本作は、ブータンのさまざまな話を継承したいという想いから生まれました。この映画のストーリーのあらゆる要素は、私がブータン中を旅したときに聞いたエピソードや、出会った人々がベースになっています。そこにこそ、ブータンという国の本当の ”価値” が宿っているのではないかと私は考えたのです。私は、これからを生きる世代がブータンの独自性を忘れないでほしい、という思いを込めてこの作品をつくりました。
(劇場用パンフレット『ブータン 山の教室』ドマ、2021)
こんにちは。引用は、映画『ブータン 山の教室』のパオ・チョニン・ドルジ監督の言葉です。ブータンといえば、そしてドルジといえば、伊坂幸太郎さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』に出てくるキンレィ・ドルジを思い出すのではないでしょうか。
えっ、思い出さない?
そうですね、では、簡単に紹介します。伊坂さんの小説に登場するキンレィ・ドルジは「ソウデスネ」が口癖の留学生です。音感に恵まれ、日本語の習得がとっても早く、ブータンでは《飲み屋で歌を歌ってお金をもらっていた》こともあったとのこと。そうです。歌い手というところが、シェラップ・ドルジが演じたウゲン先生と同じなんです。またドルジだ(!)という話はさておき、劇場用パンフレットの表紙にもギターを手にしたウゲン先生が映っていて、歌がこの映画のモチーフのひとつとなっていることがわかります。
先日、映画『ブータン 山の教室』(パオ・チョニン・ドルジ監督作品)を観ました。歌手になってオーストラリアに行くことを夢見ているウゲン先生が、標高4800mの地にあるルナナの村の小学校に赴任し、変わっていく、という成長譚です。行って帰るという物語の構造でいえば、行くときにはデモシカ教師。そして春夏秋と過ごして帰るときには、
未来に触れる教師。
ウゲン先生の教え子のひとり(♂)が「将来は先生になりたいです」と発言し、その理由を「先生は未来に触れることができるからです」と説明します。デモシカ教師だったウゲン先生が未来に触れる教師へと変わっていったのは、たった9人の教え子たちを含め、人口わずか56人のルナナの村の人たちが敬意をもって彼に接し、彼がその敬意に応えたからです。ラインやフォートナイトでのトラブルを学校のせいにして責任転嫁するような村人は一人もいません。そもそも電気すら通っていません。
教師は初めから教師なのではない。子どもたちが教師を育てる。地域の人が育てるのだと改めて思った。ウゲン先生も私も育てられたのだ。
— CountryTeacher (@HereticsStar) June 19, 2021
映画『ブータン 山の教室』(パオ・チョニン・ドルジ監督)のパンフレットより。元教員の名取弘文さんの言葉。共感。保護者と教師みんなで観たい映画ですφ(..) pic.twitter.com/Dn5Sr0w4B1
山の教室ではなく海の教室ですが、私の初任校も僻地手当がつくような辺鄙なところにあったので、この「育てられたのだ」という感覚がよくわかります。映画では、実際にルナナで暮らす村の人たちが俳優として起用されていて、その純粋さが漁師町で出会った子どもたちや町の人たちと重なり、懐かしいな、と。私もそこで「語るべき物語」をいただいたな、と。
デモシカ教師から脱皮し、未来に触れることができるようになったウゲン先生も、映画のラスト、ネタバレですが、ギターを持ってオーストラリアへと旅立ち、ルナナで得た「語るべき物語」を歌にして表現します。ヤクに捧げる歌と題されたその伝統歌が、先進国が体現している未来に疑問符を投げかけるというラストです。ルナナの今こそが未来なのではないか、と。
この国は世界で一番幸せな国と言われているそうです。それなのに、先生のように国の未来を担う人が幸せを求めて外国に行くんですね。
ルナナの村長の嘆きです。ブータンは国民総所得(GNP)よりも国民総幸福(GNH)を尊重する国として知られています。
国民総所得=Gross National Income
国民総幸福=Gross National Happiness
すでに幸せなのに、その幸せには気付かずに若者が去ってしまうという構図は、いわゆる「村を捨てる学力」と同じです。地方の高校で生徒会長を務めるような優秀な若者は地元に残らない。映画でいえば、クラスのリーダー役で、映画の印象を決定づけているといっても過言ではないペム・ザムさん(♀)は、きっと残らない。つまり村を捨てる学力ではなく、村を育てる学力をつけていかなければいけないという話。これからを生きる世代がブータンの独自性を忘れないでほしいと願ったドルジ監督も、国を捨てる教育ではなく、国を育てる教育の在り方を考えているのではないでしょうか。
ちなみにペム・ザムさんというのは、公式サイトの表紙に使われているこの子です。予告を観ればわかりますが、存在感が半端ではありません。撮影中、印象的だったことはありますか(?)というインタビュアーの問いに対し、ドルジ監督は《ルナナで暮らす少女、ペム・ザムが出ているすべてのシーンです》と答えています。
「ブータンってそんなにいい場所なの?」
(中略)
「自分のことだけじゃなくて、他人のことを祈るっていうのは本当?」
伊坂さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』より。自分のことだけじゃなくて、他人のことを祈る。歌も教育も、自分のことだけじゃなくて、他人のことを祈るためにあってほしい。小学校の道徳の教科書に載っている西岡京治さんも祈りの人です。
ブータンの朝日に夢をのせて。
祈り。