田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『民警』より。出前授業「ALSOK あんしん教室」や「セコム こども安全教室」の前に、ぜひ。

 教科書に記されている歴史がなぜつまらないか。時間順に発生した出来事を羅列しているだけだからです。いくら年表を暗記しても、自分の人生とは重ならない。
 ひとつひとつの出来事は、ただ単に偶然に起きているのではない。ひとりひとりの人生は、ただ単に偶然に選択された道を歩んでいるわけではない。
 歴史とは大河のような時間の流れであり、小さな波浪が飛び散り泡となって消え、小さな渦巻きもあちらこちらに生まれているのです。
(猪瀬直樹『民警』小学館文庫、2020)

 

 おはようございます。管理職の話によると、勤務校では4月から土日祝日の警備を民間会社に委託することになったそうです。学校の「安心・安全」を守るのは「官」ではない、ということかもしれません。ちょうど猪瀬直樹さんの『民警』を読んでいたところだったので、タイムリーな話だなぁと思いました。

 

 民警というのは民間・民営の警備員のこと。

 

 セコムとか、ALSOKとか、東急セキュリティとか。自宅で、或いは勤め先でお世話になっているという人も多いのではないでしょうか。地獄の沙汰は金次第。安心・安全もまた「金次第」の世の中になってきているというわけです。

 

民警 (小学館文庫)

民警 (小学館文庫)

 

 

 猪瀬直樹さんの『民警』を読みました。1962年に日本初の民間警備会社・日本警備保障を起業した二人の若者と、1965年に綜合警備保障を設立したもと警察官僚が生み出した《渦巻き》をもとにして編まれた作品です。1964年の東京五輪を前後して生まれた2つの警備保障会社は、大河のような時間の流れの中で巨大化し、今では小学校で授業をするくらいメジャーな存在に。

 

 日本警備保障というのはセコムのこと。
 綜合警備保障というのはALSOKのこと。

 

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ALSOK あんしん教室(2017)

 写真は、小学3年生に向けた出前授業「ALSOK  あんしん教室」の様子です。警備員さん(♂)とペアを組んでいるスタッフさん(♀)曰く「家に帰ったとき、誰もいなくても『ただいまー!』と言いましょう。どうしてだと思いますか。はい、そこの緑色の服を着た男の子!」。そういった授業です。

 

 猫がいるからだと思います!

 

 平和だ。日本を平和にすべく、ALSOK の創業者が過去に日本版 CIA(Central Intelligence Agency)のようなものを構想していた(!)なんてことは、おそらくほとんどの人が知らないでしょう。私ももちろん、この『民警』を読むまで知りませんでした。

 ALSOK の創業者はもと警察官僚で、初代内閣総理大臣官房調査室長(現・内閣情報調査室)を務めた村井順(1909-1988)です。映画『新聞記者』(藤井道人 監督作品)で描かれた内閣情報調査室、いわゆる「内調」のトップにいた人物というわけです。

 

 サンフランシスコ講和条約発効(昭和27年4月28日)の1ヶ月ほど前、村井は吉田首相にこう述べたという。
「世界の情勢はまことに厳しく、現在も隣の朝鮮半島で戦争がつづいています。独立した日本はその針路を誤ると踏みつぶされてしまいます。弱い兎が長く大きな耳を持ち、原野のなかを生き抜いているように、弱小国日本も立派な情報機関を持ち、世界から情報を集め、それを正しく分析し、判断して国家戦略の資料にしなければならない」

 

 吉田首相というのはもちろん吉田茂(1878-1967)のことで、村井の進言を受けてただちに内閣調査室の設置を命じたといいます。ただし猪瀬さん曰く、これは村井の証言であって、真相はもっと複雑とのこと。いずれにせよ、ALSOK の「あんしん教室」の起源には「あんしん国家」とでもいうべきレベルの大志なり野心なりが抱かれていたというわけです。

 

 大志あるところに権力闘争あり。
 野心あるところに権力闘争あり。

 

 村井は「内調」を1年半で辞めることになります。その理由について、猪瀬さんは村井の息子であり、現・ALSOK 会長の村井温氏(1943-)に次のように訊ねます。

 

「なぜ、1年半で辞めなければならなかったのですか。情報機関のあり方やその主導権をめぐって吉田首相の周りで権力闘争が起きていたからではないでしょうか」

 

 猪瀬さんが口にすると重みがあります。この『民警』は、権力闘争によって東京都知事を追われた猪瀬さんの《実質的な作家「完全復帰」第一弾》だからです。夢をかなえるにあたって、村井の周りにもふさわしくない人がたくさんいたのでしょう。

  

 

 内調を辞め、しばらくした後に官も辞した村井が新たに着手したのが綜合警備保障(ALSOK)です。その村井に「民警」のヒントを与えたのは、村井の起業から遡ること3年前、1962年に日本初となる民間警備会社・日本警備保障(後のセコム)を起業した二人の若者、飯田亮(1933-)と戸田壽一(1932-2014)です。飯田は湘南中学時代に、石原慎太郎(1932-)や江藤淳(1932-1999)らと同期で、石原氏の「太陽族」のモデルとなった遊び仲間のひとりであったとされます。

 

 逗子駅へ歩くうちに、途中から同じ方角へ合流する背の高い少年と知り合った。彼も同じ湘南中学の新入生だった。逗子駅で列車を待っている間にその少年石原慎太郎と言葉を交わすようになり、帰路に逗子の石原の家に立ち寄ることもあった。

 

 さすが猪瀬さんです。これまでの作品と同様に、冒頭の引用でいうところ《小さな渦巻き》の描き方がうますぎます。ちなみに戸田は終戦直後の混乱期に惨殺された戸田帯刀神父(1898-1945)の甥です。石原氏が出てきたり、戸田帯刀が出てきたり、連続射殺犯の永山則夫(1949-1997)が出てきたり。固有名詞を渡り歩きながら、大河のような時間の流れが小説のように記述されていきます。

 

「欧米では警備の民間会社があるんだぜ」

 

 学習院大学で出会った飯田と戸田が、アリタリア航空に勤めている先輩のひとことをヒントに日本初となる警備保障会社を設立するに至ったのも、やはり時代(時間の流れ)でしょうか。戦後の復興を果たし、高度経済成長が始まりかけていた時代。欧米の情報がどんどん入ってきた時代。そのあたりの背景は、猪瀬さんの「ミカド三部作」を読むとよくわかります。

 

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 守衛や用務員や宿直が当たり前で、警備の専門会社という発想がゼロだった国に、飯田と戸田が警備業という新しいビジネスを起ち上げた。2年後の東京五輪のときに、村井(退官後、1962年にオリンピック組織委員会事務次長に就任)が飯田と戸田に選手村の警備を発注し、二人の会社は軌道に乗る。村井が二人の後を追ったのは、偶然ではなく、そこに「官」のときにやり残した使命のヒントを見つけから。警備業に追い風を送ったのは、テレビドラマ『ザ・ガードマン』のヒットや機械警備への転換の契機となった永山則夫の事件など。永山則夫は、飯田と戸田の手による日本初の機械警備システム「SP(Security Patrol)アラーム」によって逮捕されることになります。前回の東京五輪から半世紀以上が経過し、

 

 民警は今や50万人あまり。

 

 その数は自衛隊23万人、警察官24万人を優に超えます。開催されるのであれば、2021年の東京五輪でも、猪瀬さんが参考にしたという2012年のロンドン五輪と同じように、民警の力が必要とされることでしょう。

 

 そして結果は1年の延期と決まった。胸をなでおろした。だがヨーロッパやアメリカを中心に主要都市はつぎつぎとロックダウンを宣言し、感染症の恐ろしさは、まだ止む気配を見せない。いまやISは後景に退き、正面の敵は新型コロナウイルスに取って代わった。民警の役割も時代とともに変遷して、「110番から119番へ」と犯罪やテロに対しての安心・安全よりも、警備の範疇を超えて介護など生活領域のサービスへとシフトしてきている。

 

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 出前授業「ALSOK あんしん教室」や「セコム こども安全教室」は、民警の役割が警備の範疇を超えて教育など生活領域へとシフトしてきた結果としての《波浪》でしょうか。出前授業の前に『民警』を、ぜひ。合わせて「1か月後は東北の震災から10年」というこのタイミングで文庫化された『救出』も、ぜひ。

 

 これから祝日出勤です。

 

 やれやれ。