もっとも好奇心を磨くのなら、旅行に行く場所も厳選しなければならない。
私は家族旅行では、変化率の高い街にしか行かなかった。
(中略)
娘が大きくなってから、「ウチの親は先進国に連れていってくれたことはないんです。話のネタづくりのために、小さい娘をケニアやネパールに連れていったんですよ」と、話題を提供できるようにするためである。そう、娘のネタづくりのために、家族旅行には不向きな国をわざわざ選んで行ったのである。
(成毛眞『40歳を過ぎたら、三日坊主でいい。』PHP、2013)
こんばんは。変化率の高い国といえば、例えばブータン。大学の遠い同窓である小説家の伊坂幸太郎さんは、10代のときに家族でブータンに行ったそうです。以前、対談集か何かで読みました。ハワイでもなく、グアムでもなく、ブータン。ほとんど鎖国状態の国に、家族で。しかもたしか、母親の提案で。ベストセラー作家を生むような家庭は違うなぁ、とそのとき思いました。成毛さんの家族もそうですが、
子どもの前に、親が好奇心にあふれている。
ケニアやネパールと同様、ブータンも成毛さんいうところの変化率の高い街をいくつも抱えています。すなわちネタになる国。それは後に伊坂さんが自身の小説にブータン人を登場させていることからもわかるし、普通に考えてもわかります。だって、ブータンですよ、ブータン。普通は行かないし、行けない。
とにもかくにも、成毛さんの娘さんがケニアやネパールで話のネタをつくったのと同じように、伊坂さんはブータンに行き、好奇心が磨かれ、小説のネタとなる話題を掴んだ。外国にせよ国内にせよ、変化率の高い街に行けば、そういった「豊かさ」が期待できます。
豊かさとは何か。
教員志望の若者は、変化率の高い「日本の町」を目指せばいい。先日、氏岡真弓さんのツイートを読んで、そう思いました。
教員のなり手が減っている。採用試験の受験者が減少し、非正規教員も不足。静かな危機について今朝の新聞で解説をかきました。教員になることを迷ったりやめたりした21人の学生は全員が理由に長時間労働を挙げました。
— 氏岡 真弓 (@ujioka) October 6, 2019
なり手が減っていることをチャンスととらえられるかどうか。ケニアやネパールやブータンに行けることをチャンスととらえられるかどうか。
目指せ、変化率の高い「日本の町」の小学校。
例えば、捕鯨で有名な和歌山県の太地町。2年前に家族で訪ねましたが、この町で3年くらい先生ができるのであれば、喜んで行きたい。若者にも勧めたい。太地は、そこで昔から行われている「追い込み漁」が、映画『ザ・コーブ』(ルイ・シホヨス 監督)で糾弾され、世界的な論争に巻き込まれることになった「変化率の高い」町だからです。
太地町は『ザ・コーブ』に続いて、『おクジラさま ~ふたつの正義の物語~』という映画でも取り上げられます。アカデミー賞を受賞した映画『ザ・コーブ』が、「捕鯨を守りたい日本人」VS「捕鯨を止めさせたい外国人」という、「悪魔」VS「神様」みたいな単純な二項対立を提示したのに対して、日本人である佐々木芽生さんが監督した映画『おクジラさま』は、世界って複雑でおもしろい(!)という、八百万神みたいなダイバーシティの豊かさを提示してくれる作品です。
映画『おクジラさま』に出てくるアメリカ人ジャーナリストのジェイ・アラバスターは「住んでみなければわからない」と考え、1年だけですが太地町に住み、常駐的旅行者という立場で太地の人々と積極的に関わります。白眉は彼の最後のコメント。ジェイ曰く「鯨やイルカが絶滅危惧種だと言うけれど、ほんとうに絶滅の危機に瀕しているのは、太地のような小さな町だ」。
私が最初に赴任した田舎の町は、その3年後、市町村合併のためになくなりました。田舎教師としての私を育ててくれたその町の小学校も、東北の震災の後に閉校に追い込まれ、なくなりました。まさに絶滅の危機に瀕した町&小学校でした。でも、だからこそ、あの町、あの小学校で、人生のひとときを過ごすことができてしあわせだったなぁ、と思います。
変化率の高い町。
もしも私がいま新卒だったら、こんな町で「田舎教師」として働いてみたい(!)と思うところがたくさんあります。
都会で生まれ、都会で育った教員志望者は、採用試験をいくつか受け、◯◯県△△町まで決まった段階で、合格した中から変化率の高そうなところを選べばいい。採用試験の面接のときに「都会とは真逆のところに行きたい。行けないのであれば辞退します」と言えば、なり手がいないのだから、行ける可能性はグッと高くなります。行ってみて合わなければ辞めればいいし、都会はさらに倍率が低いから、いつでも戻ってこられます。何よりも「行ってみたこと」は人生のちょっとしたネタになりますから。
多くの会社は、思考停止に陥っているだけだ。国が進める「働き方改革」に期待するのではなく、自らどんどん仕組みを変えていくべきだ。
(成毛眞『一秒で捨てろ!』PHPビジネス新書)
大学の遠い遠い同窓である政治家の枝野幸男さんが、昨日の衆議院で、野党による代表質問のときに「変形労働時間制の問題」や「給特法の抜本改正」について言及していました。がんばってほしいところですが、現在の野党に力があるとは思えず、おそらくは現場の教員が望んでいない方向に国は動いていくのだろうなと、暗澹たる気持ちになります。
国が進める「働き方改革」には期待できません。都会の小学校は今後も長時間労働が続くでしょう。教職員の人数が多いために、教員の「現状維持バイアス」がかかりやすく、また、トップダウンの組織形態のために校長の「生存者バイアス」もかかりやすいからです。だから成毛さんが言うように、思考停止に陥ることなく、自らどんどん仕組みを変えていくべきです。その仕組みの中に、田舎の小学校という選択肢があったっていい。長時間労働も(あまり)ないし。
人生100年時代。
一度くらい「変化率の高い町」に住むのも、悪くないと思いますよ。田舎の町の魅力は、住んでみなければわからないですから。40歳を過ぎたら、きっと、その魅力を懐かしく思い出します。
今と同じくらい、しあわせだったなって。