田舎教師ときどき都会教師

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デューイ 著、宮原誠一 訳『学校と社会』より。もしデューイがあなたの学校にいたとしたら、何を想うか。

 私は旧教育の類型的な諸点、すなわち、旧教育は子どもたちの態度を受動的にすること、子どもたちを機械的に集団化すること、カリキュラムと教育方法が画一的であることをあきらかにするために、いくぶん誇張して述べてきたかもしれない。旧教育は、これを要約すれば、重力の中心が子どもたち以外にあるという一言につきる。重力の中心が、教師・教科書、その他どこであろうとよいが、とにかく子ども自身の直接の本能と活動以外のところにある。それでゆくなら、子どもの生活はあまり問題にならない。子どもの学習については多くのことが語られるかもしれない。しかし、学校はそこで子どもが生活する場所ではない。
(デューイ 著、宮原誠一 訳『学校と社会』岩波文庫、1957)

 

 おはようございます。8月のよさといえば、重力の中心が仕事以外にあるという一言につきます。逆にいえば、8月以外は重力の中心が仕事にあるということです。しかも常時3Gくらい。スペースシャトルの発射から大気圏突入までの間の加速度の最大値が3Gです。誇張ではありません。9月から7月まで、教員はそれくらいの加速度で仕事をし続けます。

 

 だから病む。

 

 

 だから死ぬ。

 

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 繰り返しますが、誇張ではありません。以下に、私たち後輩が病まないよう、死なないよう、言い換えれば、子どもたちの学習環境(=教員の労働環境)がまともなものになるよう、さらに言い換えれば「学校と社会」がよりよいものになるよう、怒りの声を上げている先輩の言葉を引きます。

 

 裁判長が何を言っているか自分には分からなかった。私は時間外勤務をさせられている。私たち教員の仕事は勤務時間内では終わらない。これは事実だ。この事実から目をそらして、行政が認めようとしないから先生たちが病んでいく。教員になりたいと思う人がいなくなる。日本中どこでも時間外勤務をさせられている。事実を事実として認めるのが裁判の原則だ。私は東京高裁に判断を委ねたが、事実を事実として認めない以上、裁判長の判断は誤りだとするしかない。私は判決を最高裁に委ねる。

 

 先週、8月25日に下された不当判決後に傍聴者や記者団に語った、埼玉超勤訴訟原告・田中まさおさん(仮名)の報告(教育新聞/2022.8.25)より。ファクト不在のロジックは日本を滅ぼします。草葉の陰から見守っているであろう大先輩ことジョン・デューイもそう思っているでしょう。

 

 

 デューイの『学校と社会』を再読しました。原著の初版は1899年。節目節目に読み返している「ザ・古典」です。もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら、ではなく、もし小学校の新任教諭がデューイの「学校と社会」を読んだら。もしドラ改め、もしデューの目次は以下。

 

 第一章 学校と、社会の進歩
 第二章 学校と、子どもの生活
 第三章 教育における浪費
 第四章 初等教育の心理学
 第五章 フレーベルの教育原理
 第六章 仕事の心理
 第七章 注意の発達
 第八章 初等教育における歴史家の目的

 訳者である宮原誠一さんによれば、原著の初版は初めの3つの章と、未収録の「シカゴ大学附属小学校の三年間」から成っていたとのこと。シカゴ大学附属小学校というのは、デューイが自らの理論を検証すべく、いくつもの「もし」をかたちにした実験学校(Laboratory School、1896-1903)です。もしカリキュラムと教育方法が多様なものになったとしたら。もし重力の中心が子どもに移ったとしたら。もし学校が子どもの生活する場所として機能するようになったとしたら。デューイは、実験が始まってから3年後の1899年に、3年間の経過を踏まえ、この特殊な学校に関心をもっている親たち+α に対して連続講演を行います。その連続講演を文章化したのが初めの3つの章です。だから第一章~第三章は、この『学校と社会』の肝。以下、肝の紹介です。

 
第一章 学校と、社会の進歩

 社会は教育よりでっかい、とは社会学者の宮台真司さんの言葉です。教育は社会よりちっちゃいけれど、学校は小型の社会、胎芽的な社会であり、でっかい社会を変える可能性を秘めていると説いたのが教育学者であり哲学者でもあるデューイです。まぁ、宮台さんも教育の重要性を多々語っているので、その大切さは誰もが認めるところでしょう。いずれにせよ、学校と社会の相互作用が、

 

 弱まってはいけない。

 

 

 社会との結びつきを感じられるような、すなわち学校を《たんにそこで子どもたちの自発的な活動がおこなわれる小社会であるばかりではなく、現代の社会生活の歴史的進歩を代表する小社会》にしていくためにはどうすればよいのか(?)という問いに対する社会的側面からの考察が書かれているのが第一章です。21世紀にも通ずる問題提起ではないでしょうか。

 

 社会とは、共通の線に沿い、共通の精神において、また共通の目的に関連してはたらきつつあるが故に結合されている、一定数の人々ということである。この共通の必要および目的が、思想の交換の増大ならびに共感の統一の増進を要求するのである。こんにちの学校が自然な社会単位として自らを組織することができないの根本的理由は、まさしくこの共通の、生産的な活動という要素が欠けているからである。

 

 学校を小社会にすべく、生産的な活動をカリキュラムに加えようという主張です。おそらく19世紀末の「旧教育」では、今でいうところの受験勉強的な学習が支配的だったのでしょう。デューイは《じつにこれが支配的な空気であるから、学校では一人の子どもが他の子どもに課業のうえで助力することは一つの罪になっているのである》とあります。これというのは《すなわち、どの子どもが最も多量の知識を貯え、集積することにおいて他の子どもたちにさきがけるのに成功したかをみるために復誦ないし試験を課して、その結果を比較すること》を指します。

 

 まるで21世紀のよう。

 

 似たような空気、まだ、ありますよね。そういった空気を打破するために、シカゴ大学附属小学校では、現代でいうところの「総合的な学習の時間」に相当する《生産的な活動》あるいは《活動的な仕事》を課業の中心に据えます。教科ではなく、テーマから入る。例えば、

 

 縫いものや織りもの。

 

 単なる「裁縫」ではありません。具体的には《繊維の研究、地理的特徴すなわち原料の生長する諸条件、製造および分配の大中心地などの研究、生産の仕掛けのなかに含まれる物理学》なども学ぶ「裁縫」です。その過程で、知識・技能の獲得へと動機づけられる「裁縫」でもあります。デューイのプラグマティズムを「実用主義、道具主義、実際主義」と訳すのは誤りで、宮台さん曰く、正しくは、

 

 動機づけ主義。

 

 動機づけに成功すれば、子どもたちは勝手に学びます。広く深く《自己指導的》に学びます。競争ではないので、社会における人々と同じように協力して学びます。つまり《活動的な仕事、自然研究、科学の初歩、芸術、歴史を学校のなかにとりいれること、単なる記号的・形式的なものを第二次的な地位に引き下げること》で、学校は社会の一部のように《自然な社会単位として自らを組織する》というわけです。そうすれば、

 

 学校と社会の結びつきは強まる。

 

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第二章 学校と、子どもの生活

 いちばん有名なのがこの第二章でしょう。第一章が《学校をその社会的側面から考察》して述べられたものとすれば、第二章は《学校をひとりひとりの子どもたちの成長との関係という側面から考察》して述べられたものです。冒頭の引用もこの第二章からとりました。太陽は教師でも教科書でもなく、子どもだ(!)という、いわゆるコペルニクス的転回を説いた一節です。

 この転回に関連して、一人の商人はこう言います。

 

「お気の毒ですが、手前どもにはお望みのような品はございません。子どもたちがなにかこうそれでもって作業をやれるようなものをお望みのようですが、ここにあるものはどれも聴講用のものでございます。」

 

 また、ある一人の婦人はこう訴えます。

 

昨日のこと、一人の婦人が私のところに来ての話に、彼女は、教師の側から知識を授けることよりも、まず子どもたちの側の活動を先にする学校、いいかえれば、知識をもとめる動機を子どもたちがもつような学校をみつけようとして、多くの学校を訪れたとのこと。

 

 数年後、デューイの大学の同僚は次のように述べます。

 

「こんにち合衆国内で、通りがかりに学校の教室の窓をのぞきこむ人は誰でも、かれらの父親や母親がかつてのぞきこんだときとはまったく異なる光景を目にしているはずである。教室は作業場のように設営され、そこでは子どもたちは机の前に釘づけなどにはなっていないのだ。子どもたちは各自のグループの仕事に立ちはたらき、教室の中をを自由に動きまわっている。・・・・・・先生はすまして生徒の暗誦をきいていたりしないのだ。先生もまた自由に生徒のあいだを歩きまわり、かれらの仕事をはげましている。・・・・・・これは先生が眼を光らせている、あの旧来の教室などというものではない。これは大ぜいの子どもたちが幸福につどい遊んでいる家庭といったほうがよい。他のいかなる領域にもまして変化をもたらすことの困難である教育の実際に、このような大きな変化がもたらされていることを思いみよ。」

 

 コペルニクス的転回以前は、つまり旧教育では、ハード(机など)もソフト(授業など)も、子どもを「子どもたち」という集合体としてひとまとめにとりあつかうことができるように設計されていました。そういった環境では、子どもが受動的になるもやむを得ません。だからシカゴ大学附属小学校では、聴講用ではなく作業用の机をメインに据えて、さらに第一章で説明したようなカリキュラムや教育方法の画一化もやめて、すなわちハードとソフトを同時に変えることによってコペルニクス的転回を意図したというわけです。学校は黙って学習するところではなく、

 

 生活するところ。

 

 ちなみに第三章には、図書室を中心に、作業室、織物室、食堂、台所が配置された校舎の観念図が描かれています。聴講用の机が並べられた教室は想定されていません。

 

 風景から考え、変えていく。

 

 文部科学省が「個別最適な学び」と「協働的な学び」の一体的な充実を謳っていますが、デューイいうところの旧教育とほとんど変わっていないように見える教室の風景から変えていかないことには、おそらくその充実は絵に描いた餅にしかならないでしょう。ちなみにコロナ禍になる前は、私もアイランド型(グループ型)の座席配置をデフォルトにして、座学ではなく立学を奨励していました。いつになったら、マスクのない生活に戻れるのでしょうか。

 

第三章 教育における浪費

 第三章は手短に。この章では、第一章と第二章を踏まえて《組織の問題》を取り扱っているのですが、大事なことは最後に書かれている次の一文です。

 

わらわれは、一般の学校がわれわれのやっていることをそのまま模倣することを期待してはいない。

 

 一般の学校とシカゴ大学付属小学校では、置かれている条件も組織形態も全然違うということです。だから大切なことは、もしデューイがあなたの学校にいたとしたら、何を想うか。そしてどのように振る舞うか。そういったことを、この『学校と社会』を通して考えることでしょう。もしかしたら田中まさおさんのような行動に出るかもしれません。

 

 私は判決を最高裁に委ねる。

 

 それも、もしデュー。