田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

西智弘 著『がんを抱えて、自分らしく生きたい』より。何もしないということを、する。

 私は、研修医のころからたくさんの患者さんの最期を見続けてきて、いまは「何もしないということを、する」というのが良い場合があると思っている。医師として「何もしない」というのは勇気がいることだ。「もっとできることがあるのではないか」という罪悪感にさいなまれる。医師は、何かできることがあるなら、それがほんのわずかでも寿命を延ばす可能性があるなら、それをしてあげることが患者さんにとって「最大の幸福」になるのだと考えがちだ。でも、必ずしもそれが幸福になるとは限らない。
(西智弘『がんを抱えて、自分らしく生きたい』PHP研究所、2019)

 

 こんばんは。昨日、仕事帰りに大量の食材を購入し、両手塞がりの状態で夜道を歩いていたところ、背後から急にドタドタと足音が聞こえてきて「ワッ!」とされ、肝を冷やしました。長女でした。大成功(!)とばかりに、めちゃくちゃうけている我が子と、驚きと疲れと不意の幸福感にたじろぐパパ。

 

 長女はもうすぐ高校生です。

 

 思春期真っ只中で、不機嫌なことも多いですが、笑顔は最高にかわいくて、それは小さかった頃と変わりません。控えめにいってもサイコーです。思春期は自分らしさ(アイデンティティー)を形づくる大切な時期。「思春期を抱えて、自分らしく生きたい」という語義矛盾的な葛藤の中でたたかっている娘に、何かできることがあるならとは思うものの、煙たがられるのが関の山。親として「何もしない」というのは勇気のいることですが、何かをすることが必ずしも幸福につながるとは限らないと思って、ただひたすらに心の中で応援する毎日です。

 

 

 緩和ケア医の西智弘さんのことは、写真家の幡野広志さんとの対談を聞きに行ったときに知りました。Aさんをめあてで聞きに行ったら、対談相手のBさんにも惹かれまくったというのはよくある話です。ここ最近のケースでいえば、乙武洋匡さんと吉藤オリィさんの対談や、磯野真穂さんと古田徹也さんの対談などが思い当たります。数年後にはどちらがAでどちらがBだったのか、それすらわからなくなっていることでしょう。「何もしないということを、する」でも「何かするということを、しない」のどちらでもかまわないというのと同じです。どちらも魅力的に過ぎるということ。

 

 医師として「何もしない」というのは勇気のいることだ。

 

 やはり医療と教育は似ています。感染症医の岩田健太郎さんの著書を読むとよくそう思いますが、西智弘さんの『がんを抱えて、自分らしく生きたい』も、教育に置き換えることのできる話にあふれています。

 

 教師として「何もしない」というのは勇気のいることだ。

 

「もっとできることがあるのではないか」という罪悪感にさいなまれる。教師は、何かできることがあるなら、それがほんのわずかでも学力を伸ばす可能性があるなら、それをしてあげることが子どもにとって「最大の幸福」になるのだと考えがちだ。でも、必ずしもそれが幸福になるとは限らない。

 

 何かをするということを、しない。

 

 最期の「でも、必ずしもそれが幸福になるとは限らない」ということを頭に入れておかないと、教師ががんばればがんばるほど子どもは受け身になっていき、生きる力も考える力も失っていくというよくあるパターンに陥ります。幡野広志さんの言葉を借りれば「甘いカフェラテをつくろうとして塩を入れる教育」です。

 

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ベトナムのブンタウにて、甘過ぎ(2001)

 

 教師が教科書に書いてある内容をがんばってわかりやすく説明すればするほど、子どもたちは教科書を読まなくなります。そして教師が教科書に書いてある内容をがんばってわかりやすく板書すればするほど、子どもたちはますます教科書を読まなくなります。過労死レベルで働いている教師が「貧弱な宿題」を出せば出すほど《子どもたちは大人が介入しない主体的な遊びに費やす時間》(『宿題をハックする』より)を奪われ、夢中になれることを見つけるチャンスを失っていきます。教師が教室をきれいにすればするほど、子どもたちは自分たちの手で教室をきれいにしようという動機付けを失っていきます。

 

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ラオスのビエンチャンにて、寝そべって見守る(2001)

 

 何もしないということを、する。

 

 教師として、親として、そして社会として、子どもたちに「何もしない」というのは勇気のいることです。何かをすることで自身のアイデンティティーを保っている大人にとっては、特にそうです。西智弘さんは、同著に、次のように書いています。

 

(前略)成人した子どもから、「お母さんは、もう何もしないで座ってていいのよ」と、母親としての役割を奪われたとする。その時から、徐々にぼーっとする時間が増え、体も衰え、夜も眠れないなどの訴えが増えてくることがある。子どもにしてみれば、よかれと思ってしていることだろうが、そのことが親の生きる力を失わせているのだ。

 

 長女に驚かされた直後、すぐに片方の手が軽くなりました。両手を塞いでいた荷物の片方を長女が持ってくれたからです。たぶん、そういうことです。教師も親も、がんばりすぎなくていい。人生のコントローラーを少しずつでいいから子どもに手渡していった方がいい。「何もしないということを、する」ことが、子どもの成長につながることも多いのだから。次女の大好きなクマのプーさんもこう言っています。

 

 何もしないは、最高のなにかにつながる。

 

 パパもそう思う。 

 

 

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