田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

つかこうへい 著『蒲田行進曲』より。綺麗は汚い。汚いは綺麗。

 映画スターの銀四郎と、その弟子でスタントマン専門の大部屋俳優ヤス、そして銀四郎と同棲して彼の子をはらみ、ヤスに押しつけられてその妻となる女優の小夏。ヤスとともに暮らすようになってからも、銀四郎と小夏は会いつづけている。
 彼らの関係が特異なのは、少なくとも男二人に関する限り、彼らはこの三角関係を解消したいとはどうやらひとつも思っていないということだ。
(つかこうへい『蒲田行進曲』角川文庫、1982)

 

 おはようございます。電車は動いているのだろうかと心配ですが、これを書き終えたら出発します。それにしても、昨日はよく降りました。授業中にもかかわらず、子どもたちは「雪だ」「綺麗」「食べたい」「汚いよ」と大喜び。

 

 綺麗は汚い。汚いは綺麗。

 

 

 銀四郎にもヤスにも小夏にも、雪が降っただけで心躍った時代があったはずです。それなのに、解説を書いている扇田昭彦(1940-2015)曰く《銀四郎と同棲して彼の子をはらみ、ヤスに押しつけられてその妻となる女優の小夏》って、いったいどれだけ汚れてしまったのでしょうか。思わず中原中也を引きたくなります。汚れっちまった悲しみに。

 

 今日も小雪のふりかかる。

 

 

 つかこうへいの『蒲田行進曲』を読みました。82年の直木賞受賞作。76年の『熱海殺人事件』、79年の『ロマンス』と並ぶ、劇作家・つかこうへい(1948-2010)の代表作の一つです。内容は、蒲田ではなく京都の映画撮影所を舞台とした男男女による人情噺で、もともとは、

 

 戯曲。

 

 一昨日の日曜日に応用演劇のワークショップに参加していたので、このタイミングというかワークショップの帰路に立ち寄った書店でこの本に出会えたこと、嬉しく思います。つかこうへいも、生前、ワークショップや演劇セミナーなどを各所で開いていたとのこと。正直、蒲田行進曲のことも、つかこうへいのことも名前くらいしか知らなかったので、「巡り合わせ」だなぁと思います。ヤスもきっとそう思っていたのでしょう。

 

 銀四郎に対してです。

 

 ほんとうに俺が銀ちゃんに殴られると、迫力のあるいい映画が撮れるんだよね。銀ちゃんも殴り殺す気でやってくれるし、俺だって殺されるんじゃないかって、何度も錯覚することもあったよ。一緒に組んで、俺のカットがボツにされたことってなかったね。俺のカットっていったって、俺なんか映ってなくて銀ちゃんのアップなんだけど・・・・・・。
 でもね、俺はこれでいいんだって納得してんだよ。バキーッと殴られて、そりゃ痛いよ。だけど心の中に『蒲田行進曲』のメロディ流してさ、「ウッ」とふんばるんだ。昔咲いた花の蒲田の、大部屋の心意気を俺一人で汲んでるつもりだよ。

 

 ヤスのはなし、より。うん、おかしい。解説には《マイナスの生き方に徹する屈したダンディズム》と肯定的に書かれていますが、おかしい。教室にこんな子がいたら間違いなく指導します。そのマゾヒズムはやめなさい、と。そして銀四郎にはそのサディズムはやめなさい、と。互いに「巡り合わせ」だと思っていたとしてもやめなさい、と。そして小夏にも指導します。その二人とは距離を置きなさい、と。

 

「で知ってんの、お腹の子があんたの子じゃないってこと」
「知らないよ、そんなこと。いいじゃないか、俺の子で」
「絶対後悔しないでよ、おねがいよ、このとおりよ」

 

 小夏のはなし、より。うん、おかしい。解説には《小夏を間にはさむことで、互いに複雑に傷つけ合い、嫉妬しあう苦い絆を彼らは結ぶ》と肯定的に書かれていますが、おかしい。どんな三角関係だ、それは。でも、あまりにもおかしいと、おかしすぎると、それがだんだん綺麗に見えてくるから不思議です。

 

 綺麗は汚い。汚いは綺麗。

 

 冬はみぞれが雪に変わり、身を切るような冷たさだった。体は芯まで冷え切っていて、大きなお腹の重さだけが、あたしの、ひとあしひとあしの支えだった。

 

 小夏のはなし、より。ラストに近い場面です。『蒲田行進曲』は「ヤスのはなし」と「小夏のはなし」だけで構成されていて、目次に「銀四郎のはなし」はありません。映画のスターは銀四郎ですが、『蒲田行進曲』のスターはヤスと小夏というわけです。

 で、雪に変わったからといって、小夏はもう「雪だ」「綺麗」「食べたい」「汚いよ」と大喜びするステージにはいません。階段を転げ落ちるように生きているヤスに、嫁がされてしまった小夏。小夏はこの後、いったいどうなってしまうのでしょうか。汚れっちまった悲しみは。

 

 倦怠のうちに死を夢む。

 

 行ってきます。