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映画『怪物』(是枝裕和 監督作品)より。こどもはおそろしい? それともおもしろい?

 この映画は、こどもたちの現実を母親と教師の視点からそれぞれに描き、親と子、教師と生徒の関係の困難さを浮き彫りにするが、映画が最終的に辿り着くのは、育てる側ではなくこどもたち自身の世界だ。
(劇場用パンフレット『怪物』東宝ライツ、2023)

 

 こんにちは。先週、移動教室に行ってきました。通算16回目の宿泊行事です。当日までの準備も、1泊2日の引率も、労働の視点から描くとイリーガルそのものですが、今回もまた、最終的には「行ってよかったな」という思いに辿り着くのだから、映画みたいにミラクルです。長時間労働という怪物はいても、映画『怪物』で描かれているようなモンスターはいません。4年生からの持ち上がりの学年(5年生)ということもあって、一人残らず、

 

 おもしろい。

 

 

 もちろん、無垢ではなかったり、ときおり怪物を解き放ってしまったり、そういった場面に出くわすことはあります。そうじゃなかったら、おもしろくありません。心理学者の故・河合隼雄さんが『こどもはおもしろい』というタイトルの本を残しているのも、こどものゆれる心をおもしろがることの大切さをわたしたち大人に伝えたかったからでしょう。こどもはおもしろい。断じて、

 

 こどもはおそろしい、ではない。

 

劇場用パンフレット『怪物』より

 

 映画『怪物』を観ました。監督は是枝裕和さん、脚本は坂本裕二さん、そして音楽は故・坂本龍一さんという話題作です。カンヌ映画祭で脚本賞とクィア・パルム賞(性的マイノリティーを扱った作品に与えられる賞)をとったこともその話題性に拍車をかけました。加えて小学校が舞台というのだから、観に行かないわけにはいきません。是枝監督は同じ高校出身の遠い先輩だし。以下、ネタバレあり。

 

 母親の視点。

 

 冒頭の引用(早稲田大学文化構想学部教授・岡室美奈子さんのレビューより)にあるように、映画は3つのパートに分かれていて、母親の視点、教師の視点、こどもの視点という順で、それぞれの立場から視た「怪物」を描きます。いわゆる羅生門的手法です。安藤サクラさんが演じるシングルマザーの麦野早織には、息子の湊(5年生)が通う小学校の担任や校長が「怪物」に見えます。学校とのやりとりの中で、我が子の湊さえも「怪物」に見えてきます。観客はこう思うでしょう。小学校の教員なんて、絶対になりたくないなって。

 

 教師の視点。

 

 なぜそう思うのかといえば、湊がいじめられているのに、そのことに対して学校側がまともな対応をとろうとしないからです。しかし永山瑛太さんが演じる担任教師、保利道敏の視点に立つと、湊と湊の母親が「怪物」に見えてくるのだから、不思議というか、あるあるです。こんなにこどもたちのためにがんばっているのに、過労死ラインを超えて働いているのに、何を言ってるんだこの保護者は(?)。っていうか、いじめをしているのは湊だぞ(!)。観客はこう思うでしょう。小学校の教員なんて、絶対になりたくないなって。

 

 

 母親の視点で描かれる学校も、教師の視点で描かれる学校も、どちらも「こどもはおそろしい」に寄っていて、観ているといやぁな感じがします。担任がいじめの真相に気がついていないんですよね。湊と、湊の親友の依里が、クラスメイトにいじめられているという真相に、です。真相がわかると、クラスメイトが「怪物」に見えてきます。湊と依里の視点で描かれる最後のパートで観客がカタルシスを得るための設定とはいえ、これがまたしんどい。こどもは、一人残らず、藤子不二雄の怪物くんのように、おもしろいのに。

 

 こどもの視点。

 

 ホップとステップが「こどもはおそろしい」だったのに対して、最後のジャンプは「こどもはおもしろい」に変わります。モンスターの反対語を調べると「エンジェル」と出てきますが、まさにそれです。この映画がクィア・パルム賞をとった理由もわかります。そのことを含め、映画を観終えたときに「こどもはおもしろい」と思えるかどうか。この映画を傑作と思えるかどうか。

 

 全ては観客次第。

 

 こどもはおもしろい。