田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

武田信子 著『やりすぎ教育』より。やりすぎ教育の裏にやりすぎ労働あり。ほどほど教育&ほどほど労働への変化を、見たい。

 ガンジーは、読み書きができればいいという西欧の教育観は間違っていると言い続けていました(『ガンジーの教育論』、片山佳代子訳・編、星雲社)。彼自身は高等教育まで受けた人ですが、インドの人々を学校に行かせることで、彼らがより多く生計を得るようになるという目的のみで教育を受けるのは有害であると強く訴え続けていたのです。
 ガンジーは「教育が単に、お金と交換できる商業的生産物になってしまって」いる、教育は身体的活動を通して人格を養うものであると主張していました。
(武田信子『やりすぎ教育』ポプラ新書、2021)

 

 こんばんは。運動会が近づいてきました。やりすぎ教育改め、昨年度から「午前のみ、短距離走と表現のみ」の Stylish なかたちになった運動会。クラスの子どもたちは5年生と一緒にソーラン節を踊ります。

 

 ソーラン節「を」教えるのか。
 ソーラン節「で」教えるのか。
 

 前者の立場をとればソーラン節ができればいいという教育観になり、後者の立場をとればソーラン節を通して人格を養うという教育観になります。教育観が変われば、指導も変わります。パラフレーズすると、

 

 前者 ソーラン節が目的。
 後者 ソーラン節は手段。

 

 ソーラン節に限らず、読み書きも手段にすぎない。ガンジーはそう主張しています。曰く《「読み書きができるようになった」誰もが社会や他人のために「賢く」「よい」行いをするとは限らないから》です。

 にもかかわらず、読み書きができればいいという、西欧のかつての教育観が浸透してしまっている。学習塾に代表されるように、日本の教育は《単に、お金と交換できる商業的生産物になってしまって》いる。

 

 

 それは違うぞって、98年、04年、そして10年と、国連子どもの権利委員会から継続的に指摘されているそうです。日本の教育の《過剰な競争性の問題》や《強制的な勉強の悪弊》を改善しなさいって。要は、

 

 やりすぎです。

 

 そして、働きすぎ。

 

 

 武田信子さんの『やりすぎ教育』を読みました。サブタイトルは、商品化する子どもたち。高瀬志帆さんの漫画『二月の勝者 ー絶対合格の教室ー』に「中学受験は課金ゲームです」という有名な台詞がありますが、まさにそれです。そのゲーム、我が家も巻き込まれたなぁ。

 

 目次は、以下。

 

 第1章  「成功をめざす教育」の限界
 第2章 不適切な日本の養育・教育
 第3章 子どもの育ちと基本的信頼感
 第4章 遊べない子どもが増えている
 第5章 社会で「やりすぎ教育」を予防する

 

 第1章と第2章では、その「課金ゲーム」が年々ひどくなり、教育という名の下に子どもたちへの虐待が起きているのではないか、という問題提起がなされています。武田さんはこのことを「エデュケーショナル・マルトリートメント」と名付けています。日本語にすると、教育虐待。特筆すべきは、「親が~」とか「教員が~」とか、そういった個人に対してではなく、摂食障害などと同じように、社会の価値観が生む現象としてこの問題を捉えているところです。

 

 問題にはつねに、それを生み出す構造がある。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 私は不登校や引きこもりの問題がほとんど起きていない海外の学校をたくさん訪問してきました。~中略~。多くの学校で宿題や画一的な評価はほとんどなく、受験も厳しくなく、生徒たちの比較は行われていませんでした。いじめはどこの国でもありましたが、不登校や引きこもりの現象はほぼありませんでした。

 

 宿題や画一的な評価(通知表など)がほとんどなく、受験も厳しくなく、みんな違ってみんないいも絵空事ではなく、つまり「やりすぎ教育」ではない「ほどほど教育」であれば、不登校や引きこもりの問題はほとんど起きないということです。そしておそらくは「#教師のバトン」のような問題も起こりえないでしょう。ほどほど教育とほどほど労働はセットだからです。逆にいうと、


 やりすぎ教育の裏にやりすぎ労働あり。

 

 だから宿題も通知表もなしにしましょうって、やりすぎ教育とやりすぎ労働をセットで防止すべく、そう提案したところ、保護者には文句を言われるし、管理職には「そんな勇気はない」って言われるし、やれやれ。みなさん思考力が不足しているのでしょうか。それとも私のコミュニケーション能力が不足しているのでしょうか。6時間授業の後に宿題をやってそれから学習塾に行くなんていう生活をしていたら、第4章にあるように、遊べない子どもが増えるのは当然なのに。

 

 小学6年生の半数近くが、土日も含めて放課後に1日平均2時間以上勉強しています。これはつまり、その分、日常の生活体験や遊びの時間、自分で自由に考えて動く時間が少なくなっているということです。それで彼らの思考力や対人コミュニケーション能力の不足が指摘されるのは理不尽です。

 

 ガンジーが危惧していたのはそういったことでしょう。読み書きができればいいという教育観では、思考力やコミュニケーション能力の育成を含む「身体的活動を通した人格形成」が疎かになってしまいます。日本の教育の《過剰な競争性の問題》や《強制的な勉強の悪弊》を改善しない限り、生活経験を欠いた頭でっかちばかりが育ってしまって、心でっかちはなかなか育ちません。結果、日本の子どもの精神的幸福度は、参加38か国中37位(2020年、ユニセフ調査)。では、どうすればいいのか。

 

一人の子どもを育てるに一つの村が必要

 

 第3章に紹介されているアフリカの諺です。もっと多くの大人が、子どもとの関わりを学んで、子どもがよりよく育つための環境をつくっていかなければいけないということです。親任せ、担任任せではいけない。社会全体で、エデュケーショナル・マルトリートメントをなんとかしなければいけない。より具体的なアイデアは第5章をお読みください φ(..)

 

www.countryteacher.tokyo

 

 やりすぎ労働のためでしょうか。先週は土曜授業がなかったのに、疲れがとれません。運動会まで、体力がもちますように。あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。これもガンジーの言葉です。

 

 ほどほど教育&ほどほど労働への変化を、見たい。

 

 おやすみなさい。 

 

ガンジーの教育論

ガンジーの教育論

Amazon