田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

川上康則 著『教室マルトリートメント』より。学校に余白を増やし、教室マルトリートメントを断つ。

前年度の先生が非常に高圧的な指導で子どもたちに物を言わせない、シーンとした一見静かな学級をつくっているのだけど、子どもたちの中では不満が鬱積している。翌年、こういう落ち着いた子たちだったら若手や病休が明けた先生に任せても大丈夫だろうということがきっかけになって、先生がかける圧が変化して、学級が崩壊したり荒れたりする現状をすごくよく見てきました。一見統率力があるように見える学級が、実はマルトリートメントに非常に近い状態を一年間経験してきているのではないか、というのが問題の出発点でした。
(川上康則『教室マルトリートメント』東洋館出版社、2022)

 

 こんばんは。日曜日に行われた参院選の投票率は52.05%だったそうです。20代は30.96%で、60代の半分以下とのこと。ほんと、どうなっているのでしょうか。

 

 教員としてはこう思います。

 

 投票に行かなかった若者たちは、小中高の教室で、担任に政治の話をしてもらったことがほとんどないのではないか。学校の先生たちは、ライフ・ワーク・バランスが崩れまくっていて、つまりライフにあたるプライベートがゼロに近くて、本すら読めず、実は政治について語るときに僕の語ることを全く持ち合わせていないのではないか。語ることがないから高圧的な指導で子どもたちを黙らせているのではないか。そういったことが問題の出発点となって、20代の3人に2人が投票に行かないという状況が生まれているのだとしたら、それはもう、教育の敗北としか思えません。政治とライフはつながっています。もしも私たち教員が、子どもたちから政治について学ぶ機会を奪ってしまっているのだとしたら、それこそ「教室マルトリートメント」or「学校マルトリートメント」といえるのではないでしょうか。

 

 

 川上康則さんの『教室マルトリートメント』を読みました。川上さんは、東京都立矢口特別支援学校に勤めている現職の先生です。マルトリートメントというのは、川上さん曰く《子どもへの不適切なかかわり全てを意味する言葉》で、もともとは親子関係の養育において扱われる概念だったとのこと。それを学校の教室に当てはめたのが、川上さんの造語である「教室マルトリートメント」です。


 mal=悪い
 treatment=扱い

 

 教室マルトリートメントの例として、川上さんは体罰やわいせつ行為に加えて、「ネグレクトに類似した指導」と「心理的虐待に類似した指導」を挙げています。

 

【ネグレクトに類似した指導】
● 励ましや称賛などをしない
● 特定の子の指名を避ける
● 支援が必要な子の合理的配慮を行わない
● 必要な授業準備を怠る
● 取り組むべき学級の課題を放置する
● 支援が必要な子を支援員や介助員に「丸投げ」
●「勝手にすれば」「さよなら」等の見捨てる言葉

 

【心理的虐待に類似した指導】
● 威圧的・高圧的な指導、力で押さえる指導
● 子どもが自信をなくすような強い叱責
● 子どもの人格を尊重しない言動
● 子どもの主体的な行動を妨げるような指導

 

 これらは、体罰やわいせつ行為と異なり、処分の対象にはなっていません。処分の対象になっていないからこそ、私たち教員はこれらの指導を「教室マルトリートメント」として認識しておかなければいけないというわけです。実際、教室マルトリートメントに相当する指導をしちゃっている教員は、結構な割合でいますから。

 

「静かでおとなしいクラス」で、何が起きている?

 

 川上さんの問いです。

 

 そういったクラスでは、しばしば「ネグレクトに類似した指導」や「心理的虐待に類似した指導」が行われているのではないか、というのが川上さんの見立てです。私の経験からいっても、おそらく正しい。

 

 そうすると、どうなるか。

 

 子どもたちを不適切に扱っているのに、教室が一見落ち着いているように見えるため、そのクラスの担任は、保護者からも管理職からも「指導力・統率力がある」という評価を得ることになります。評価を得れば、発言権や説得力が増します。同僚もその先生の威圧的なやり方を真似するようになると、学校全体で「ネグレクトに類似した指導」や「心理的虐待に類似した指導」が行われるようになります。目次にある言葉を借りれば、「圧は連鎖する」ということ。つまり、

 

 教室マルトリートメントから学校マルトリートメントへ。

 

 ちなみに目次は以下。

 

 第1章 はりつめる教室
 第2章 教師が子どもを傷つける
 第3章 圧は連鎖する
 第4章 教室マルトリートメントを防ぐ
 第5章 教室マルトリートメントを改善する
 第6章 安全基地としての学校
 終 章 教室の空気を変えていきたいあなたへ

 

 第1章から終章までの流れがとってもわかりやすい構成です。第6章と終章のあいだには、友田明美さんと川上さんの巻末対談「教師の傷を癒やし、教室マルトリートメントを断つ」が収録されていて、脳科学者の友田さん曰く、

 

学校の先生自体が、もういっぱいいっぱいなのではないでしょうか。子どもたちに必要以上に強く当たったり、ネガティブな指導をしたりすることがあるというのは、先生ご自身にノルマやデューティー(職務や義務)があまりに多すぎて、追い詰められていることが要因としてあるのではないかということを言いたいのです。

 

 これですよね、これ。だから、もしもこの本に「第0章」があったとしたら、そのタイトルは「追い詰められる教師」になるのではないでしょうか。追い詰められる教師がはりつめる教室をつくり、子どもを傷つける。そして圧は連鎖する、という流れです。つまりは入れ子構造ということ。ネグレクトに類似した指導のひとつに挙げられている「必要な授業準備を怠る」なんて、まさにそうです。怠っているのではなく、余白がなくて怠らざるを得ない。教師もマルトリートメントに近い状態を経験しているというわけです。

 

 余白って、大事。

 

 川上さんのことは、東洋館出版社 編『ポスト・コロナショックの学校で教師が考えておきたいこと』で知りました。川上さんはそこに《不謹慎な言い方かもしれませんが、もしかしたら、コロナウイルスは、ギチギチに詰め込まれていた学校に風穴を開け、ある意味では歴史上初めて学校に「余白」をもたらそうとするものだったのかもしれません》と書いています。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 学校に余白を増やし、教室マルトリートメントを断つ。

 

 教室マルトリートメントを防ぐためにも、学校に余白を。20代の投票率を上げるためにも、教師に余白を。そして高圧的な指導で静かなクラスをつくっている同僚の机上には、川上さんの『教室マルトリートメント』を。

 

 今日で10連勤です。 

 

 おやすみなさい。