16世紀フランスの哲学者モンテーニュは、「乳児期の子どもを2、3人なくし、残念に思わなかったわけではないが、ひどく悲しむというほどのことではなかった」と述べている。彼が特別だったわけではなく、乳幼児死亡が非常に高かった18世紀半ばころまでは、大部分の人が子どもの死にたいして、このような感情をいだいていた。子どもに無関心だったからなのか、それとも「死は避けられない」という諦念のためなのか、それはわからない。だが、当時の人たちが、子どもにたいして今とはまったく違った感情をもっていたことだけは確かである。
(姫岡とし子『ヨーロッパの家族史』山川出版社、2008)
おはようございます。フランスのモラリスト文学の基礎を築いたと評される、主著『エセー』で有名なモンテーニュが、乳幼児期の子どもを2、3人亡くしても「ひどく悲しむというほどのことではなかった」と述べていたなんて驚きです。どこがモラリストなのでしょうか。どんな人間性を探究していたのでしょうか。でも、それが当時の「普通」だったなんて、21世紀の私たちの感情からすると、
ありえない。
前回のブログで取り上げた赤松啓介さんの『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』にも、《今とはまったく違った感情》をもつ人々が登場しました。例えば、膝に子どもを乗せたまま「この子の顔、俺にチットも似とらんだろう?」と笑わせてくるというオヤジです。これまた21世紀の私たちの感情からすると、
ありえない。
ありえないと思えることが「常識」だった時代のリアルを書籍を通して垣間見ることで、今この時代の「常識」を疑ってみることができるのではないかというのが、歴史を学ぶことの意義のひとつでしょう。22世紀、23世紀を生きる人々からすると、21世紀の「常識」だって「ありえない」かもしれませんから。教員でいえば、休憩なしのノンストップ労働も、残業代ゼロも、振休なしの土曜授業も、
ありえない。
姫岡とし子さんの『ヨーロッパの家族史』を読みました。「まえがき」代わりの「近代史における家族革命」には、《本書では、ドイツを中心に、イギリス、さらにフランスをまじえながら18世紀から20世紀初頭にいたる家族の歴史的変遷を追い、家族が、その理解のされ方、また現実の生活の両面においていかに多様であったかを記したい》とあります。
目次は以下。
➊ 歴史人口学と家族
➋ 伝統家族から近代家族へ
➌ 近代市民家族の特性
➍ ヴィクトリア期の家族
➎ 労働者層の家族
例によって21世紀の私たちの感情からすると「ありえない」と思える家族観がたくさん出てきます。「子どもはつねに愛される存在」というわけではなかった。「特別な母性愛」も存在しなかった。「女は昔から主婦」というわけではなかった。「家族はプライベートな領域」ではなかった。全て伝統社会の家族の話です。
これが、変わった。
著者である姫岡とし子さんが「家族革命」と呼びたくなるくらい、変わった。変わった結果、私たちがよく知っている近代社会の家族が誕生した。「子どもはつねに愛される存在」になった。「母性愛は本能」とみなされるようになり、「女は家庭、男は仕事」&「家族はプライベートな領域」となった。
なぜ、変わったのか。
伝統家族が近代家族へとその類型を変化させていった理由について、著者である姫岡とし子さんは、ざっくりと、次のように書きます。
このモデルの誕生には、共同体および法の拘束力の衰退、個々の人間関係についての新しい宗教的・哲学的・教育学的理念の影響、ミドルクラスによる貴族との差異化、資本制という新しい経済システムなどがかかわっている。いずれにせよ近代家族モデルは、伝統社会の構成秩序や経済基盤がゆるみ、近代的なものへと編成替えされる過程で、それと連動しながら胚胎されたものである。
夜這いがなくなった理由とちょっと似ていますね。赤松啓介さんの『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』に出てくる夜這いです。詳しくは、前回のブログをぜひ。
ただし、この近代家族の黄金期は長続きしなかった。
黄金期というのは1950年代から1960年代にかけてのことです。姫岡さんは《1990年代には、近代家族規範による家族の平準化の時代は、完全に終焉を迎える》と書いています。完全に、です。私たちは近代家族に代わる新しい家族のモデルを模索しつつある段階にあるということでしょう。
女は家庭、男は仕事。
確かにこれなんかは《完全に》崩れつつありますよね。先日、高校時代の友人に会って久闊を叙してきました。結婚の経験はないけど、お子さんは二人いるとのこと。
ありえない。
なんてことはまるでない。帰路、モンテーニュの《結婚は鳥籠のようなものだ。外にいる鳥たちはいたずらに中に入ろうとし、中にいる鳥たちはいたずらに外に出ようともがく》という言葉が頭に思い浮かびました。モラリストの言葉が思い浮かぶなんて、
もがき疲れているのかもしれません。
行ってきます。