田舎教師ときどき都会教師

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西智弘 著『だから、もう眠らせてほしい』より。患者や児童と向き合い、揺らぐことの意味。

 幡野が常々主張しているところの核心はここにある。
 医療者と、家族、そして患者の目指しているゴールが異なる。そして医療者が自分のポリシーや家族の意向を尊重してしまう今の日本では、吉田ユカの言う通り「安心して死ねる場所がない」ということなのだ。
(西智弘『だから、もう眠らせてほしい』晶文社、2020)

 

 こんばんは。以前、理科の授業で地層をつくる実験をしていたときに、タイミングよくというかなんというか、地震が起きて即席の断層ができたことがありました。揺れを感じたときに「机の下に!」ではなく、思わず「断層ができるぞ~」なんてちょっと興奮気味に叫んでしまったものだから、教師失格です。子どもたちには「先生、それどころじゃありません」って、机の下から言われてしまいました。

 そんなことを思い出したのは、昨日、西智弘さんの新刊『だから、もう眠らせてほしい』を読み始めたところ、スマホに「筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う女性の依頼により、医師2名が薬物投与を行い、女性は同日(2019年11月30日)死亡した」というニュースが流れ、「タイミングよくというかなんというか」と思ったからです。安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語。はじまりはじまり。

 

 

 西智弘さんの『だから、もう眠らせてほしい』を読みました。副題は「安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語」。緩和ケア医である著者が、安楽死を願う二人の若き患者と過ごし、そして別れた「物語」の記録です。巻末に《この本は、事実をもとにフィクションを30%くらい混ぜて再構成した物語だ》とありますが、事実は小説よりも奇なりを地で行く名作だと思いました。医療関係者はもちろんのこと、教育関係者にも手にとってほしい一冊です。

 

 僕は医師として、安楽死を世界から無くしたいと思っていた。

 

 医療者にそういったポリシーがあるように、例えば教師にも「私は教師として、不登校を世界から無くしたいと思っていた」というようなポリシーがあったりします。安楽死と不登校とでは意味合いはかなり異なりますが、構造としては同じです。そして実際に安楽死を望む患者と向き合うことで、或いは不登校の子どもと向き合うことで、安楽死に対する考えや不登校に対する考えが「揺らぐ」のも、構造としては同じです。揺らいで、成熟する。

 

 安楽死よりも、緩和ケア。

 

 そう考えていた著者に「揺らぎ」を与えたのが、膵臓癌を患う吉田ユカさん(37、♀)と、大腸癌を患うYくん(28、♂)です。二人とも「安楽死」を口にします。ユカさんはあらかじめかなり調べた上で、Yくんは《この前ネットで見たんですけど》というノリで。ユカさんは、安楽死がダメなら「持続的な深い鎮静」の方法を取って眠らせてほしいと著者に伝えます。徹底的に、調べている。日本では「安楽死」は認められていませんから。

 

 では、認められている国ではどうなのか。

 

 オランダの話が出てきます。イエナプラン教育が有名なオランダです。著者は海外の安楽死事情に詳しいジャーナリストの宮下洋一さんに会い、話を聞きます。宮下さん曰く《いや、でもそうは言っても一部の国ですよ。その国の中でもそんなにやっているわけでもないし。オランダでも4パーセントくらいで。それをちょっと日本のメディアは大げさにイメージ化しすぎている部分はあると思う》云々。イエナプラン教育も数%。やはり教育と似ている。

 

「実際、オランダとかスイスとか、さまざまな安楽死制度が各国であるじゃないですか。でも、それはその国その国で必要な議論をしてきたうえでのそれぞれの制度であって、どのシステムが一番優れているとかは、ないと思いませんか?」
「それはそう思いますよ。日本には日本人にあったやり方があるはずです」

 

 だから著者は、海外の制度をコピーするのではなく「僕らの安楽死制度」をゼロベースで作っていく必要があると考えます。もっと言えば、どのように生きて、どのように死んでいきたいのか。それを議論するということ。患者の意向を尊重すること。これも教育と同じだなぁと思います。冒頭の引用にもあるように、教育においても、医療における患者と同様に、子どもの意向が聞き入れられることはあまりありません。時間割すら決められない。

 

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 冒頭の引用にある「幡野」というのは、写真家の幡野広志さんのことです。幡野さんも癌患者、すなわち当事者です。当事者ゆえに、患者よりも医療者のポリシーや家族の意向が優先されてしまう日本の医療の現実に憤りを覚えています。教育でいうところの児童中心主義に倣えば、患者中心主義となるでしょうか。だから《制度としてはあったほうがいい》。ただし《緩和ケアが発展しないと安楽死はできない》。幡野さんはそう主張しています。

 

 でも、待っていられない。

 

 患者としてはそうですよね。オンライン教育の準備が整うのを「待っていられない」と思っているコロナ禍の子どもと同じです。当事者は、とにかく早くしてほしい。でも議論をすっとばすと、緩和ケアをすっとばすと、昨日のニュースのような事件が起きてしまう。ちなみに幡野さんは吉田ユカさんに撮影を依頼されていて、彼女が安楽死を望む理由についても《すごくよく理解できる》と話しています。曰く《日本においては、自分の意思を尊重して保つ方法がない》云々。

 

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 吉田ユカさんが「持続的な深い鎮静」によって亡くなった二日後に、東京の八重洲ブックセンターで西さんと幡野さんの対談がありました。そういえばあのとき吉田ユカさんのことを二人が話していたなって、本を読みながら当時のことを思い出しました。上の2つのブログに書きましたが、対談、聞きに行ったんですよね。懐かしいなぁ。二人があの対談の直前にそんな重い話をしていたなんて(本に書かれています)、全くわかりませんでした。

 

 安楽死制度は必要 → ユカさん 
 安楽死制度は不要 → Yくん
 

 著者は安楽死に賛成・反対という議論からは降りていますが、構図としては、そのような図式で物語は終わります。二人の違いは支えやつながりの多寡。ひどい虐待を受けて育ったユカさんにはそれがなく、Yくんにはそれがあった。詳しくは「ぜひ本を読んでください」なのですが、ある一面からものすごくシンプルにいえばそういうことです。宮下さん曰く《安楽死制度があったとしても、周りの人たちに支えられていれば、選ばないと思うんですよ》云々。西さんの前著『社会的処方』につながる話です。

 

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 患者に寄り添いながら葛藤する医者。子どもに寄り添いながら葛藤する教師。職業病なのか、どうしてもそんなふうに医療と教育を重ねながら読んでしまいますが、そのように読まなくても、引き込まれて泣けて考えさせられてもう一度読みたくなる一冊です。多くの人に読まれるべき本といっていい。今日読んだ村上春樹さんの新刊『一人称単数』に負けないくらい、よい。タイトルも、泣けて泣けて、よい。

 

 だから、もう眠らせてほしい。

 

 おやすみなさい。

 

 

一人称単数

一人称単数