田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『明日も夕焼け』より。泣きごとは必ず云うな。

 君の自主性を尊重するとか、自分で考え給えとか、格好がよいけれど決断という負担を単に押しつけているだけで、とても無責任なのである。確固とした価値観がなく臆病でなにかから逃げているだけにすぎないのに、ものわかりがよいふりをしている。
 ときには、駄目なものは駄目だ、と断定してあげたほうが子供たちはよほど気が楽である。だから暁仙和尚は「子の云うことはハ、九きくな」とした。ただし、一、二を残すところが味噌。妥協は心得ている。「親父の小言」が滅びなかったのは通俗性の底の深さであろう。

(猪瀬直樹『明日も夕焼け』朝日新聞社、2000)

 

 こんばんは。今日は父の日です。父の日が近かったから、というわけではありませんが、先週、通勤(🚃)のお供に選んだ本がたまたま「親父の小言」を肴にしたエッセイ集で、「タイムリーだな」と。タイムリーすぎて、偶然ではなく必然だったのかもしれない。そう思った理由は最後に書きます。

 

明日も夕焼け

明日も夕焼け

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 猪瀬直樹さんの『明日も夕焼け』を再読しました。曰く《どうも僕の世代は、父親の演じ方が下手なのである》と嘆く著者が、子育て(♀、♂)を終えようとしていた50代の半ばに「自身の半生、及び自身の生きてきた時代」を問い直したエッセイ集です。授業でいうところの振り返りの視点は、

 

 親父の小言。

 

 旧相馬藩大聖寺の僧正だった暁仙和尚が残したとされる36ヵ条の「親父の小言」です。「貧乏を苦にするな」、「人には腹を立てるな」、「人の苦労を助けてやれ」、等々。冒頭の「子の云うことはハ、九きくな」を含め、保護者にも伝えたい小言の数々が、猪瀬さんの半生と相まって、記憶のあちこちに刺さりまくります。断定しますが、収録されている40編のエッセイのどれもが、

 

 深い。

 

 例えば「活字で心を洗う」と名付けられたエッセイに登場する「水はたやさぬようにしろ」&「塩もたやすな」という小言。暁仙和尚が残したこの言葉を、猪瀬さんは現代に置き換えて「情報をたやすな」と解釈します。

 

 メディアの情報のかなり多くの部分は、選ぶノウハウがないかぎり、ただのノイズなのだ。だから情報の海で溺れかけた生徒たちを救出するためには、いったんすべての情報を遮断して、透明度の高い言葉=活字によって心を洗ってやるしかない。情報の質の復権である。あえて、子供の自主性ではなく強制こそ大切と思え。

 

 情報の海で溺れた都民が猪瀬さんをサポートできなかったことは、純度の高い言葉で書かれた猪瀬さんの『東京の敵』を読むとよくわかります。つまりそういうことです。

 

 本を読め、と。

 

 大人が本を読まなかったら子どもが本を読むわけはない、と。大人が本を読まなかったらファクトとロジックの大切さもわからなくなる、と。

 

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 引用に「強制」とありますが、その例として、猪瀬さんは「十分間読書運動」を取り上げています。いわゆる朝読書のことです。曰く《文部省は十分間読書を正課にしたらよい》云々。ちなみに猪瀬さんといえば、ビブリオバトルの普及にも一役というか二役も三役も買っていたファクトがあって、きっと「ビブリオバトルも正課にしたらよい」と思っていたに違いありません。

 先週、中学生の次女が校内のビブリオバトルで準優勝したと喜んでいました。パパも嬉しい。暁仙和尚曰く「義理は必ず欠くな」。猪瀬さんをはじめとするビブリオバトルの普及に努めた人たちへの感謝をここに開陳します。

 

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「年寄りをいたわれ」

 

 親父の小言をもうひとつ。これは「ぼくの夏の教室」と名付けられたエッセイの最後に出てきます。この小言とコラボしているのは、大学卒業後、就職試験を受けずに人生の道草を食っていたという猪瀬さんが、建設現場で働いていたときのエピソードです。

 

 外は夕立が降っていて、室内は湿っぽい空気がよどんでいた。学生アルバイトの点呼をしながら、コンクリートの塊をよけ、鉄柱と鉄柱の間を抜け、階段を降りて行くと、暗がりに老いた作業員がうずくまっていた。

 

 老いた作業員というのは、ノモンハンからの帰還兵です。村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』にも登場していたかもしれないっていう想像はさておき、猪瀬さんは《よく生還できましたねえ》といたわりの言葉をかけます。暁仙和尚の「親父の小言」を知っていたからではありません。モンゴル平原の国境で、軍部がアホなことをしたという、あまり知られていなかった歴史を知っていたからです。古典を通してそのファクトを知っていたからこそ、年長世代ともつながることができた。そして《この日のように僕の教室はあちこちに在った》と振り返ることができた。

 

 他者とつながるためには歴史を共有しなければならない。古典を読むことは空気を吸うことと同じくらいに不可欠なのだ。

 

 あとがきに書かれている、猪瀬さんの「親父の小言」です。古典を読め、と。ここでいう古典とは、源氏物語やら方丈記やらではなく「あなたが生まれる前に出た本」のこと。教員は、子どもたちに「他者とつながる力をつけてほしい」と願います。猪瀬さんの小言を踏まえれば、だからこそ子どもたちには本を読んでほしい。ロジックとしてはそうなります。そしてその延長で、日本の近代と対峙し続けた、猪瀬さんの本も読んでほしい。ミカド三部作をはじめ、子どもたちにとってはどれもが宝物のような古典だからです。

 

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父の日

 

 本、持っていきなよ。

 

 父の日の今日、入院したら何もすることがないだろうと思い、病院に連れて行く前に父にそう話しました。断られてしまいましたが。

 父は1944年生まれ。猪瀬さんは1946年生まれ。父の小言は「お母さんを大切にしろ」。77歳の父も、猪瀬さんと同様に《どうも僕の世代は、父親の演じ方が下手なのである》と思っているかもしれません。先週、鞄に『明日も夕焼け』を入れて出勤したその日の夜、母から連絡があり、父の病気を知りました。青天の霹靂。癌家系ではないのにな。明日、手術です。

 

 泣きごとは必ず云うな。

 

 祈り。