仮に我々に、お金と暇があったら、どうするでしょうか。あなたの国に行ったり、欧州をくまなく歩いたりするでしょうか。そんなことしないと思いますね。多分、その山の向こうにさえ滅多に行くことはないでしょう。普段と大して変わらない暮らしをしている気がします。あの山の向こうのことを知りたいとも思いますが、それより、家族や友人たちとうまいものを食べ、話をしている方がよほどいい。
(藤原章生『絵はがきにされた少年』集英社文庫、2010)
こんばんは。土曜授業が立て続けにあって、なかなか疲れがとれません。今日も日曜日なのに仕事をしていました。仮に暇があったら、とりあえずゆっくり休みたいところです。具体的には、絵はがきにされた少年がいうように、家族や友人たちとうまいものを食べ、話をする。そして眠る。思う存分、とことん寝る。って、何だかパウロ・コエーリョの「漁師とビジネスマン」みたいな話に思えてきました。
小さな漁村でほのぼのと暮らしていたひとりの漁師に、あるビジネスマンが「もっと時間をかけて魚をたくさん釣って、売るといい。売って得たお金で舟を買って、人をたくさん雇うといい。そうしたらもっと魚が釣れて、もっと儲かる。やがてはお金持ちになって日がな一日寝て暮らせるよ」と助言したところ、漁師が「今まさにそのような生活をしています」と返したという有名な話です。絵はがきにされた少年も頷くのではないでしょうか。
藤原章生さんの『絵はがきにされた少年』を再読しました。第3回開高健ノンフィクション賞の受賞作で、文庫の裏表紙には《南アフリカ共和国、ルワンダ、アンゴラをはじめ、南部アフリカを自ら歩き、そこに息づく声を拾いながらオムニバス形式で綴る》とあります。つい最近、全編改稿と写真を刷新した「新版」として生まれ変わったという情報をTwitterでキャッチし、懐かしいなぁと思いつつ、新版も買おうかなぁと思いつつ、パラパラと読み返しました。
第一部 奇妙な国へようこそ
第二部 語られない言葉
第三部 砂のよう、風のように
やっぱり、おもしろい。白眉はやはり、第一部の最初に登場する「あるカメラマンの死」と、第二部に登場する表題作「絵はがきにされた少年」でしょうか。
あるカメラマンというのは、南アフリカ共和国のケビン・カーターのことです。白人です。アフリカ生まれの欧州人です。そしてケビン・カーターといえば、この写真。1994年のピューリッツァー賞を受賞した「ハゲワシと少女」(スーダンの餓えた少女)です。小学校や中学校の道徳の授業でとりあげたことがあるという先生も多いのではないかと思います。
小学4年生、5年生、6年生の道徳の授業で、この写真を取り上げたことがあります。取り上げたことがあるというか、4年生以上を担任するケースがほとんどなので、ほぼ毎年かな。内容項目(価値項目)はご想像にお任せします。小学生にはまだ早いという意見もちらほらと聞こえてきますが「多面的・多角的に考え、議論する」にはもってこいの教材です。
写真を提示する。シーン。少しだけ説明する。そして、もしもあなたがその場にいたらどうするかと問う。
すぐに助ける。
写真を撮る。
後はもう、子どもたちが勝手に意見を言って勝手に指名し始めるので、黒板の真ん中に縦線を一本引いて、左右にそれぞれの意見を書いていくだけです。これがまたきれいにというかある程度のボリュームをもって2つに分かれるんですよね、どちらかに偏ることなく、4年生でも5年生でも6年生でも。体が勝手に反応してすぐに助けにいってしまうと思う、とか、世界の人たちに知ってもらうために写真を撮る、撮ってからすぐに助ける、とか。盛り上がります。そしてこの写真が遠因となって、ケビン・カーターがその後自ら命を絶ったことを伝えると、またシーンとします。
絶賛と共に、「撮影など振り捨て、なぜ、真っ先に少女を助けなかったんだ」という批判が米『タイム』誌などを中心に沸き起こり、報道のモラルを問う論争に発展した。
知ってましたか。少女のすぐそばには母親がいたんですよね。あの写真は《母親がそばにいて、ポンと地面にちょっと子どもを置いたんだ。そのとき、たまたま、神様がケビンに微笑んだ》から撮れた奇跡の一枚なんです。だから真っ先に助けるとかそういう話ではないんですよ。ケビン・カーターをスーダンに連れて行ったもう一人の写真家、ジョアオ・シルバがそう語っています。
まぁ、その話は子どもたちにはしませんが。スーダンに行く前のケビン・カーターが《あのころ、あいつ、もう生活が完全に破綻して》いたなんてことも、それから《離婚もしてて、まともに食えなくて、変な女につかまって、麻薬づけになって》いたなんてことも話しませんが。
ケビン・カーターは世間の批判に反論せず、《「ああいう現場に行ったこともない人間に個人的な体験を話してもしようがない」》という態度をとり続けたそうです。とはいえ、ジョアオ・シルバ曰く《本人はかなり気にしていた》とのこと。最近でいえば、批判されている内容はかなり違えど、渡部健さんもかなり気にしていることでしょう。報道のモラルって、大切。
「すべて手に入れたのに、結局、自分自身であり続けることがすべてを台無しにしてしまった」
ケビン・カーターの遺書の末尾は、弱々しい字でそう結ばれているそうです。ピューリッツァー賞を受賞した作品よりも、アフリカ生まれの欧州人として、アインディティティの確立に苦しんだというケビン・カーター自身の方が、より興味深い。藤原さんの「あるカメラマンの死」を読むと、そんなふうに思えます。
すべて手に入れた。
最初の話に戻れば、すでに手に入れていますけど、というのが「絵はがきにされた少年」です。
1934年、イギリス支配下のレソトにて。当時11歳だった少年が、仲間と一緒に裸でクリケットをしていたところ、そこに《見たこともない黒い大きな機械を首から下げていた》白人男性が通りがかる。少年はその機械が何なのかすらわからなかったが、22歳のときに、それが写真機だったことを知る。知るというか、思い出す。なぜ思い出したのかといえば、その写真が雑貨店に飾られていたから。曰く《あのとき、行政官に付き添われ通りかかった英国人の男は写真を撮っていたのだ》。
少年の名前はカべディ・タキジ。
その後、カベディ・タキジは教師となり、藤原さんがインタビューしたときには「76歳の老教師」となっています。インタビューのテーマは「アフリカと情報」(アフリカを舞台にした「情報と二十世紀」)。藤原さんはこのエピソードの意味づけに戸惑いつつ、取材を続けます。
通り過ぎた英国人が気まぐれに撮った一枚の写真が、ロンドンで絵はがきとなり、南アフリカに出回り、写された本人が十一年後に偶然目にする。そして、その一枚を借金して手に入れ、家宝のように何十年もとっておく。
それはまさに「アフリカと情報」というテーマを象徴する話のような気がして、私は老教師に聞いた。
「そのときの気持ちですか・・・・・・」
あの英国人は写真を売って儲けたかもしれない。そんなふうに考えたこともあった。でも、感謝している。老教師は沈黙を交えつつ、そのように言葉を紡ぎ、そしてこう言います。冒頭の引用も、その流れの中で出てきた言葉です。
「あの英国人も、これまで見た外国人も、それにあなたも。この国にやってきて、ほんのわずかの時間ですべてを見てしまう。おそらく二、三日でこの小さな国の大方のものを見てしまうでしょう。私たちが一生かけても見ないものを。そして、帰ってから本を読んだり、人から話を聞いたりしてより詳しく理解しようとする。大したものだと思いますよ」
藤原さんは戸惑い続けます。私もです。そしてだんだんと、こう言われているような気がしてきました。土曜日も日曜日も働くなんて、大したものだと思いますよ、と。
新版、買います。
おやすみなさい。