夏の夕立ちでずぶ濡れになって走ったあとの、こみ上げる笑いを知っている人ならば、傘のない帰り道で「もういいや!」とばかり、むしろ水たまりにビッチャンビッチャン靴を突っ込んで歩いた経験のある人ならば、「雨だからつまらない」とは決して考えないでしょう。
子どもたちには「雨だって楽しめる人」に育ってほしいと心から思います。
(高濱正伸『夫は犬だと思えばいい。』集英社、2012)
おはようございます。土日はずっと自宅で通知表の所見を書いていました。平日にちょくちょく年休を取って映画を観たり読書に耽ったりしていたため、ほとんど手をつけていませんでした。もういいや(!)とばかりに投げ出したいところでしたが、そうもいかず。とはいえ、やっぱりこれ、いらないなぁ。文章を読むのも書くのも好きなのに、通知表の所見だけは好きになれません。ワンっていうか、ワーン(泣)っていう気分です。
夫は犬だと思えばいい。じゃあ妻は何だと思えばいいのでしょうか。聞きそびれました。金曜日の夜に参加した「高濱ナイト」の話です。
花まる学習会代表の高濱正伸さんが、大活躍のスーパーマン100人に、普段はなかなか聞けない話を聞くライブトーク。
テーマは「子どもの頃」&「教育」です。
一昨日のゲストは元陸上選手の為末大さんでした。私からすれば高濱さんもスーパーマンなので、二人のスーパーマンによる空前絶後のライブトークです。
高濱さんの本を初めて手にしたのは「もしも花まるが小学校を作ったら」というイベントに参加したときのことです。2013年9月23日。関係者以外立ち入り禁止のイベントでしたが、顔がだだっ広い師匠に誘ってもらって、リーガルに潜り込みました。ちなみに師匠は今回の臨時休校について「老後の練習」と話していました。さすがです。
雨だって楽しめる人。
昨日、通知表を書きながら、7年前に読んだ『夫は犬だと思えばいい。』をパラパラと読み返しました。そうすると、気づくわけですよ。ダメ人間だなってことに。これじゃ本を読みながら通知表を書いているみたいじゃないか。逆だろ。本をしまえって。いや、そういうことではなく、高濱ナイトのときに高濱さんが口にしていた話と、本に書かれている問題意識が依然として同じだ(!)。そのことに気づいたんです。
金曜日の夜、高濱さんはこんな話をしていました。曰く「お母さんたちが頭でっかちになってしまって、どうしても正解を求めてしまう。教育のエビデンスなんてまだまだほとんどないのに」云々。
大半の子どもの問題は、親の問題です。学習塾を開いてすぐ、私はそのことに気がつきました。
教員になってすぐ、私もそのことに気がつきました。同僚のほとんどがそう感じていることにも気がつきました。親の問題が、子どもの問題として学校に持ち込まれている。もちろん全てではありませんが、大半は、そうです。
繰り返しになりますが、お母さんひとりひとりは一生懸命にやっています。それでも孤立し、不安定な状態に置かれるのは、時代的な背景があるからです。ギリギリのお母さんたちをどこまで理解できるか。それが次の勝負だということが見えてきました。
ギリギリのお母さんたち。
頭でっかちのお母さんたち。
表現は異なれど、同じです。すなわち高濱さんの次の勝負がまだ続いているというわけです。おそらくは時代的な背景がほとんど変わらずに今も続いているからでしょう。ちなみにギリギリなのはお母さんだけではありません。
お父さんたちも追い込まれていたのです。
誰も助けてくれないお母さんの問題を中心に、大人たちがみな幸せになれないでいる。そう分かったのです。
9割の夫婦はうまくいっていないように見える。高濱さんはそう書いています。夫婦関係がうまくいっていないから、大人たちがみな幸せになれない。そんな大人たちを見て、子どもたちは結婚というものについて明るい未来を感じることができない。
高濱さんは、為末さんにも「夫婦関係がうまくいかない人が多いことについては、どう思いますか?」と質問していました。しかしその質問にはピンとこなかったのでしょう。為末さんは少し考えてから別のことを話し始めた。為末さんの代わりに高濱さんの本に書いてあったことを紹介すると、次のような感じになります。夫婦関係がうまくいかない限り、子どもたちの健やかな成長はなかなか見込めない。だから夫婦関係を手当てしなければならない。そのための処方箋ならある。それは「異性は違う生き物と考えた方がよい」ということ。すなわちこうなります。
夫は犬だと思えばいい。
ワン。
ちなみに、高濱さんの「お母さんたちが、どうしても正解を求めてしまう」という話は、作家の平野啓一郎さんが話していたことと似ているなぁと思いました。昨年の10月に、文学ワイン会「本の音 夜話」で聞いた話です。都会での子育てについて質問したところ、次のような回答が返ってきました。
田んぼでただ遊んでいただけの幼少期を、ノスタルジーに浸って「よし」とするわけではないものの、東京で子育てをしていると「そこまでする必要があるのか」と思うことがよくある。未来がどうなっていくのかがこれまで以上にわからない時代に、受験適応のようなテクニカルなことをやっていて、本当に「生きていく力」がつくのかどうか。そういったことを考えてしまう。今はただ、子どもには興味のあることをさせているという段階。どうすればいいかという確信はない。
雨だって楽しめる人に。
未来がどうなっていくのかがこれまで以上にわからない時代だからこそ、どんな雨が降ってくるのかがこれまで以上にわからない時代だからこそ、受験適応のようなテクニカルなこと(だけ)をしている場合ではないんですよね、きっと。子どもたちにはこれまで以上にいろいろな道があることを伝えていかなければいけない。高濱ナイトでもそういった話をしていました。高濱さん曰く「正解を求めているお母さんたちも、正解を求めているわりには、せいぜい中学高校大学くらいまでしか考えていなくて、狭い。その先のことは考えていない」と。では、お父さんたちは何を求めているのでしょうか。
聞きそびれました。
ワン。