田舎教師ときどき都会教師

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藤原章生 著『差別の教室』より。一方的な見方はやめろよ、違うんだよ。

 計15年ほど世界各地に暮らし、現地の人と親しんできました。そうした友人たちを振り返ったとき、その人を語る上で、例えば「コロンビア人」「中国人」といった国籍はさほど大きくないと気づきました。国籍は、その人のいくつかある属性の一つにすぎず、その人を形づくるのは、生来の気質や家庭環境、その人固有の経験や感受性であって、国籍で人を知ろうとしても限界がある。その結果、次第次第に私自身も、国籍は一つのラベルにすぎないという姿勢をとるようになりました。
(藤原章生『差別の教室』集英社新書、2023)

 

 おはようございます。雨です。晴耕雨読です。藤原章生さんの『差別の教室』を読み返しつつ、以前、藤原さんの講演会に行ったときに、有名人も無名人も大して変わらない、無名でもおもしろい人はおもしろいというような話を聞いたことを思い出しました。国籍と同様に、

 

 知名度もまた一つのラベルにすぎない。

 

 

 とはいえ、そのような境地に達するには、かなりの人生経験が必要でしょう。どんな人生経験かといえば、藤原さんが講演会のときに話していた「ざっと数えて7000人近い人たちに対面での取材をしてきました。そこにはローマ教皇やネルソン・マンデラも含みます」というような経験です。あるいは《計15年ほど世界各地に暮らし、現地の人と親しんできました》という経験です。

 

 無理だなぁ。

 

 では、そんな経験とは無縁の一般人が「国籍や知名度は一つのラベルにすぎない」という、差別の対極にあるような境地に達するにはどうすればいいのでしょうか。そうです。教室に行って、先人の教えを乞うしかありません。それが『差別の教室』です。

 

 

 藤原章生さんの『差別の教室』を読みました。中央大学法学部に講師として招かれた藤原さんが、2018年春から21年冬までの4年にわたって行った授業をまとめたものです。学生さん、羨ましいなぁ。テーマは差別。藤原さん曰く《授業で気づいたのですが、差別の話をする際、聞き手の興味をもっとも引くのは、目撃や取材を含めた私の実体験でした》というわけで、この『差別の教室』には、毎日新聞社の特派員としてヨハネスブルグやメキシコシティ、ローマや郡山に駐在し、さらに駐在先を起点に世界各地を転々としてきた藤原さんの「実体験」がたっぷり詰まっています。クラスの子どもたち(小学5年生)にも聞かせたいエピソードがいっぱい。

 

 目次は以下。

 はじめに
 第1章 死にかけた人は差別しないか
 第2章 アジア人の中にあるアジア人差別
 第3章 日系アメリカ人作家の慧眼
 第4章 ジョージ・フロイド事件と奴隷貿易
 第5章 日本にアフリカ人差別はあるか
 第6章 アフリカ ―― 遠望と条件反射
 第7章 名誉白人、属性に閉じ込められる不幸
 第8章 心に貼りついたものと差別と
 第9章 感受性と属性と ―― 学生の問いに答える
 おわりに

 

 例えば、コンゴの首都キンシャサで二度も殺されかけたというエピソード。藤原さんはキンシャサでの体験をもとに《「日本人でも中国人でもどっちでもいいよ」という私の感覚はそこからきているように思います》と書きます。

 

 今度は政権をとったゲリラの頭目、ローラン・カビラ大統領が暗殺され、その取材でキンシャサに行ったとき、まったく同じ状況に追い込まれました。やはり歌から始まり私を囲む形でぐるぐると人の数が増え、暴行の対象になりました。どんな歌だったか、あとで助手に聞くと「カビラを殺したのはこいつだ」という内容でした。そこにいた外国人は私一人で、他はみなコンゴ人でした。

 

 関東大震災のときの「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」と同じ類いの話です。根底にあるのは差別感情でしょう。1度目のときはティーンエイジャーみたいな子どもたちに囲まれ「中国人のスパイが来た」という内容の歌を歌われたそうです。子どもたちであったり、藤原さん曰く《普段は大人しい》コンゴの人々であったりが、中国人だ(!)白人だ(!)外国人だ(!)と叫びながら暴徒と化すというのだから、差別感情ってやっかいなものです。子どもたちにも「差別の教室」に類する授業を提供し続けなければいけません。

 

いまでもよく夢に見ます。

 

 いまでもよく夢に見るくらいの怖ろしい思いをしたにもかかわらず、アフリカに留まり続けたというところが藤原さんの藤原さんたる所以でしょうか。経験から学ぶ力も、経験から学んだことを言葉にする力も、さすがの藤原さんです。

 

 勝手に納得するよりも、まず相手を知ることが大事です。それをしないのは、どこか相手を侮っているのでしょう。私がそうでした。アフリカに来るまで、私はかの大陸のイメージを勝手につくり出し、こんなもんだろう、と思い込んでいました。だから、「ハゲワシと少女」を見て、そこにある悲惨なる生という物語を自分でつくってしまったのです。条件反射です。
 アフリカに何年かいると、そういうことにうんざりしてきます。自分自身がインサイダーになって、日本から遠望される立場になる。自分は完全にアフリカの人間になったわけではないのに、アフリカと日本の間に浮いたような存在になって、一方的な見方はやめろよ、違うんだよと、あれこれ内省するわけです。

 

 ハゲワシと少女というのは、道徳の授業でよく使われる、あれです。知らない人は検索するか、以下のブログを読みましょう。藤原さんの代表作である『絵はがきにされた少年』も読みましょう。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 藤原さんは、教室の学生さんたちに《私自身、人種差別をしたことがあります》&《自分は明らかにアフリカ全般を差別していたのです》と語っています。経験から学び続けてきた結果としての「今の私」だよ、というわけです。藤原さんの変容と、その過程こそが、この「差別の教室」の白眉かもしれません。

 

 進みつつある教師のみ人を教うる権利あり。

 

 ドイツの教育学者ジステルエッヒの言葉です。差別の教室の教壇に立っていた藤原さんに、その権利があることは間違いありません。学び続けるためにも、進み続けるためにも、そして藤原さんのように「エピソードにつながる実体験」を重ね続けるためにも、

 

 教員に、ゆとりを。

 

 長時間労働、反対。