田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

國分功一郎 著『哲学の先生と人生の話をしよう』より。コロナ時代の哲学対話、その作法は如何に。

 シルバーハンマーさんが知識と考える力を身につけたいと思ったなら、ただそれをやればいい。しかし、それらを身につけたら自分の人生は大丈夫だと思っては大変な誤りを犯すことになります。「リア充な写真」をFacebookにアップしまくっている人間が、社会に出てからうまく立ち回るかもしれません。しかし、重厚な知識と考える力を身につけた人間が、社会を引っ張っていくような人物になるかもしれません。それは分からない。だからシルバーハンマーさんがやりたいと思っていることをやればいいし、これじゃダメかなと思ったら立ち止まって考えればいい。ただ、「こういうことをやっていた人間はこうなれる」などとは思わないことです。
(國分功一郎『哲学の先生と人生の話をしよう』朝日文庫、2020)

 

 おはようございます。昨日、いつもとは違うルートで帰ったところ、商店街の中に小さな本屋さんを見つけてちょっとしあわせな気持ちになりました。定時に学校を出て、矢のごとくストレートに最寄り駅へと急ぎ、16時50分の電車に飛び乗る。そんな毎日を繰り返していたのが嘘のようです。睡眠も足りているし、過度の集中からくる頭痛に悩まされることもありません。持ち帰り仕事がなく、手ぶらに近い格好で退勤できるのもかなり嬉しい。食べ放題とまではいかないものの、少しの時間であれば道草を食うこともできます。批評家の東浩紀さんの言葉を借りれば、《誤配の体験》に開かれた帰路。東さんは、2017年に行われた國分功一郎さんとの対談の中で《ぼくは哲学というのは、人々のあらゆる生活の中に潜んでいるノイズ = 誤配の体験そのもののことだと考えているんです》(東浩紀 著『新対話篇』より)と語っています。子どもは「ちいさな哲学者」です。映画のタイトルにもなっています。先生だって、負けてはいられません。

 

 

 國分功一郎さんの『哲学の先生と人生の話をしよう』を読みました。商店街の中にあった、小さな本屋さんで見つけた本です。これも誤配の産物かもしれません。本の内容は人生相談で、読者の相談に國分巧一郎さんが哲学的に答えるというQ&Aの形式をとっています。相談件数は全部で34件。冒頭に答えの一部を引用した「勉強より、リア充のようなコミュ力を磨いた方がいいのでしょうか?」という相談や「相談というのは、どうやってすれば良いのでしょう?」というそもそも論的な Question など、バラエティに富んだ「Q」が並んでいます。教育と絡めて紹介したいなぁと思ったのは、例として挙げたその2つです。

 

その1「勉強 VS リア充のようなコミュ力」

 相談者であるシルバーハンマーさん(大学生、♂)は、知識と考える力を得るために大学に入り、書物と格闘している人です。バイトやサークルで友人とワイワイしたり、意識高い系の学生団体で活動したりして、勉強ゼロでリア充している同期を尻目に、孤独に本を読み続けています。コミュ力を磨くのも勉強だろと言われてしまえばそれまでですが、とにかくシルバーハンマーさんは《果たして自分は孤独に本など読んでいて無駄にならないだろうか?》と不安になっています。孤独にブログなんて書いている私にも突き刺さる「問い」です。本を読んでいるところも同じだし。臨時休校でステイホームしている子どもたちにもつながる話ではないでしょうか。ひきこもっているとリア充のようなコミュ力はなかなかつきませんからね。先人(♂)もこう言っています。書を捨てよ、町へ出よう。不安倍増ですよね。とどめは先人からバトンを受け取ったこれまた別の先人(♀)の次の言葉です。町へ出よ、キスをしよう。欧米か。

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

 

 

 このご時世です。欧米か、ではなく「発禁か」かもしれません。ちなみに学級活動の話し合い風に意見を合体させるとこうなります。本なんて読んでいないでイチャイチャしようぜ。繰り返します。

 

 本なんて読んでいないでイチャイチャしようぜ。

 

 “The Very Hungry Caterpillar” という兵器の名前のようなタイトルを『はらぺこあおむし』と訳して売り上げ倍増どころか絵本文化の躍進にも貢献した森比左志さんだったらもっといい感じにまとめるかもしれません。いずれにせよ、生物学的には、或いは遺伝学的には、おそらく正しい。未来のイチャイチャの可能性を広げるために本を読んでいるんだよ(!)というシルバーハンマーさんの心の声も聞こえてきますが、それはいわゆる手段と目的の混同というよくある話です。ちなみに哲学の先生(國分功一郎さん)はこう言っています。本を読んだからってイチャイチャできるとは限らない。イチャイチャ或いはワイワイしたからといって「俺の人生OK」となるわけでもない。こうやったらこうなるという「正解」があると勘違いしてしまうと、大変な誤りを犯すことになる。未来はわからない。わからないのが、未来。冒頭の引用を私なりに言い換えると、そうなります。さらに初等教育に置き換えると、花まる学習会の高濱正伸さんがよく口にしている「お母さんたちが頭でっかちになってしまって、どうしても正解を求めてしまう」という話につながります。

 

 


その2「相談って、どうやってすれば良いの?」

 そもそも相談とは何かという話です。コトバンクには《問題の解決のために話し合ったり、他人の意見を聞いたりすること。また、その話し合い》とあります。学校現場でいうところのサークル対話ですね。哲学対話ともいいます。車座になって話し合う、あれです。映画でいうと、これです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 哲学の先生は、学生によくこう言うそうです。《知ってる?  つらいことって人に話すと楽になるんだよ》と。ちなみに國分さんはアラフォーになってからそのことを知り、その効能を実感したとのこと。つまり相談の作法を義務教育で教え、その効能を実感できる場をつくっていかないと、郵便的な誤配でもない限り、アラフォーになるまで、或いは一生そのことに気付かない人が出てきてしまうということです。

 

 私「何か困っていることはありますか?」
 保護者「夫が毎日家にいるんです(泣)」

 

 うけました。夫は犬だと思えばいい、とは言えませんでしたが。

 学校が再開したら、また車座になって話し合いたいな。1on1ミーティング(教育相談)もやりたいな。でもソーシャル・ディスタンスを考えると無理だろうな。どうすればいいのだろうな。やっぱり Zoom かな。誰かに相談したいな。

 

 コロナの時代の哲学対話。

 

 その作法は如何に。 

 

 

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