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猪瀬直樹 著『黒船の世紀(上) あの頃、アメリカは仮想敵国だった』より。歴史年表の「行間」を読むということ。

 日露戦争に勝利したのちにもなお、日本はロシアを恐れた。明治40年に「帝国国防方針」が定められている。山県有朋の初めの試案では、仮想敵国は徹頭徹尾ロシアであった。だが、この試案に海軍側が意義を唱え、アメリカを仮想敵国に加えさせた。アメリカの海軍力が新しい脅威として意識されはじめたのである。
 日韓併合、中国大陸侵略、だから日米戦争と事項を列挙するだけでは、相互の脈絡を見出すことはできない。中国侵略イコール日米戦争の惹起、ではない。日米戦争は白船以来、幻想の中で開始されていたのである。日韓併合というハードは記録されるが、白船のような意識の上の、ソフトとしての出来事は歴史叙述から抜け落ちやすい。
(猪瀬直樹『黒船の世紀(上) あの頃、アメリカは仮想敵国だった』中公文庫、2011)

 

 こんばんは。黒船ではなく、白船もあるって聞いたのだけど、本当かな(?)と問えば、子どもたちはすぐに検索を始めます。Chromebook が手元にあるからです。歴史の授業における一人一台端末のよさは、筆箱を開けて鉛筆を取り出すのと同じような手軽さで、教科書の行間を埋める「意識の上の、ソフトとしての出来事」にアクセスできることといえるでしょうか。Chromebook が一人ひとりに配られてからというもの、子どもたちの調べ学習に奥行きと広がりが生じるようになったのは間違いありません。その奥行きや広がりと伴走するためにも、或いは玉石混淆の情報に子どもたちが惑わされるのを防ぐためにも、

 

 担任は、本を読む。

 

 

 猪瀬直樹さんの『黒船の世紀(上) あの頃、アメリカは仮想敵国だった』を再読しました。文庫化される前の副題は「ガイアツと日米未来戦記」です。ガイアツというのは、猪瀬さんが《たぶん近代ヨーロッパ文明の化身なのだ》と表現する「黒船」のこと。日米未来戦記というのは、そのガイアツによって生まれたシミュレーション小説の一群のことです。外圧の大きさを測るために、或いは《日本人の精神の根深い部分に植え付けられた「脅威」の正体》を探るために、

 

 著者は、日米未来戦記を読む。 

 

 日米戦争というハードは記録されても、教科書だけでは「行間」がわかりません。著者曰く《日本とアメリカが戦争する。そういう可能性について、いつ誰が考えたか。考え始めたか》。だから日米未来戦記を読む。東京五輪というハードは記録されても、TVとネットだけでは「行間」がわかりません。オリンピックの誘致に成功した東京都知事を辞任に追い込む。そういう可能性について、いつ誰が考えたか。考え始めたか。だから『東京の敵』を読む。そういうことです。

 

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 親類縁者でもなく母校出身者でもなく顔見知りでもない人間が、同じ国という理由だけでオリンピックで活躍するのを応援し、ついつい昂奮してしまうのはなぜか、と。肉体の極限を求めるスポーツが美しいからではなく、一体感に浸る数少ない機会だからではないのか。
 誰も明快に答えることはできない。
 だから僕は、ここに登場する人びとを選んだ。
 彼らは抽象的な危機意識の聖火ランナーたちである。
 黒船を差し向けた国と黒船を迎えた国に、それぞれ危機意識の導火線に点火する役割を果たす人物が登場する。

  

 その人物とは、日米未来戦記のひながたとなった『次の一戦』(1914)の著者である水野広徳(1875-1945)と、辛亥革命の指導者孫文から「リー将軍」と呼ばれた米国人ホーマー・リー(1876-1912)を指します。

 軍人の水野は『次の一戦』で、リー将軍は『無知の勇気』(1909)で、これから起きるかもしれない日米戦争をリアルに描き出します。共通点はどちらも亡国の危機意識を執筆動機としているところ。だから水野は日本の敗北を予想し、リー将軍は米国の敗北を予想します。

 冒頭の「白船」の目的は、米国の海軍力を世界中、特に日露戦争に勝ったばかりの大日本帝国(日本)に誇示することでした。黒船のトラウマを抱える日本が米国を恐れるのは当然として、米国もまた、力を誇示する必要があるくらいには日本を恐れていたということです。

 二人の作品は「日本と米国が戦争する」という想像力の震源地となり、抽象的な危機意識の聖火ランナーに次々とバトンを渡すことになります。猪瀬さんの書棚には《古書店で蒐集した膨大な量の日米未来戦記が並んでいる》とのこと。歴史年表の「行間」には、膨大な量の日米未来戦記が隠れていたというわけです。教育用語でいえば、信頼ベースのクラスづくりではなく、

 

 不安ベースの国づくり。

 

 うまくいくわけがありません。日本は、日米未来戦記が醸成した不安ベースの一体感によって、悲惨な戦争の道へと突き進んでいきます。国レベルの学級崩壊です。その様子は『黒船の世紀(下) あの頃、アメリカは仮想敵国だった』の第Ⅲ部「物語と現実の交錯」に詳しい。ちなみに上下巻の目次は以下。

 

 プロローグ
 第Ⅰ部 太平洋へ向かうベクトル
 第Ⅱ部 日米未来戦記の流行
 第Ⅲ部 物語と現実の交錯
 エピローグ

 第Ⅱ部の途中までが上巻で、その後が下巻です。下巻は目下、再読中。芥川龍之介を勝手にライヴァル視していた赤木桁平(池崎忠孝)の『米国怖るるに足らず』や、戦争の発端は日本海軍の奇襲攻撃に間違いないと予言していた、英国人ヘクター・C・バイウォーターの『太平洋大戦争』など、下巻においても日米未来戦記の流行は続きます。上下巻とも読み応えたっぷり。水野広徳、ホーマー・リー、赤木桁平、そしてヘクター・C・バイウォーターと、彼らの生い立ちも読み応えたっぷりで、さすが作家評伝三部作を書いた猪瀬さんだな、と。

 

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 小池都知事不在(静養中)の中、五輪未来戦記が続いています。いったい、行間には何が隠れているのでしょうか。あの頃、東京都知事は猪瀬直樹さんだった。

 

 カムバック。

 

 

 

此一戦

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