田舎教師ときどき都会教師

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千松信也 著『ぼくは猟師になった』より。猟師のバトンを受け取りたくなる一冊。では、教師のバトンは?

 狩猟という存在は、豊かな自然なくしては存在しえません。自然が破壊されれば、獲物もいなくなります。乱獲すれば、生態系も乱れ、そのツケは直に猟師に跳ね返ってきます。
 狩猟をしている時、僕は自分が自然によって生かされていると素直に実感できます。また、日々の雑念などからも解放され、非常にシンプルに生きていけている気がします。
(千松信也『ぼくは猟師になった』リトルモア、2008)

 

 こんばんは。先週の金曜日に始まった「#教師のバトン」プロジェクトが地獄絵図になっています。主催した文科省のHPには「全国の学校現場の取組や、日々の教育活動における教師の思いを社会に広く知っていただくとともに、教職を目指す学生・社会人の方々の準備に役立てていただく取組です」とありますが、ふわふわ言葉を期待していたであろうその思惑とは裏腹に、Twitter の「#教師のバトン」には「今すぐ別の職業を探してください。今なら間に合います!!」なんていうチクチク言葉があふれていて目も当てられません。長年に渡って労働環境の改善が先送りにされてきた「そのツケ」を感じます。半年くらい前にトレンド入りしていた「#先生死ぬかも」と合わせて、教員募集には間違いなく「マイナス」でしょう。

 

 ぼくは教師になった。
 ぼくは猟師になった。

 

 千松信也さんの『ぼくは猟師になった』と同じように、映画になるくらいの「魅力」を教師のバトンに託すためにはどうすればいいのでしょうか。ヒントは異業種にあり。そんなわけで、曰く《狩猟は、僕にとっては生涯続けていくのに充分すぎる魅力を持っています》という、現代の大造じいさんの生き方にヒントを探ってみました。

 

 結局、人。やっぱり、生き方。

 

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 千松信也さんの『ぼくは猟師になった』を読みました。1974年生まれの千松さんが33歳のときに書いたもので、同タイトルの映画『僕は猟師になった』(川原愛子 監督作品)の原作にあたる作品です。読むと、猟師になりたくなる!

 

 目次は、以下。

 

 第一章 ぼくはこうして猟師になった
 第二章 狩猟の日々
 第三章 休猟期の日々

 

 映画には描かれていなかった、千松さんの幼少期や学生時代のことが詳しく書かれていて「大当たり」でした。映画を観た後に「即ポチ」してよかった。職業柄、ステキな大人に出会うと、どんな子ども時代を送ってきたのか、どんな環境で育ってきたのかが気になるからです。はなまる学習会の高濱正伸さんの言葉を借りれば「ステキな大人の秘密」です。

 

 どんな子ども時代が「ステキな大人」を準備するのか。

 

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 ちなみに高濱さんは「しっかり遊び切ること」や「アイデアを出すのが好きなこと」、それから「これぞと思う出会いを逃さずつかみ取ること」などが「ステキな大人」に共通している子ども時代の体験だと書いています。第一章を読めばわかりますが、千松さん、3つともばっちり当てはまっています。

 

 1つ目は、しっかりと遊び切ること。

 

 兵庫県伊丹市で生まれ育った千松さんが、子ども時代に夢中になっていたのは、当然というか予想通りというか、虫捕りです。自宅の周りにある田んぼや畑にはオケラやミミズ、カマキリやバッタなど、季節ごとにいろいろな生き物がいて、自宅には父が飼っている伝書鳩やフクロウがいて、さらには犬や猫や鶏もいて、他にもたくさんの種類の生き物がいて、祖父はザリガニ捕りやフナ釣りなどに連れて行ってくれて、曰く《学校が終わるのがいつも楽しみでした》とのこと。

 

 小さい頃は日々動物にふれあい、たくさん飼い、たくさん死なせもしたと思います。子供というものは飼えないとわかっていてもトンボやチョウチョウをたくさん捕まえてしまったりするものです。そのたびに母に「どうせ飼えないし、すぐ死んじゃうんだから逃がしてあげなさい」と言われたものですが、なんとなくもったいなくて逃がせず、虫かごの中で羽がボロボロになって死んでしまい悲しくなって泣く。次はうまく飼おうとしてまた殺してしまう。また泣く。そんな繰り返しで、徐々に動物の命について考えるようになっていったんじゃないかと今になって思います。

 

 しっかりと遊び切った結果が《徐々に動物の命について考えるようになっていった》につながるのでしょう。自然のことも生命のことも、実体験がなければそれらを尊重するような「生き方」はできません。オンラインゲームの「フォートナイト」にはまって「死ね」とか「殺せ」とか叫んでいる子どもに、或いはその保護者に伝えたい内容です。

 

 2つ目は、アイデアを出すのが好きなこと。

 

 柳田國男の『妖怪談義』を読んで民俗学に興味をもち、京都大学の文学部に進学した千松さん。そこで「4年間の休学」というアイデアを実現させます。教授に「前代未聞だ!」と言われたそうですから、まさに「アイデア」でしょう。休学後は様々なアルバイトを経験して社会の断片を垣間見たり、日本と関わりの深いアジアの国々を放浪したり、東ティモール人の難民キャンプで1年間ボランティア活動をしたりって、映画では1ミリも触れられていなかった千松さんのユニークな過去にびっくり。ユニークな過去は「アイデアを出すのが好き」じゃないとつくれません。アイデアがないと「右へ倣え」になりますから。

 

 3つ目は、これぞと思う出会いを逃さずつかみ取ること。

 

 中学生の頃に「狩猟」に憧れ、その後も関心を持ち続けていたという千松さん。幸運は用意された心のみに宿る、とはよくいったもので、アルバイト先の運送会社でワナ猟の大ベテラン角出博光さんに出会います。さらには、角出さんとの出会いがきっかけとなって、映画にも登場する網猟の大ベテラン宮本宗雄さんにも出会います。出会うだけでなく《ぜひ教えてください!》って、そのチャンスをものにします。千松さんは「これぞと思う出会いを逃さずつかみ取ること」に成功し、「僕は猟師になった」というわけです。

 ひっくるめて、第一章の「ぼくはこうして猟師になった」は千松さんが猟師になるまでの成長譚といえるでしょう。少年の成長譚を描いた、映画『アイヌモシリ』と同じです。

 

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 第二章に、アイヌの儀式であるイオマンテに言及している部分があり、映画『アイヌモシリ』を思い出しました。千松さん曰く《この儀式には狩猟民族であったアイヌ民族の、動物に対する考え方がよく表れています》云々。その第二章「狩猟の日々」を映画化した『僕は猟師になった』と合わせて、映画『アイヌモシリ』も、いつかの鑑賞を、ぜひ。

 最後に、初めて獲物を捕った千松さんが、学生寮に持ち帰ってその獲物を解体し、寮生を集めて大宴会を開いたときのリフレクションより。ちなみに獲物というのはメスのシカです。

 

 この日、僕は生まれて初めて自分で獲物を殺し、解体してその肉を食べました。その過程でいろいろなことを考えましたが、これだけ多くの寮生や友人が集まって喜んでくれたことで、狩猟を始めてよかったと素直に思うことができました。

 

 猟師を始めてよかった。
 教師を始めてよかった。


 教師を始めてよかったと素直に思うことができれば、教師のバトンを気持ちよく渡すことができます。教職は、多くの教え子の成長を目にすることができるステキな仕事です。だからわざわざ「#教師のバトン」なんていうプロジェクトを立ち上げなくても、その魅力は伝わるはずです。問題は、素直にそう思えないこと。魅力を疎外している要因があるということ。ワナ猟師が先の先まで読んで罠をしかけるように、その要因を把握することが「#教師のバトン」の裏の目的だとしたら、さすが文科省、きっと「ステキな大人」が官僚として働いているんだなって、そうなるのですが、どうでしょうか。

 

 ぼくは官僚になった。

 

 期待しています。

 

 

子ども時代探検家 高濱正伸の ステキな大人の秘密 ~なぜか全員「農学部」編

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  • 作者:高濱正伸
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