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佐伯夕利子 著『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』より。この本を学習指導要領の総則にしてほしい。

 自分で考え、主張できる文化へと変わらない限り、サッカーの練習に来た子どもに「自分で考えろ」と命じてもハードルが高いでしょう。学校の教室が変わらなければ、根本的なことは変わらない。スポーツも社会も、その基盤は教育なのです。
(佐伯夕利子『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』小学館新書、2021)

 

 こんばんは。久保建英選手があのままビジャレアルに残っていたら、そしてヘタフェを残留に導いたあの試合ではなく、ヨーロッパリーグ(EL)の決勝戦であの鮮やかなミドルを決めていれば、クラブ史上初のビッグタイトルを獲得したメンバーの一人としてスポットライトが当たり、相乗効果で佐伯夕利子さんの『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』にもさらにスポットライトが当たり、同著に書かれている「日本の教育の問題」にもさらにさらにスポットライトが当たったかもしれない。そして日本の学校の教室が変わるきっかけになったかもしれない。

 

 そう考えると、ホント、残念です。

 

 あまりにも残念なので、教えちゃいます。教えないスキルとありますが、こっそり教えちゃいます。この本、大当たりです φ(..)

 

 

 佐伯夕利子さんの『教えないスキル ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術』を読みました。ビジャレアルの育成部で活躍したり(08年~)、リーガ・エスパニョーラ3部「プエルタ・ボニータ」の監督を務めたり(03年~)、イランのテヘランで生まれたり(73年)って、それはそれはユニークな人生を送っている著者の佐伯さん。現在は日本プロサッカーリーグの常勤理事のポストに就いているそうです。

 

 情熱とサッカーボールを抱きしめて。

 

 終章に書かれている、19歳のときのエピソードがふるっています。佐伯さんはスペインフットボール協会に電話をかけ《「指導者になりたいので、ライセンス講習を受けたいです。ただ、もうわかっていると思うのですが、私は外国人です。それから年齢がまだ19歳です。しかも、女性です。大丈夫でしょうか?」》と問い合わせたとのこと。これこそが目指す児童像、否、目指す日本人像ではないでしょうか。主体的・対話的に深く生きる!

 

 目次です。

 

 序 章 持続可能な人材育成を目指して
 第1章 自分の言動に意識をもつ
 第2章 「問い」を投げる
 第3章 パフォーマンスを生む言葉を選ぶ
 第4章 伸ばしたい相手を知る
 第5章 丸テーブルに変える
 第6章 「教えない」スキルを磨く
 第7章 認知力を育てる
 終 章 好きだからこそ本質を探究したい

 サブタイトルにある「7つの人材育成術」が、第1章~第7章に対応しています。ビジャレアルの育成部で「ビジャレアルCF人格形成プロジェクト」に携わり、指導改革に没頭したという佐伯さん。そこで構築したメソッドが「7つの人材育成術」というわけです。ざっと説明すると、以下。

 自分の言動に意識をもつと言葉が精選され、言葉に載せた意図が伝わるようになります。指示ではなく「問い」を投げると、選手が考え、判断するようになります。精選された言葉と「問い」は、選手のパフォーマンスを向上させます。伸ばしたい相手を全方位的に知ることができれば、フットボーラーではなく「人」を育てることができます。そして人格形成はフットボーラーとしての進化を促進させます。普段の様子を知るために、ビジャレアルのコーチは学校の職員会議にも出席するとのこと。監督がホワイトボードを使って説明するのではなく、丸テーブルで選手同士が学び合えば、学習効果を高めることができます。「教える」の主語は指導者です。「学ぶ」の主語は選手です。主役はどちらですか(?)。だから私たちには「教えない」スキルを磨く必要があります。教えないから選手は考え、そして学びます。あれをしちゃダメ、これをしちゃダメって「教えない」から、認知力だって向上します。

 

 お気づきでしょうか。

 

 これはジョン・デューイの児童中心主義につながるな、これは佐藤学さんの学びの共同体につながるな、これは西川純さんの『学び合い』につながるな、これは米澤晋也さんの指示ゼロ経営につながるな、等々。7つの人材育成術には、私が勝手に思っている「目指す学校像」に重なるところがたくさんあります。上記の「ざっと」には含まれていませんが、曰く《サッカーの練習時間と大人の労働時間を比較すると、比例しているかもしれません。スペインは、8時間労働で基本的に残業をしないのが一般的です》のように、私が勝手に思っている「目指す働き方像」につながる言及もあります。

  

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 第1章より。

「結局さ、誰かが『はい、こうこう、こうしますよ』ってみんなに指示を出すことで、何が得られるのかな?」

 

 同じく第1章より。

 積極的にレクチャーしたり、セミナーを開くこともありません。完全に裏方に徹していました。彼らは事あるごとに「自分たちは答えをもっている人間ではないし、問題を解決する仕事でもないのよ」と話していました。自分たちで気づいたものを学びにしなさい、というわけです。

 

 これです、これ。目指す教師像。可能であれば、この『教えないスキル』を学習指導要領の総則にしたいくらいです。そうすれば、佐伯さんやビジャレアルの選手たちのように「主体的・対話的で深く学ぶ」ことのできる大人が育つかもしれません。

 現状がそうなっていないのは、佐伯さんの指導者仲間のひとり(別競技)である守屋志保さんがいうように《「日本(のスポーツ界)には、一生懸命に頑張る文化はあるけれど、選手が自ら考えて行動する文化がなさすぎる」》からでしょう。そして、なぜ「なさすぎる」のかといえば、それは学校の教室が「指示」にあふれていて、先生たちの興味・関心が「教えるスキル」に偏っているからでしょう。

 

 国民性は小学校の教室から作られている。

 

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 第2章より。

 アスリートが育つのは、学校の教室からだと考えます。教室で行われていることが、彼らの人格が形成されていく過程でとても大きな影響を与えています。

 

 結局、教育。やっぱり、学校。佐伯さんの本を読んで、がんばろうって、そう思えました。やはり社会を変えていくには「学校の教室」を何とかしないといけないんです。やりすぎ教育で、一クラスの人数が多くて、構造的に「指示無限経営」になっている学校を何とかしなければいけないんです。

 

 だからビジャレアルに学ぶ。

 

 おやすみなさい。