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古市憲寿 著『絶対に挫折しない日本史』より。展望台史観。歴史は細かく見るとややこしいが、俯瞰で見るとおもしろい。

 旧石器、縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和……。こんな時代区分を学生時代に暗記させられなかっただろうか。この分け方が無意味だとは思わないが、ざっくりとした歴史を把握したい本書にとっては、ちょっと細かすぎる。
 一番シンプルな時代区分は、次の三つだと思う。「古代」「中世」「近代」だ。もともとこの分け方はヨーロッパから持ち込まれたものだが、日本の歴史もうまく説明してくれる。
(古市憲寿『絶対に挫折しない日本史』新潮新書、2020)

 

 こんばんは。教師用の机を教室のどこに置くのかと聞かれれば(聞かれないけど)、一番シンプルな答えは、次の三つだと思う。「前」「横」「後ろ」だ。どの自治体の、どの小学校でも、ほとんどの教室はクラシックに「前」。当たり前のように、「前」。とてもストレートだ。矢のごとくストレートだ。だから「横」や「後ろ」をデフォルトにしている私の教室に同僚が足を踏み入れると、ちょっと驚かれる。いや、ちょっと引かれる。私は私としてごく必然的に、とても自然に「横」や「後ろ」にしているのに。

 

 私の教室は、モダンに「横」or「後ろ」。

 

 モダンかどうかはさておき、理由はといえば、その方が全体を落ち着いて俯瞰できるし、学びのコントローラーを子どもたちに委ねやすいから。サッカーでいうと「後ろ」はゴールキーパー、そして「横」は監督のイメージ。どちらも有機的に結びつこうとする「チーム」そのものを見ることができる。主役はもちろん、ゴールキーパーを除く選手たち。すなわちチームメイトとの関係性の中にいる子どもたち。「前」よりも「横」or「後ろ」。村上春樹さんがいうように、意志のあるところに方法は生じるものなのだ。

 

 固有名詞に頼ることなく、日本史を俯瞰で描きたい(意志)。

 

 あの『サピエンス全史』のように(方法)。

 

絶対に挫折しない日本史 (新潮新書)

絶対に挫折しない日本史 (新潮新書)

  • 作者:古市 憲寿
  • 発売日: 2020/09/17
  • メディア: 新書
 

 

 古市憲寿さんの『絶対に挫折しない日本史』を読みました。作家の佐藤優さんが《これは古市憲寿氏による日本版『サピエンス全史』だ。歴史に関心を持つ全ての人に勧める》と推薦している「画期的日本史入門書」です。ここ数日、ある国会議員の「女性はいくらでも嘘をつく」という発言がニュースを賑わせていますが、タイトルは嘘をつかず、挫折せずに最後まで読み通すことができました。本家本元であるユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』にもチャレンジしてみようかと思います。

 

 2016年に『サピエンス全史』という本がベストセラーになった。最大の魅力は、固有名詞に頼らない形で歴史叙述をしている点だと思う。

 

 固有名詞に頼らない形での歴史叙述。

 

 小学校の社会科の授業でいうと、卑弥呼が~、とか、源頼朝が~、とか、織田信長が~、とか、そういった英雄史観ではない、ということです。かといって、カウンターである庶民史観でもない。じゃあ、何史観かといえば、展望台史観です。新しい街へ行くと、必ずタワーや超高層ビルの展望台に上ってしまうという古市さん。

 

 この本でも、何とか「日本」そのものを描こうとしてきた。展望台から東西南北が見晴るかせるとして、東と西がまるで違う街ということは珍しくない。1000年前の日本と今の日本も同じ「日本」ではない。しかし、それを同じ「日本」として描けてしまうことが、展望台目線の特権である。

 

 展望台史観で巨視的に概要をつかむっていうのは、小学6年生の社会科の学習の在り方として、ありだなぁ、と思います。冒頭の引用にある「古代」「中世」「近代」という分け方なんて、作文指導でいうところの「はじめ」「中」「終わり」みたいで、いや、ちょっと違うけど、とにかくわかりやすい。

 

 古代 → 7世紀から8世紀を頂点として、列島がひとつにまとまっていった時代。
 中世 → ひとつになろうとした「日本」が、群雄割拠で、再び崩れていった時代。
 近代 → 江戸時代を準備期間として、明治以降、再び「日本」がまとまった時代。

 

 換言すると「まとまる → 崩壊する → 再びまとまる」という流れ。

 

 この時代区分に基づいて書かれているのが第一部の通史編。「コメ」「家族」「戦争」などの7つの角度から日本史を紐解いているのが第二部のテーマ史編です。第一部と第二部からなる、全313頁のコンパクトな二部構成。古市さん曰く《本書を読み通せば、日本史の通史を何と8回分もおさらいしたことになる》云々。小学校でいうところのスパイラル学習です。第一部は社会科で扱い、第二部は総合的な学習の時間で探究的に扱う。そういった展開もおもしろいかもしれません。ちなみに通史編の目次は以下のようになっています。

 

 1 いつ「日本」は誕生したのか(旧石器~縄文)
 2 古代政権はフランチャイズ運営(弥生~平安)
 3 中世は「小さな政府」の時代(平安~戦国)
 4 国家による暴力の独占(戦国~江戸)
 5「国民国家」という新システムの導入(江戸後期~明治)
 6「拡大」の季節と近代化(明治~昭和)
 7 日本はいつ「終わる」のか(平成~未来) 

 

 1と2が「古代」、3と4が「中世」、5と6と7が「近代」です。教科書よりもわかりやすく、子どもたちの理解も深まるような気がします。

 書き方もリーダーフレンドリーで、例えば2億5000年前に存在したという超大陸パンゲアのことを「境界のない世界」だったと書き、続けて《ジョン・レノンが好きそうな風景だ》と描いたり、各地に点在していたという前方後円墳のことをセブン ー イレブンがお店に掲げるロゴマークに見立てたり(だから古代政権はフランチャイズ運営)。他にも、国家の原点として参照されることの多い「明治維新」のことを《つまり「ジョブズのいた頃のアップル」のようなものだ》と書いたり、今年開催されるはずだった東京オリンピック・パラリンピックのことを「呪い」のオリンピックと称して《古代なら大仏でも鋳造していたところだろう》と書いたり。

 

 しかし国家とは珍妙なことを考えるもので、なぜかこの時期、歌だけが作られた。
 厚生省が低出生率を受けて、「ウェルカムベビーキャンペーン実行委員会」を結成、その趣旨に賛同したアーティストが集まり、「僕らが生まれた あの日のように」という歌が発表されたのである。
 1993年、小田和正や飛鳥涼といった人気アーティストが参加したシングルCDは80万枚以上の売上を記録するものの、残念ながら歌の力で少子化が止まることはなかった。当たり前だ。

 

 通史編「7  日本はいつ『終わる』のか」より。団塊ジュニア(ぎりぎり私も)による起死回生の「第3次ベビーブーム」を「大惨事ベビーブーム」にしてしまった厚生省のアベノマスク的な大罪。少子化を止められなかった「僕らが生まれた  あの日のように(USED TO BE A CHILD)」という一曲、検索してみてください。お花畑です。

 

 人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。

 

 すなわち歴史は細かく見るとややこしいが、俯瞰で見るとおもしろい。そういった一冊といえるでしょうか。固有名詞に頼らずとも、読んでいておもしろい。おもしろいから、挫折しない。40人の児童に対して、担任は1人。だから個に応じた指導はシステム的に限界があるけど、関係性を整えていく学級づくりならおもしろい。おもしろいから挫折しない。

 

 学級も俯瞰で見るとおもしろい。

 

 細かく見るのはそれからだ。