茂木 弔いの形もそうですが、教育もそうですよね。アクティブラーニングとか探究学習とかいろいろ出てきていますが、日本の伝統的な漢文の「素読」などの学習法とうまく接ぎ木できていないような気がします。
東 人間関係を学ぶところが学校しかないことも問題でしょうね。日本では家も地域もコミュニティも解体されて、残っているのは学校だけです。僕は、いま日本で起きているさまざまな問題は、子供時代に経験した学校だけが人間関係や上下関係のモデルになっていることに起因していると思います。
(養老孟司 × 茂木健一郎 × 東浩紀『日本の歪み』講談社現代新書、2023)
こんばんは。知人に誘われ、今日は応用演劇のワークショップに参加してきました。講義と実践の二本立てです。講義の冒頭、応用演劇に注目が集まるようになったのは、社会で人と関わりながら生きていくことを学ぶ(経験する)機会が減少しているから、という話がありました。言わんとしているところは、引用にある東浩紀さんの問題提起と同じです。日本を代表する応用演劇のスペシャリストも、日本を代表する批評のスペシャリストも、
同じことを言っている。
養老孟司さんと茂木健一郎さんと東浩紀さんの『日本の歪み』読了。解剖学者と脳科学者と批評家による鼎談。読むと、歴史に根ざした現状(日本の歪み)について、パースペクティブな視点をもつことができる。東さんが「初等教育から考え直すべきだと思います」と発言していて、もっと聞きたい。#読了 pic.twitter.com/hPc1xxG0pw
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 4, 2024
実践の最後に「家族の休日を一枚の写真のように表現しましょう」というグループ課題が出されました。初対面のメンバー6人と話し合い、
いざ、実演。
応用演劇に正解はありません。わたしは長時間労働に疲れて昼近くまで眠り続けるパパを熱演しました。まぁ、ただ目を閉じて横たわっていただけですが。いずれにせよ、全7グループ、
みんなちがって、みんないい。
初等教育から考え直し、こういったノン・ジャッジの授業をもっと増やしていくことができれば、子どもたちが歪んだ正解主義に陥ることもなくなっていくように思えるのですが、
どうでしょうか。
ちなみに解剖学のスペシャリストは《戦後の日常生活にいちばん大きく関わった変化は、家制度を変えたことだと思います。日本の家制度は戦後に憲法24条で潰されました。そういうことを平気でやるアメリカも信じられないし、潰しましょうと言われて「いいですよ」と実行するのも理解できません》と話していて、想像するに、戦前と戦後の「家族の休日」には相当な違いがあるのだろうなと思いました。その違いを調べた上で「戦前と戦後の家族の休日を一枚の写真のように表現しましょう」というのは、応用演劇を活用した6年生の歴史の授業(社会科)の課題として、
どうでしょうか。
配布された資料には、子どもの権利条約の中から自分たちで大切だと思う条約を選び、グループで演劇をつくって発表という事例が載っていました。身体性に重きを置き、ただ「権利」とか「民主主義」とか言葉で言うだけではない工夫がなされているというわけです。脳科学者のスペシャリストも《養老先生はずっと身体性について語られていますが、欧米の思想や市民世界の文化が日本に根付くには、ただ「平和」とか「民主主義」とか言葉で言うだけじゃない工夫が必要なのだと思います。明らかに日本に元々あった思想や文化とは違うものですから。ここでも問題になっているのは身体性ですね》と語っています。身体感覚がまともに育っていなければ、日本の歪みに気付くこともできないのでしょう。
養老孟司さん&茂木健一郎さん&東浩紀さんの『日本の歪み』を読みました。解剖学者と脳科学者と批評家による知的すぎる鼎談です。教室でも、担任がこれくらいのレベルで話をすることができれば、子どもたちも賢くなっていくように思います。知的すぎるミニレクチャーをした上で、アクティブラーニングや探究学習に「接ぎ木」する。そうすれば、日本の歪みを少しは是正できるかもしれません。以下、目次です。
第一章 日本の歪み
第二章 先の大戦
第三章 維新と敗戦
第四章 死者を悼む
第五章 憲法
第六章 天皇
第七章 税金
第八章 未来の戦争
第九章 あいまいな社会
第〇章 地震
読むだけで、小学校の教員、特に小学6年生の担任の「語り」が変わってくるのは間違いありません。それくらい重要なインフォメーション&オピニオンがあふれています。騙されたと思って読んでほしい。読んで、日本の歪みをどうすればいいか、子どもたちと一緒に考えてほしい。
目次からもわかるように、あまりにも多岐にわたる内容のため、印象に残った発言をそれぞれ1つずつ紹介します。
まずは解剖学者。
養老 戦争が終わるまで、小学校には「奉安殿」という、御真影と教育勅語が納められている小さな小屋のようなものがありました。前を通るときは最敬礼をしなきゃいけない。久米正雄の小説に、奉安殿が火事になって御真影が焼けてしまったから腹を切る校長先生が出てきますが、それのことです。
第6章の「天皇」より。天皇制は、小学校にもかなり影響を与えていたようで、当時の小学生は、教室に入ったら天皇陛下と皇后陛下の歌を読み、読み終えたら皇居に向かって最敬礼することになっていたそうです。最敬礼をしない子どもは殴られていたのでしょうか。目下、特性の強い子は「おはようございます」のあいさつすらできないので、気になるところです。それにしても、腹を切るだなんて悲惨です。コンビニのセルフコーヒーでレギュラーサイズのカップを購入したのにラージサイズのコーヒーを注いで懲戒免職になった兵庫県の校長と同じくらい悲惨です。もしかしたら誰かが小説にするかもしれません。
続いて脳科学者。
茂木 イギリスの経済学者チャールズ・グッドハートが言った「グッドハートの法則」というのがあって、それは「パフォーマンスの指標自体が目的になったとき、それは良い指標ではなくなる」というものです。例えば幸福度調査をすること自体はよいが、幸福度を上げることを目標にすると必ずハッキングされるので、指標としても役に立たなくなるということです。
第四章の「死者を悼む」より。勤務校は昨年度からアンケートの嵐です。指標の嵐ということです。子どもたちそのものよりもスコアが重視されている可能性があるということです。茂木さん曰く《僕がケンブリッジ大学に留学したとき、お世話になったホラス・バーロー教授との「面接」は、グラスゴーの学会で行われたのですが、しばらく喋って「だいじょうぶそうだね」と言われた。テストのスコアとかだとわからないからと言われました》云々。佳話です。
最後に批評家。
東 台湾有事に関しては、日本人の若い世代が自分の人生の中でリアルに戦争に行く可能性が出てきたわけで、それが大きな変化だと思います。
第八章の「未来の戦争」より。そのリアルさを感じている教員がどれくらいいるかといえば、ほとんどいないというのがそれこそリアルでしょう。いわんや子どもをや。先日、市の教育長がクラスに来てくれて、その際、授業のテーマになっていた「戦争と平和」について少し立ち話をしました。教育長曰く「子どもはもちろんのこと、大人も戦争のことをわかっていない」云々。
さすが教育長だ。
一昨日の土曜日の夜にプライベートでかかわっているNPOの人たちと会議&会食をしました。養老さんと茂木さんと東さんの鼎談もそうですが、学校の外の人たちが使っている言葉は教員のそれとは違っていて、とても勉強になります。曰く「ネット上の情報はインフォメーションとオピニオンとダイアリーに分類できて、その順番で価値が高い。この場合の価値というのは需要があるということ。オピニオンとダイアリーは有名人が発信しているものでなければ、需要はほとんどない」云々。
読書ダイアリーの運命や如何に。
おやすなさい。