田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 編著『ノンフィクション宣言』より。人生はつねに前進しているようで同時に取り返し得ぬものを増やしている。

編集者 猪瀬さんのインタビュー・ノンフィクションの対象になる人って、そういえば若い人がいない。
〇 "青少年" はやたら希望をさえずるの。つまらないの。ところが年配の人の話って、取り返しのつかない人生について語っているからペーソスがある。おっと、僕もうっかり取り返しのつかない人生を語りそうになってしまった。
(猪瀬直樹 編著『ノンフィクション宣言』文春文庫、1992)

 

 おはようございます。ペーソスという言葉を目にしたのは久し振りです。高校生の長女と中学生の次女に「知ってる?」と訊ねたところ、予想通り「知らない」とのこと。

 

 ペーソス ≒ 哀愁

 

 俗に「ユーモアが人を和ませ、ペーソスが人を惹きつける」といいますが、ユーモアに較べてペーソスという言葉の存在感が希薄になったのは、取り返しのつかない人生について自覚的に語ることのできる大人が少なくなったことと「≒」のように思います。作家の猪瀬直樹さんは、その少なくなってしまった貴重な大人の一人でしょう。

 クリスマスの日の猪瀬さんの Facebook に、銀座の吉井画廊でルオーの版画を購入したという、ペーソスのあるエピソードが載っていました。

 

 僕はある作品に釘付けになり、即座にそれを注文した。
 題名は
「取り返し得ぬもの」
 そうなのです。人生はつねに前進しているようで同時に取り返し得ぬものを増やしている。

 

 似ていますよね。冒頭に引用した1988年のときのインタビューと。猪瀬さんは1946年生まれ。75歳のときに書いている文章と、42歳のときに口にしていた言葉が似ているというのは興味深く思います。つまりは「取り返しのつかない人生」というモチーフが猪瀬さんの半生をかたちづくっているのだろうな、と。関川夏央さんや沢木耕太郎さんなど、猪瀬さんと同じ敗戦直後に生まれた全共闘世代のノンフィクションの書き手たちも「≒」でしょうか。

 

 

 猪瀬直樹さんが「インタビュー+編集」をしている『ノンフィクション宣言』を読みました。猪瀬さんをはじめとする名だたる作家さんたちの「40代前半」のリアルが垣間見える作品です。猪瀬さん曰く《僕はノンフィクション作品とその担い手たちを〈世代〉で語ってみる誘惑にかられていた》云々。

 

 目次は以下。

 

 足立倫行 篇「耳かき曲線」
 山根一真 篇「変体ジムショ術」
 吉岡忍 篇「黄昏時の頭痛」
 関川夏央 篇「路傍の石と意思」
 青木冨貴子 篇「感嘆ニューヨーク」
 沢木耕太郎 篇「アマチュア往来」
 猪瀬直樹 篇「ボクとキミの二十歳」
 あとがき
 三年後のあとがき〈全共闘世代の「ストイシズム」について〉

 

 それぞれのインタビューのあとにエッセイが2編ずつ収録されています。もちろんインタビューを受けた作家さんたちが書いたエッセイです。これがまたどれもペーソスのある作品で、素晴らしい。

 

 例えば、足立倫行さんの「五月のシルエット」。

 

 僕は、三年近い海外放浪の中で何度か人間の死に出会っているので、死体そのものに恐怖はない。でも、死んだのが子供で両親がその死を知らず日常生活を続けている事実、これは恐かった。息子のミルク代を稼ぐため悪戦苦闘している自分に置き換えてみると、身震いするくらいに恐い。しかも "事件" は、僕の家の真ん前で起きたのだ。

 

 例えば、吉岡忍さんの「一年分のエスプリ」。

 

 どうしてです? 何人もの女性を不幸にした男を、どうして愛したりするんです?
 検事はムキになっていた。そして、ムキになればなるほど、彼と彼が依存する法律体系の通俗性や価値規範が露呈するようだった。この質問に対する彼女の返事がよかった。彼女は一言で、法廷を支配している通俗性をひっくり返してみせた。
「検事さん、愛に理由はありますか」

 

 足立さんの「五月のシルエット」は交通事故の話。吉岡さんの「一年分のエスプリ」は裁判を傍聴したときの話です。

 ペーソスほどではないものの、エスプリという言葉も目にしたり耳にしたりすることが少なくなってきたような気がします。それはきっと、検事さんのようなつまらない大人が増えているからでしょう。郷原信郎さんの本のタイトルを借りれば、「法令遵守」が日本を滅ぼす。見方を変えれば、取り返し得ぬものをシルエットとして自覚・感知する力が社会全体として弱まっているということではないでしょうか。

 

 なぜ弱まっているのか。

 

〇戦後の青春とはひとことで言えば、満州のない青春、なんだよな。同じ戦後でも、戦後生まれと戦前生まれとはちがうね。アプレーゲルといわれた僕らより前の世代は、いろんな場所で、企業でも労働組合でもどこでも未開拓の焼け跡で荒野を突っ走るような、一種創業者感覚で生きてこられた。戦後生まれの全共闘世代が大学に入って、気がついてみたら、未来はそういう連中によってセコい形で占拠されている。どっか風通しが悪い。一発穴を開けてやろうか、とこうなるね。

 

 関川夏央さんへのインタビューより。全共闘世代が青春を送っていた時代は《国家の目標と個人が離れていくとき》であり、猪瀬さんはそれを「満州のない青春」と表現しています。現在進行形の「離れていくとき」だったからこそ、満州が象徴していたものを含め、取り返し得ぬものが増えていくことにセンシティブでいられたのでしょう。国家の目標と個人が完全に離れた社会、過去形の「離れてしまった」社会をバラバラに生きている私たち後続世代が、哀愁を意味するペーソスという言葉を使えなくなるのは当然かもしれません。

 

 世代ごとに成熟の生態は違う。

 

 三年後のあとがきにそうあります。私は団塊ジュニア(1971~1974)よりも少し下の世代に属しています。ユーモアとペーソスのバランスが崩れた世代。猪瀬さんが後続世代に古典を勧めるのも、近代史を学ぶことの大切さを説くのも、バランスを整えるという文脈と無関係ではないはずです。取り返しのつかない人生について語れる大人になるために、換言すると、星をつなぐために。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 沢木耕太郎さんへのインタビューは、上記の『星をつなぐために』にも収録されています。猪瀬さんには、同じ面々での『ノンフィクション宣言2』を期待しています。

 

 ユーモアとペーソスと。

 

 これから大掃除です。