとの間には、明確な人生観、世界観の差ができていたと書きます。教育ではなく汚染という言葉の選択が、

 

 赤松らしい。

 

 夜這いについては敢えて説明しませんが、昔の日本は性に対して実に大らかだったのに……、ちょっとだけ説明すると籤引きでその日の相手を決めるムラがあったくらいに開放的だったのに、せっかくだからもう少し説明すると《亭主が漁に出て三日もすれば、残された嬶のところに夜這いをかけるのがまあ常識のようなもので、そうでない嫁は、ええ女ではない、ということになる。ヨソ者でも嬶や後家さんなら夜這いが許されるというムラもあった》というくらい緩かったのに、

 

 なぜこんなにも変わってしまったのか。

 

 なぜならば「教育勅語」に代表されるような教育や明治政府による弾圧、それから農作業の機械化による共同作業の減少や、都市化や工業化による娯楽の多様化、資本主義の攻勢、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの浸透、さらには赤松いうところの《戦後のお澄し顔民主主義》の台頭があったから。だから私たちは性に対して大らかではなくなり、開放的でもなくなり、その結果として「公的な空間」と「私的な家庭領域」とのあいだに引かれる境界線が鮮明さを増し、

 

 家族が閉じてしまった。

 

 閉じると、苦しくなります。つながりが失われ、かつてのような共同体が存立できなくなります。共同体が空洞化すれば、学校も苦しくなります。昔の日本はよかった、というわけではありません。そういった時代があったことを知らずに、お澄し顔の性教育をしたり、道徳の授業で100パーセントの「家族愛」を語ったりしている場合ではないということです。それこそ「汚染」になっているかもしれませんから。

 

ランチ・ミーティング(2023.10.28)

 

 ヨーロッパにも夜這いのような文化があったのかどうかが気になったので、ランチ・ミーティング(with NPO)のときに話題にしました。姫岡とし子さんの『ヨーロッパの家族史』には、そういった言及がほとんどなかったからです。メンバー曰く、あったのかどうなのかはわからないけど、

 

 多神教と一神教の違いはあるんじゃないかな?

 

 さて、どうなのでしょうか。