田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

為末大 著『「遊ぶ」が勝ち』より。昨夜、高濱ナイトに参加してきました。ゲストは為末大さんです🎵

 幼い時のことだ。同級生に会いに行く母に連れられて、僕は喫茶店に出かけた。
 待ち合わせの喫茶店に入った瞬間、母の姿を見た友だちが、いきなり「まき!」と呼んだ。「荒巻」という旧姓だった母は、どうやら高校時代に「まき」というあだ名で呼ばれていたらしい。
 母は、友だちに向かって嬉しそうに手を振った。
 その時、幼い僕は、母の顔を見上げて、ものすごくびっくりしたことを覚えている。
(為末大『「遊ぶ」が勝ち』中公新書ラクレ、2013)

 

 こんにちは。以前の職場に真木麻紀さん(♀)というベテランの調理員さんがいました。まきまきさんです。旧姓は「佐藤」とのこと。さとうまきからまきまきさんへ。恋は盲目ということでしょうか。或いは出会い頭のおめでた婚でしょうか。そうやって仮説を立てて考えてみるのもおもしろいものです。当たるも八卦、当たらぬも八卦。その仮説をおもしろがる人が身近にいたら、花まるをつけてもらえるかもしれません。

 

 為末大さんは、母の顔を見上げて、なぜものすごくびっくりしたのか?

 

 仮説、立てましたか?

 

 

 幼かった為末さんが、母の顔を見上げて、ものすごくびっくりしたのは《母が、いつもの母の顔ではなかったから》です。いつもとは違って《まるで高校生の少女のような顔に変わって見えたから》です。

 

 僕の知っている母ではなくて、まったく別の顔をしている母。
 その時、気付いた。
 母親というのも、一つの役割に過ぎないんだということを。
 物事には、いくつもの側面があるんだ、と。

 

 具体から抽象へ。その「気付き」を母親に告げたのかどうか、気付きによってワクワクしたことを母親に告げたのかどうか。もしも告げたのであれば、母親はどのような反応を示したのか。気になります。でも、書かれていません。だから為末さんの話を聞きにいきました。

 

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 「高濱ナイト」入口。

 

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ゲストは為末大さん🎵

 

 昨夜、花まる学習会代表の高濱正伸さんが主催する「高濱ナイト」に参加してきました。ゲストは「努力は夢中に勝てない」というマキシムで知られる為末大さんです。シドニー、アテネ、そして北京と、オリンピックに3度出場したトップアスリートは、いかにして「哲学者としての単独の深み」(By 高濱さん)をもつようになったのか。ライブトークは、為末さんの「子どもの頃」と「教育」をテーマに、高濱さんが訊ね、為末さんが答えるというかたちで進んでいきました。

 

 共有したい話が2つ。

 

 どちらも子育てに関する話です。

 

 1つ目は「褒めるというよりも、感心する」という話です。息子さんに「トト」と呼ばれているという、パパ5年目の為末さんは、基本的に「なるほどね、そう考えるのか、というようにしている」とのこと。

 

 息子さん「トトはなんで1番になれなかったの?」
 為末さん「なんでだと思う?」
 息子さん「小さかったから」
 為末さん「なるほどね、そう考えるのか」

 メディアでも遠慮して聞いてこないようなストレートな「問い」を口にしてきた息子さんとのやりとりだそうです。褒めて育てるのではなく、叱って育てるのでもなく、褒めると叱るのブレンドでもなく、アドラー流に褒めも叱りもしないわけでもなく、仮説を求め、対話し、感心することで育てる。

 

 なるほどね。

 

 為末さんもそうやって育てられたそうです。だから冒頭の話に戻れば、我が子の「物事には、いくつもの側面があるんだ」という気付きに、母親は「なるほどね、そう考えるのか」と感心した可能性が高い。子どもの気付きを褒めるというよりも、感心して、一緒におもしろがる。褒めると感心するには重なるところもありますが、軸足を「感心する」に置くことで、子どもとの関係性が縦から横に変わり、子どもは親との関係ではなく世界との関係に関心をもつようになります。

 

 そして、仮説の「答え合わせはしない」とのこと。

 

 この話が共有したいことの2つ目につながります。子育てにあたって、為末さんがいちばん気をつけていること。それは、

 

 足りなさをどう伝えるか。

 

 一人息子で、家庭にある程度の収入もある。そうなると、例えばいろいろなところに連れて行くことができるし、説明もできる。しかしそのことが「東京ってどんなところだろう」「広島ってどんなところだろう」というような、冒険心や探究心を奪っているのではないか。与えることが奪うことにつながっているのではないか。そういう話です。言い換えれば、自主性の種となる欠如感のつくり方。小学校でいうところの「もやもやを残す授業」に相当するでしょうか。我が子の求めについつい応じてしまうことが、或いは子どもたちについつい教えてしまうことが、何かを奪っているかもしれないという感覚。為末さんのいうように「いちばん」に気をつけなければいけないことだなと思います。

 

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高濱ナイトの会場、お茶の水ソラシティより(2020.3.13)

 

 おまけです。会場にいたママさんが「臨時休校になってからというもの、子どもがゲームばかりして……。ゲームについて、為末さんはどのようにお考えですか?」という質問をしていました。花子さんが同じようなことをツイートしていたので、紹介します。

 

 

  今日は寒いですね。雨が降っている地域も多いようです。コロナの感染予防のためにも、こんなときには為末さんの本や平凡花子先生の漫画を読んで、家でゆっくりと過ごしたいものです。

 

「休む」が勝ち。

 

 

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