田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

猪瀬直樹 著『唱歌誕生 ふるさとを創った男』より。故郷とは、自分の若い日の夢が行き先を失い封印されている場所のこと。

 自分が生まれ育った場所を棄て、はじかれたように外の世界へ向かう。そういう衝動が日本列島のあちらこちらで疼きはじめたのは従来と異なるライフスタイルの誕生、つまり都市における生活がはじまり出したからである。都市のなかでもとりわけ、東京は中央として他と一線を画す。中央の観念が生まれるとき、それ以外の地域はおのずと下位にランクされた。おきまりの田園風景でなくとも、地方は田舎として位置づけられてしまう。
(猪瀬直樹『唱歌誕生  ふるさとを創った男』中央文庫、1994)

 

 おはようございます。20年近く前、バックパックを背負ってはじかれたようにアジアの国々をほっつき歩いていたときに、インドのカルカッタにあるゲストハウスの屋上で、同じドミトリーに泊まっていた日本人(♂1、♀1)と一緒に「故郷」を歌ったことがあります。長野で生まれ育った高野辰之が詩を書き、岡野貞一が曲を作った文部省唱歌です。

 

 兎追ひしかの山
 小鮒釣りしかの川
 夢は今もめぐりて
 忘れがたき故郷

 

 うろ覚えですが、他に米国人の学生さんと、韓国人の旅人さんがいました。雲ひとつない気持ちのよい夜で、おそらくは酔いも手伝って、せっかくだから故郷の歌でも披露しようという流れになったのだと思います。辰之にとっての故郷は「長野」だったかもしれませんが、たまたまめぐり逢った私たち3人にとってのそれは「日本」でした。忘れがたき一夜です。

 

 

 猪瀬直樹さんの『唱歌誕生』を読みました。「故郷」や「春の小川」、「朧月夜」など、数多くの文部省唱歌を生み出した高野辰之(1876-1947)と岡野貞一(1878-1941)の夢を中心に、同時代人である島崎藤村(1872-1943)や大谷光瑞(1876-1948)らの夢にも迫った群像劇です。

 

 明治の夢。

 

 読み始めてからすぐに音楽専科の先生に勧めました。知り合いの長野出身の先生にも勧めました。学級通信を介して保護者にも勧めました。ちょうど国語の授業で「この本、おすすめです」という単元の学習をしていたので、クラスの子どもたちにも勧めました。いつの日にか読んでねって。

 目次は、以下。

 

 第一章 いつの日にか帰らん
 第二章 思ひいづる故郷
 第三章 夢は今もめぐりて

  あとがき
  中公文庫版のためのあとがき

 〈解説〉ものを語る猪瀬直樹  船曳建夫
 〈附録〉国際化時代と日本人の生き方

  参考文献

 先に〈解説〉と〈附録〉から読みました。〈解説〉には《この、話の始め方、プロローグで物語の登場人物が ―― それが主人公であれ脇役であれ ―― 一人称として現れ、次いで、「僕」が意外な場所で語り出す、というのは、猪瀬さんの発明した型、手法です》とあります。猪瀬さんの代表作であるミカド三部作でも見られる手法で、一度その手法を味わうと病みつきになります。その中毒性たるや、村上春樹さんの「僕」にだって負けてはいません。

 続けて船曳さん曰く、

 

 この読者に語りかけ、読者と共に考えていこうとする、「Let's」という姿勢と意識の若々しさが猪瀬直樹の魅力で神髄です。

 

 上記の「読者」を「児童」に、そして「猪瀬直樹」を「学級担任」に置き換えても違和感はあまりないのではないでしょうか。

 猪瀬さんの作品にはいつも「問い」があって、その問いをめぐる冒険に伴走してくれる「僕」がいます。「僕」を「担任」と考えれば、それは良質の授業と全く同じ構造といえます。だからミカド三部作や『唱歌誕生』などを読むと、読者は「主体的・対話的で深い学び」を得ることができる。つまり猪瀬さんの《神髄》は教育的でもあるということ。そのことは〈附録〉を読んでもよくわかります。1996年に猪瀬さんの母校である信州大学教育学部附属長野中学校で行われたという、五十周年記念講演「国際化時代と日本人の生き方」。小学生には少し早いかもしれませんが、そっくりそのまま、5年生や6年生の子どもたちに聞かせたい内容です。

 

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第一章 いつの日にか帰らん

 冒頭の引用はこの第一章からとったものです。ふるさとを創った男を知るためには、時代背景の把握が欠かせません。行動を律しているのは主体性ではなく構造(=時代背景)だからです。そういう時代の《そういう衝動》によって、高野辰之は妻の鶴枝とともに故郷を飛び出した。学校でいうところの「児童理解のためには、家庭環境の把握が必要不可欠」という話と同じでしょうか。

 家庭環境といえば、第一章の舞台となる蓮華寺の住職・井上寂英(1842-1916)のファミリーはなかなかに個性的です。島崎藤村の実質上の処女作である『破戒』の舞台になったというだけのことはあります。さらに付け加えると、その《『破戒』が生み落とされる直前に繰り広げられた出来事をつまびらかにしておきたい》という願いをもって、猪瀬さんが直に訪ねただけのことはあります。

 

「わたしも、わかります。『朧月夜』という歌、ご存知? あれはこのあたりの景色を歌ったものなのよ」
「えっ、信州の風景だったんですか」
 僕は、作者名が記されていない文部省唱歌「朧月夜」の歌詞を反芻してみた。

 

 藤村の過去を紐解くために長野の蓮華寺を訪ねたところ、猪瀬さんは現住職の姉である原田(井上)武子さん(1911-1994)と出会います。そして話の流れで彼女の叔父のひとりが「朧月夜」の歌詞を書いた人、すなわち高野辰之だということを知ります。さらには武子が元ミス上海であり、当時は大谷光瑞(西本願寺第22世門主、大正天皇の義兄)の秘書をしていたことも知ります。

 

 好奇心が人を巡り合わせ、夢が人をつないでいく。

 

 猪瀬さんの探究は、島崎藤村、大谷光瑞、そして高野辰之へと広がり、それぞれの人生をつまびらかにしていきます。詳しくは読んでみてのお楽しみですが、藤村と辰之についていえば、自分が生まれ育った場所を棄て、体現の仕方は異なれど、上京して立身出世を目指したというところに共通点があります。末は博士か大臣か。故郷に錦を飾る。そういった言葉がリアルだった時代の話です。

 
第二章 思ひいづる故郷 

 第一章の長野から離れ、第二章の舞台は鳥取と岡山に移ります。鳥取と岡山は、主人公のひとりとして『唱歌誕生』に加わる岡野貞一の故郷。岡野貞一の息子さん(岡野匡雄、当時73歳)に会いに行くなどして、貞一の経歴を探究し始めた猪瀬さんは、貞一が少年時代に洗礼を受けていることを知り、《「故郷」のメロディーには、賛美歌の音階がしのびこんでいるのではないか》という問いをもちます。

 

 貞一少年の作曲遊びのなかに気になる点がある。数字のなかに4と7が、つまりファとシが出てこない。
 ふつうは西洋音楽は、ドレミファソラシの七音音階でつくられている。いまではあたりまえに受け入れられている七音音階も、当時の日本人には相当に馴染みにくかったようだ。日本人は伝統的に五音音階の世界に生きていたのだから。

 

 江戸時代以前には右手と右足、左手と左足をそれぞれ同時に出して前に進むというナンバ歩きが日本人の伝統だったという「説」がなかなかイメージできないように、今となってはこの五音音階もなかなかイメージできません。明治という大きな時代の変化の中で、以前までの世界を忘れてしまうような跳躍にチャレンジした日本人がいたということです。その中の一人が岡野貞一です。猪瀬さんはその跳躍の軌跡を発見したときの感動を次のように記します。

 

 貞一の数字譜を解読してみて、僕は名状しがたい感動につつまれた。
 奇妙な曲であった。支離滅裂で、まるでメロディーの体をなしていないのである。また歌詞のもつ抑揚をまったく無視しているから歌っても日本語にならない。

 しかしそこには確かにある意志がはたらいている。
(中略)
 貞一は五音音階の呪縛から必死で逃れようとしていた――。

 

 あるとき、4と7が、つまりファとシが過剰ともいえるくらいに出てくる数字譜を見つけたんですよね。考古学者の発見に匹敵するような感動といえるでしょうか。猪瀬さんの考古学的発見はこの後も続き、遂には「故郷」のリズムと「偶然とは考えにくいレベル」で一致する「賛美歌」(第126番「風はげしく」)を発見します。しかも賛美歌を完全に真似するのではなく、メロディーの背後に日本の伝統的な「二拍子」(遊牧民族には「三拍子」、農耕民族には「二拍子」が多いとのこと)が刻み込まれていることも発見します。《「故郷」がいまも歌い継がれている秘密は、西洋と日本の伝統、それぞれの特質を巧みにすくいあげ、折衷しているからにちがいない》。猪瀬さんは、そう結論づけます。

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第三章 夢は今もめぐりて

 文部省唱歌の編纂委員会のメンバーにも選ばれるほどの立身出世を遂げた辰之と貞一が、その後どのような人生を辿ったのか。第三章には、島崎藤村や大谷光瑞のその後とともに、故郷を棄てた群像たちの晩年が描かれています。故郷に対するスタンスが、辰之と貞一のそれと、藤村と光瑞のそれとでは全く異なっていて、その比較もまた興味深い。ここでは辰之のその後について少しだけ触れます。

 

 僕は、単なる立身出世物語の主人公には興味がなかった。過去をひとつひとつ切り捨てて前に進む現実主義者に、幾百万の人びとの心を揺さぶる歌をつくってもらいたくはない。「人のする事は理屈通りや想像通りにいくものではない」と、辰之は書いた。そんな想いが「故郷」の作者のどこかに宿っている。それを見つけなくてはならない。

 

 最終章である第3章でも、猪瀬さんの「問い」が光ります。辰之はどのような「想い」をもって「故郷」の詩を書いたのか。猪瀬さんは、第1章に登場した元ミス上海の原田(井上)武子さんと共に、この「問い」を紐解いていきます。

 

 魅力的な大人の男女。

 

 魅力的な大人の女性が「僕」と一緒に「問い」をめぐるというこの構図は『ジミーの誕生日』でも味わうことができます。これもまた病みつきになる手法といえるでしょうか。『唱歌誕生』では「辰之の想い」をめぐって、『ジミーの誕生日』では「公爵夫人の想い」をめぐって、大人の男女が繰り広げる知的な営み。少子化が進む令和の時代にあって、「男女のコミュニケーション」は「問い」と同じくらい大切です。これもまた教育につながる話といえるでしょうか。『ジミーの誕生日』と、猪瀬さんの「色男ぶり?」については以下のブログとYouTube(『唱歌誕生』の話が出てきます♬)を!

 

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 誰もが若い日にさまざまな夢をいだく。だが実際に生きてみると、夢はあくまでも夢にすぎないことがわかってくる。妥協とか挫折、という意味ではない。夢はしゃぼん玉のように手で触れると消えてしまうものなのだ。消えた夢についての想いが募るとき、人は酒に酔い歌を口ずさむ。
「夢は今もめぐりて/忘れがたき故郷・・・・・・」
 故郷とは、自分の若い日の夢が行き先を失い封印されている場所のことだ。

 

 フィナーレの言葉も色っぽい。

 

 夢は今もめぐりて。

 

 

破戒 (岩波文庫)

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  • 作者:島崎 藤村
  • 発売日: 2002/10/16
  • メディア: 文庫