息子が生まれた日が雨だったから、ぼくは雨の日が好きなのだ。いまでも雨の日に一人で車を運転していると、息子が生まれた日のことを思い出す。ブレーキランプに照らされたフロントガラスの赤い雨粒が、ぼくにとっては思い出だ。今日は雨だけど、雨の日は何年たっても今日のことを思い出せるんだよと伝えた。
(幡野広志『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』ポプラ社、2023)
こんにちは。先日、オリパラ教育のプロフェッショナルを授業に招き、ネット型ゲームを楽しみました。総合的な学習の時間と体育をメインに、昨年度からずっとかかわっている大学の先生です。いい意味で、子どもたちもすっかり「友達」感覚。やはり、継続に勝る人間関係はありません。そして、人間関係に勝る教育効果はありません。すなわち、推移律でいえば、継続に勝る教育効果はないということです。
こんな体育はイヤだっていう体育はある?
ネット型ゲームに入る前に、その先生が子どもたちにそう問いかけました。得意な子だけが活躍する体育、下手な人が楽しめない体育、ミスをしたときにチームメイトからイヤなことを言われる体育、等々。子どもたちから想定内の意見が次々と出てくる中、とある男の子曰く、こんな体育はイヤだぁ、
全てのマットでヨガをやっているマット運動。
その子のキャラも相まってツボりました。隣の女の子が「〇〇くん、大喜利じゃないんだよ」ってすかさず諭していてさらにツボりました。将来、大物になるかもしれません。
その話やばいね、パパ。
大学生の長女と高校生の次女にそのことを話したらうけていました。楽しいことも大切なことも、伝えたくなるのが我が子です。幡野広志さんの息子さんは、冒頭の《雨の日は何年たっても今日のことを思い出せるんだよ》という話を聞いて、「その話やばいね、おとうさん」と答えたそうです。これからは、マット運動をやるたびに何年たっても先日のことを思い出すかもしれません。
全てのマットがヨガ。
幡野広志さんのフォトエッセイ集『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』を読みました。先日、4年前のブログをポストしたところ、幡野さんがリポストしてくれて、久し振りに幡野さんの本を読みたくなったというのがこの本を手に取った理由です。
【4年前の過去記事】
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 3, 2024
甘いカフェラテつくろうとして塩をいれる教育。#幡野広志#ぼくたちが選べなかったことを選びなおすために
幡野広志 著『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』より。安心と問いのハッピーセット。 - 田舎教師ときどき都会教師 https://t.co/JzNeeJLpK5
このポストが2月4日で、その2日後にポストした4年前のブログを、今度は緩和ケア医の西智弘さんがリポストしてくれて、あぁ、このお二人の話、むかし聞きに行ったなぁ、機会があったらまた聞きたいなぁ、と懐かしく思い出しました。西さんは幡野さんの友達(?)です。
【4年前の過去記事】
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 5, 2024
医師として「何もしない」というのは勇気がいることだ。教師も。#西智弘#がんを抱えて自分らしく生きたい
西智弘 著『がんを抱えて、自分らしく生きたい』より。何もしないということを、する。 - 田舎教師ときどき都会教師 https://t.co/pGPZ2GIdUO
書店で見かけた幡野さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』のタイトルが気になって、買って、読んで、そして幡野さんに興味をもって、実際はどんな人なんだろうと思って2019年の夏に八重洲ブックセンターで行われた西さんとの対談イベントに参加して、そのときに初めて西さんのことを知って、西さんにも興味をもって、西さんの『社会的処方』という本を読んだら勤務校の近くに住んでいる知る人ぞ知る有名な人の話が書かれていて、すぐにアポをとって、会いに行って、ときどき会いに行くようになって、継続に勝る人間関係はないから仲良くなって、以来アフターコロナになってからは毎年度授業に来てくれるようになって、そしてその知る人ぞ知る有名な人とのつながりがきっかけとなって、先週は市の教育長が授業に来て、今週はNHKの関係者が授業に来て、つまり何がいいたいのかといえば、はじめに幡野さんありき。
はじめに言葉ありき。
幡野広志さんのフォトエッセイ集『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』読了。息子が雨の日を価値づけたように、ことばが写真を価値づけている。《ぼくが息子の卒園式を撮れば「息子の卒園式」の写真になる。でも息子が写真を撮れば「ぼくの卒園式」の写真になる》っていい得て妙。#読了 pic.twitter.com/FvwGK467jD
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 7, 2024
ぼく、前から思ってるんですけど、写真集に足りないものって、「ことば」なんですよ。たとえば、写真に添えられたキャプション(短い説明文)が変わるだけで、その写真の印象はまったく変わります。だから、ほんとうに必要なのはキャプション程度のことばじゃなくて、まとまりを持った文章。500文字とか1000文字とかの文章を、写真家自身が書く。そうしないと写真なんて、ぜったいにわかんないと思いますね。写真だけで伝えることができる写真家は、世界に数人です。
巻末に収録されている古賀史健さんとのロング対談より。「はじめに写真ありき」であったとしても、ことばが必要という話です。
ライカのM10というカメラを買った。
GoogleでググったりAmazonでアマッたりすればすぐにわかってしまうから書いてしまうけど、ライカのM10はお値段がお高い。カメラ本体だけで100万円ぐらいする。それにレンズをつけるわけだけど、おレンズもお中古だろうがすこぶるお高い。
さきに予防線をはっておくけど、ぼくの場合はカメラが仕事道具なのだ。病人の道楽で買っているわけじゃない。JRが電車を買うようなものだ。
「ライカM10」というタイトルのフォトエッセイより。相変わらずというか何というか、「全てのマットがヨガ」のレベルで全ての文章がおもしろい。このエッセイの最後には、幡野さんと息子さんがどこかの空港のムービングサイドウォークを利用している写真が載っていて、それがまた素敵なんです。古賀史健さん曰く《それぞれのエッセイが「この写真が生まれるまで」のストーリーになっている》云々。
ことばと、写真と、それから対談。
収録されている51編のエッセイと、51枚の写真、そしてロング対談。みんなちがって、みんないい。ぜひ手にとって読んでみてください。
昨日は仕事帰りに「思いがけずビール」を楽しみました。思いがけず幡野さんの息子さんの担任になった先生は、幡野さんをゲスト・ティーチャーに呼んで、新刊の『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』を教科書にしつつ、コラボ授業をすればいいのになと思います。もしかしたらもうやっているのかもしれませんが。私だったら絶対にお願いします。
3連休の初日。
いい天気です。