田舎教師ときどき都会教師

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映画『天国にちがいない』(エリア・スレイマン監督作品)より。わかりやすい授業よりも、わからなさを基調とした授業を。

主人公はこうしてナザレに戻って来る。退屈で凡庸な隣人たちの顔を毎日眺めながら、生きていくしかない。結局、世界のどこにいっても、パレスチナに真面目に関心を持っている人などいない。その癖、誰もがパレスチナ人と同じように、監視され、見えない抑圧のなかで生きている。全世界がパレスチナになってしまったかのようだ。自分はどこでもよそ者だし、人々はお互いによそ者どうしで、理想郷なんてどこにもない。このフィルムのなかで主人公は最後まで科白らしい科白を口にしないが、心のなかでは「やれやれ」と、諦念と落胆の入り混じった気持ちを抱いている。世界のどこに足を向けようが、どこも同じだ。
(劇場版パンフレット『天国にちがいない』アルバトロス・フィルム、2021)

 

 こんばんは。先日、エリア・スレイマン監督の映画『天国にちがいない』を観ました。毎日新聞記者の藤原章生さんが Facebook 等で勧めていたことがきっかけです。あの『絵はがきにされた少年』を書いた藤原さんがイチオシというのだから、この映画はきっと、

 

 傑作にちがいない。

 

 そう思って、予備知識ゼロで映画館に向かいました。スレイマン監督が現代のチャップリンと呼ばれていることも、過去にカンヌ国際映画祭審査員賞(02年)をはじめとする数々の賞をとっていることも、そしてナザレ出身のパレスチナ人ということも知らずに。

 

 やれやれ。

 

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劇場版パンフレット「天国にちがいない」より

 

 映画を観終わった後に、授業もこうありたいと思いました。そう思ったポイントが3つ。1つ目は、言葉の少なさによる「わからなさ」です。平田オリザさんの本のタイトルを借りれば、

 

 わかりあえないことから。

 

 冒頭の引用(written by 四方田犬彦さん)にあるように《主人公は最後まで科白らしい科白を口にし》ません。余計なことは言わずに、じっと世界を観察します。主人公ことスレイマン監督は、優れた教師が教室でそうするように、ナザレでもパリでもニューヨークでも、全体俯瞰と世界を描写するための短いエピソード拾いに終始します。言葉による説明はほぼゼロ。優れた教師が教材を提供した後に学びのコントローラーを子どもに手渡すように、質のよい画像を提供し、解釈は観客に委ねます。だから観客は考えます。子どもも考えます。

 

 なんだろうこれは。

 

 藤原さんも「なんだろうこれは」と思ったそうです。予備知識がある観客も、予備知識がない観客も「なんだろうこれは」って考える。予備知識がある子どもも、予備知識がない子どもも「なんだろうこれは」って考える。授業だとすれば、それこそ天国にちがいない。

 わかりやすい映画よりも、わからなさを基調とした映画。わかりやすい授業よりも、わからなさを基調とした授業。思考のスイッチは「わかりやすさ」でオフになり、「わからなさ」でオンになります。現代アートをイメージすればピンとくるでしょうか。パンフレットに文章を寄せている映画ライターの圷滋夫さんが《これは “映画” というスタイルを借りた、鋭利なコンセプチュアル・アートにちがいない》と表現していますが、まさにそれです。

 

 ナザレにて、勝手に庭に入ってくる隣人。
 パリにて、地響きを立てて走りゆく戦車。
 ニューヨークにて、警官に追われる天使。

 

 わからなさを抱えたまま、そういった短いエピソードの束が生み出す意味を、すなわち映画のコンセプトを考え続けていたときに、絶妙のタイミングで「ナザレ」「パレスチナだ」というヒントが降りてきます。主人公のスレイマン監督が映画の中で唯一発した言葉です。

 

 なるほど。

 

 戦車が出てきたり拳銃が出てきたりやたらと警官が出てきたりするのは、そして誰かに監視されたりするのは「だから」なのか。冒頭の引用に書かれているような「コンセプト」が薄らと立ち上がってきます。ある場面で言葉が生きるのは、それまでの場面で言葉が抑制されていたから。言葉を削ることが言葉を強くします。授業に置き換えれば、スレイマン監督と同様に、教師は言葉を減らした方がいい。子どもたちを観察して、価値のあるエピソードを拾って、それを教室に還元すればいい。

 

 ポイントの2つ目は藤原さん、そして3つ目は観客です。

 

 藤原さんが勧めていたことと、たくさんの観客がいたことが、思考力や想像力を逞しくする上でプラスに働きました。

 藤原さんが勧めているのだから、この映画には価値があるにちがいない。よくわからない映画なのに、これだけ観客が多く集まっているのだから、やはりこの映画には価値があるにちがいない。だから考えよう。想像しよう。

 あの先生がやっているのだから、この授業には価値があるにちがいない。よくわからない授業なのに、これだけ友達が真剣に学んでいるのだから、やはりこの授業には価値があるにちがいない。だから考えよう。想像しよう。

 

 先生と友達って、大事。

 

www.countryteacher.tokyo

 

wedge.ismedia.jp

 

 今日は研究授業でした。スレイマン監督に倣って、ほとんど話しませんでした。これからも、そうありたいと思います。

 

 おやすみなさい。