田舎教師ときどき都会教師

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三浦瑠麗、猪瀬直樹 著『国民国家のリアリズム』より。大学の教授より、むしろ小学生の先生を大事にしなければいけない。

三浦 私が猪瀬さんを好きなのは、相変わらず進歩することを信じているからです。
猪瀬 僕が未来を信じようとしている思いは、日本の近代について考え続けた、その責任感から生まれた。
(三浦瑠麗、猪瀬直樹『国民国家のリアリズム』角川新書、2017)

 

 こんばんは。もうすぐ江戸時代が終わります。あっ、社会の歴史の授業の話です。6年生の子どもたちも、いよいよ猪瀬さんの責任感の源である「日本の近代」について学び始めるというわけです。信長、秀吉、家康もおもしろいけれど、明治以降の国民国家のリアリズムとやらも興味深いなぁ。先生がときおり口にする「猪瀬直樹さん」っていう人はいったい何者なのだろう。そんなふうに子どもたちに思ってもらいたいところですが、忙しすぎて授業準備もまままならず。

 

 授業準備は1コマ5分。

 

 過日の埼玉教員超勤訴訟(田中まさお裁判)の判決です。授業準備は1コマ5分が妥当とのこと。5分かぁ。

 日本中の小学校の先生が、あるいは中学校や高校の先生が、猪瀬さんの『昭和16年夏の敗戦』を読んで、例えば「総力戦研究所」のことを子どもたちに説明したとしたら。そして「若きエリートたちが日本必敗という未来を提示したのにもかかわらず、日本が開戦へと突き進んだのはなぜか?」という問いを子どもたちと共有したとしたら。責任感(公の意識)が生まれて、選挙の投票率も上がると思うのですが、どうでしょうか。まぁ、小学生には難しいかもしれません。そもそも5分の準備ではそんな授業はできませんから。

 

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 令和3年冬の敗戦。

 

 授業準備は1コマ5分なんていう労働環境を放置している限り、これからも「日本必敗」は続くでしょう。教育は未来を相手にしているからです。国づくりのための教育。だから教員の労働問題を不問にして教育を論じるなんて、おかしい。5兆円の防衛予算というブラックボックスを不問にして憲法9条について論じるのと同じくらい、おかしい。欺瞞と同じように、

 

 教育の軽視も国を滅ぼします。

 

 

 三浦瑠麗さんと猪瀬直樹さんの『国民国家のリアリズム』を読みました。トランプ時代の日本の進路を考えるという内容ですが、バイデン時代の日本の進路を考えると読み替えても全く違和感はありません。国家なき日本の危機も、ビジョンなき国家運営も続いているからです。原発事故が起きても、元号が変わっても、そしてオリンピックが終わっても、日本は変わらない。教員の労働環境も悪化するばかり。いったい、それはなぜなのか。

 

 リーダーに国家観がないから。

 

 答えを先に書いてしまうとそうなります。リーダーに国家観があれば、少なくとも「教育軽視」=「授業準備は1コマ5分」なんてことにはならなかったはずです。国家観のあるリーダーだったら「大学の教授より、むしろ小学生の先生を大事にしなければいけない。小学校の先生が白紙の子供を教えるのだから」と語ってくれるに違いありません。語るだけでなく、かたちにもしてくれるでしょう。国家観って、大事。田中角栄って、凄い。

 

 目次は、以下。

 

 序 章 国家なき日本の危機
 第一章 憲法九条三項を問う
 第二章 トランプ時代のナショナリズム
 第三章 ビジョンなき国家運営
 第四章 オリンピックは国家の祝祭
 第五章 女性的感性が拓く新しい時代
 終 章 時代をいかにとらえるか

 

 序章の前に猪瀬さんによるまえがき「新しい『三酔人経綸問答』」があります。旧い『三酔人経綸問答』はといえば、それはもちろん、明治時代の思想家・中江兆民が著した同タイトルの古典です。中江には国家観があった。だから明治憲法発布の直前に『三酔人経綸問答』を書いて《日本の進むべき道》を示した。中江の「三酔人」に倣って、年齢も性別も異なる猪瀬さんと三浦さんと、もう一人の男性が《日本の進むべき道》について多角的に語り合ったのが『国民国家のリアリズム』というわけです。多角的とは例えば、

 

 自衛隊のこととか、
 憲法9条のこととか、
 米国や中国のこととか、
 オリンピックのこととか、
 ナショナリズムのこととか、
 アイデンティティのこととか、
 団塊世代の個人主義のこととか、 
 国づくりのための教育のこととか、

 そういったことです。国家観をもっている「三酔人」の語りに耳を傾けると、蒙を啓かれる想いがします。

 三酔人の問答を聞くまで六本木に米軍基地があることすら知りませんでした。三浦さんに《そういう不当な労働環境をなぜ見直さないのか》と言及されている教員、ではなく自衛隊のブラックさも知りませんでした。不勉強が身に沁みます。大切なのは、知ることです。だって贈与は、受取人の想像力から始まるのだから。知らなければ、ほとんど何も想像できません。

 

三浦 中略。私たちの世代はバブルも知らないでどうやって生きていくかと言ったら、ふつうに人間としてよく生きるということしかないじゃないですか。
猪瀬 1990年代以降、そういう状況になってきたのはだしか。でも、それは実感で物事を構成すればそうなるということであって、だから僕は歴史意識が必要だと言っている。どういう順番で物事が進んできたのかを振り返って、いまいる時間と空間を特定しないと、夢も希望もないという諦観に陥りかねない。歴史意識がないと、夢も希望もない時代だというレトリックに騙される。いまはほんとうに貧しい時代とは違うよ。肉親が戦死したわけでもないのだから。

 

 歴史を学べば、いまいる時間と空間が先人たちからの「贈与」であることがわかります。贈与に気づけば、今度は差出人としての責任感が生まれます。冒頭の引用にある猪瀬さんの責任感というのは、そうやって生まれたものでしょう。そしてその責任感こそが《ふつうに人間としてよく生きる》可能性を高めてくれるのかもしれません。世界は贈与でできている(!)の近内悠太さんも、歴史を学ぶことの大切さを説いています。

 

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猪瀬 中略。ところが小池知事の周辺で「たかが一ヶ月のオリンピックのために」と言う者がいた。心底驚いた。何もわかっていない。たかが一ヶ月じゃない。オリンピックは国家にとって大きな意味を持つ祝祭空間なのに。
三浦 わりと軽視なんですね、そこは。
猪瀬 オリンピックの国民国家における役割がわかっていない。国家の基本のキがわからないで「たかが一ヶ月」とか言われると本当に腹が立つ。

 

 学級の基本のキがわからない保護者に無責任なことを言われると本当に腹が立つので、つまりはそういうことなのだろうなと思います。国家観をもったリーダーが一生懸命に「国」づくりをしているのに、学級観をもった担任が一生懸命に「クラス」づくりをしているのに、ひっくるめて「公」の意識をもっている縁の下の力持ち的な人が汗を流しているのに、「選挙なんて行っても何も変わらないでしょ」みたいなことを平気で口にする人がいる。

 

 あなたがクラスをつくり、クラスがあなたをつくる。

 

 子どもたちにはそう話します。国民国家でいえば「私が公をつくり、公が私をつくる」となるでしょうか。知れば知るほど、リーダーを含め、公の意識、すなわち国家観の欠如が現在の日本の体たらく(社会指標の悪化)を招いているとしか思えません。2年前に出版された『リーダーの教養書』で、猪瀬さんとともに執筆者のひとりを務めている中島聡さんも、ビジョンがないために方向転換のできない日本の危機を嘆いています。

 

 

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 そろそろ寝ます。明日、楽しみにしていることがあるからです。睡眠を十分にとって、祝祭空間に臨みます。

 

 おやすみなさい。