田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

藤原章生 著『ぶらっとヒマラヤ』より。老いは敵ではない。だから老いて旅するのも悪くない。

 変化、つまり加速度を書きたいのだ。一定の速さで時間が過ぎていくのではなく、遅くなろうが速くなろうが、そこにある加速度。つまり、ヒマラヤに行くという特殊な体験、60前という年齢経験が自分自身に何らかの変化、加速あるいは減速をもたらすか、ということに興味がある。それは私への好奇心だけではない。人間の一つの代表である私自身の変化を知ることで、人間を知ることができると思うからだ。
(藤原章生『ぶらっとヒマラヤ』毎日新聞出版、2021)

 

 こんばんは。今日は土曜授業でした。年度末の繁忙期なのに、雪崩のごとく押し寄せてくる仕事に息も絶え絶えなのに、休みの日にも授業だなんて。通知表も指導要録も何もかも放り投げて、ぶらっとどこかへ行きたくなります。

 

 ぶらっとヒマラヤ。

 

ぶらっとヒマラヤ

ぶらっとヒマラヤ

  • 作者:藤原 章生
  • 発売日: 2021/02/27
  • メディア: 単行本
 

 

 藤原章生さんの新刊『ぶらっとヒマラヤ』を読みました。28を前に住友金属鉱山という会社を辞めて「ぶらっと新聞記者」になった藤原さんが、今度は59を前に長年勤めてきた毎日新聞社を辞めて、否、辞めようとするほどの衝動性をもって「ぶらっとヒマラヤ」に、しかも8000m峰のダウラギリに挑んだ記録です。昨年末に「ぶらっとアオヤマ」に足を運んで藤原さんのトークイベントに参加したときと同じように、この本にも元気づけられました。カッコいい歳の重ね方をしている年長者の存在は、やっぱり、でっかい。

 

 結局、人。やっぱり、生き方。

 

 

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「はじめに」に続く目次は、以下。ちなみにもともとは毎日新聞医療プレミアと毎日新聞の夕刊で連載されていたものです。

 

 1 きっかけは唐突に
 2 人生、計画的か衝動的か
 3 部長との面談 意外な一言
 4 一般男性がダウラギリ?
 5 この際、「新しい鼻」を入手
 6 ダウラギリは演歌の響き ♪ バカだなあ ♪
 7 まさに「バラ色の人生」 ユーフォリア
 8 「名門幼稚園の遠足」
 9 雪崩のロシアンルーレット
10 恐怖は調節できるのか 危機の中ゆえの静謐
11 高所恐怖とホッブズ 勇気との互換関係
12 死に近づくと時間は延びる それは健全なことなのか
13 なぜ山に? なぜ生きる?
14 感情の波立ち「来いな感動」
15 7000mでのよだれ
16 わびたいダウラ・ナイト
17 最後の最後の諦め
18 年齢という名の錯覚
19 ダウラギリ後の人生の加速度
20 ダウラギリがもたらす「晴耕雨読」
21 切っ先の切っ先で知る「老い」
22 こんにちは好奇心、さようならお金の心配
23 情熱か達観か 究極の選択、比較の奴隷
24 なぜ登る? 突然の不思議な気持ち
25 人は生きている、自分も生きていていいんだ

 

 この本は、ヒマラヤを舞台に一人の人間の心の移ろいをつづったものです。登山を介し、それなりの年になった人間が考えた老い、恐怖、死、そして生についての記録です。

 

 登山、特に8000m峰にはつきものの「恐怖、死、そして生」がこの本の白眉であることは間違いないものの、老いについて書かれた記録も味わい深く、とても印象に残りました。藤原さんの『ぶらっとヒマラヤ』のユニークなところは、定年間近の大人が変化、つまり加速度を求めてぶらっとするところにあると思うからです。これが20代の若者の心の移ろいをつづったものだったら、それはもう『ぶらっとユーラシア』ではなく『深夜特急』で読んだよ、っていう話になります。

 

 老いたら一つの場所に落ち着くよう心掛けよ。老いて旅するは賢明でない。

 

 沢木耕太郎さんの『深夜特急』に引用されている「カーブース・ナーメ」(ペルシャ逸話集)の一文です。なぜ賢明でないのかといえば、それは、当時の人たちが老いを「敵」と見なしていたからです。敵と戦いながらの旅は、厳しい。お金がなかったら、さらに厳しい。そんな厳しい旅にぶらっと臨んだのが藤原さんというわけです。200万円もの大金をはたいたというヒマラヤへの旅は、藤原さんにどのような変化と加速度をもたらしたのか。

 

 ヒマラヤで避けようのない大雪崩に遭い跡形もなく消えれば、誰も詮索せず、余計な費用もかからず、きれいに死ねる――とほんの一瞬たりとも思わなかったわけではない。
 その底には、ミッドライフの中で、迫りくる老いを多少なりとも気にしているうつ的な自分がいたのではないかと今は思う。

 

 老いは敵ではない。

 

 藤原さんが手にした変化を「カーブース・ナーメ」の一文に絡めていえば「老いは敵ではないという認識」といえるでしょうか。登山を介した自然との対話、すなわちダウラギリとの対話や、ヒマラヤのベースキャンプで知り合った81歳の登山家カルロス・ソリアさんとの対話を通して、藤原さんは《老いに対する私の偏見は取り払われた》と書きます。60歳から8000m峰を10座も登ったカルロスさんのようにカッコイイ歳の重ね方ができれば、老いは敵ではない。私からすると藤原さんのようにカッコいい歳の重ね方ができれば、老いは敵ではない。だから、

 

 老いて旅するのも悪くない。

 

 下山後、藤原さんは「アフリカでやり残したことをやりたい」や「一度も行ったことのない中国を知りたい&中国語もマスターしたい」、そして「晴耕雨読というのも選択肢のひとつとして考えたい」等々、これからの欲望を語ります。心配もあるけれど、どの道、どうにかなるだろう、と。これらの欲望が藤原さんの書きたかった加速度なのでしょう。ぶらっとヒマラヤに行ったという特殊な体験、60前という年齢経験が、藤原さんに《好奇心と楽観》という加速度をもたらしたというわけです。

 

 好奇心と楽観。

 

 小学生に特徴的なこの2つが、60になっても戻ってくる。素敵なことです。冒頭の引用にある《人間の一つの代表である私自身の変化を知ることで、人間を知ることができると思うからだ》に対応する答えのひとつは、このことかもしれません。そういった答えのもととなったダウラギリでの思考の記録については、本文を、是非。

 ちなみに加速度(加速 or 減速)や「12  死に近づくと時間は延びる」については、トーマス・マンの『魔の山』に登場する「時間感覚についての補説」を、老い以外の「恐怖、死、そして生」の記録については、探検家の角幡唯介さんの『空白の五マイル』を連想する話だなって、そう思いました。以下のブログ記事も、是非。

 

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 成績処理が終わらず、他のもろもろも終わらず、日曜日の明日もまた学校へ行くことになりそうです。ぶらっとヒマラヤではなく、ぶらっとガッコウへ。「人は生きている、自分も生きていていいんだ」とはいえ、8000m峰にも匹敵するのではないかっていう、年度末のこの仕事量は、ちょっとしんどいなぁ。

 

 おやすみなさい。