田舎教師ときどき都会教師

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東浩紀 著『新対話篇』より。それはレールモントフです。サウイフモノニワタシハナリタイ。

沼野 同じイベントかはわからないのですが、渋谷の小劇場ジャン・ジャンに五木さんが登壇されたとき、満員になった会場入り口で、強引に入ろうとするお客さんを追い払っていたのが、当時まだ学生だったわたしでした。消防法の規制で、定員以上入れてはいけないというんですね。五木さんがなにを話されたか、じつは恥ずかしながらほとんど覚えていないんですが、ひとつ鮮やかに焼きついたシーンがあります。五木さんが学生時代から好きだったロシア語の詩の一節を口にされ、「だれの詩かわからなくなってしまったのだけれども」とおっしゃると、司会の江川卓さんが、「それはレールモントフです」とすかさず答えたんです。
 そのやりとりを見てひたすらかっこいいなあと憧れていた若造が、いまここでこうしてお話しできて、もうこれ以上なにも言うことはないという思いです。
(東浩紀『新対話篇』ゲンロン、2020)

 

 こんばんは。今日は実家に顔を出してきました。朝に家を出て、夜に戻る。母の日っていいものですね。母の日とか父の日とか、両親の誕生日とか。年齢を重ねたためか、そういった特別な日を文字通り有り難く感じます。30年後くらいに長女や次女も同じように思ってくれるのでしょうか。東浩紀さんの『新対話篇』の中で、哲学者の梅原猛さんが、東さんに《こういうのが永劫回帰だと思うのです》と話す場面があります。こういうのというのは、梅原さんが子どもの頃にセミを取って遊んだ場所に孫を連れて行くという、そういうのです。《わたしの孫が、わたしが取ったセミの何十代目かの子孫のセミを取っている》。佳話だなぁ。

 

新対話篇 (ゲンロン叢書)

新対話篇 (ゲンロン叢書)

  • 作者:東 浩紀
  • 発売日: 2020/05/01
  • メディア: 単行本
 

 

 東浩紀さんの『新対話篇』を読みました。韓国人の安天(アンチョン)氏との2つの対話を収めた『哲学の誤配』と同じタイミングで刊行された話題の新刊です。東さん曰く《ソクラテスはただ話した。~中略~。この時代のこの国でソクラテスをやりなおすためにはどうすればよいのか》と考え続け、生まれてきたのがこの『新対話篇』とのこと。以下は対話相手とタイトルです。新しい舟を編むに相応しい人たちが名を連ねています。

 

 梅原猛「草木の生起する国」
 鈴木忠志「テロの時代の芸術」
 筒井康隆「SFから神へ」
 中沢新一「種の慰霊と森の論理」
 加藤典洋「文学と政治のあいだで」
 國分功一郎「正義は余剰から生まれる」
 五木寛之+沼野充義「デラシネの倫理と観光客」
 高橋源一郎「歴史は家である」
 原武史「国体の変化とジェンダー」
 飴屋法水+柳美里「生きることとつくること」

 

 対話の全体(2012年3月~2020年1月)を貫くテーマは「哲学や芸術の役割」です。哲学や芸術になにができるのか。或いはなにができないのか。東さんを含め、それぞれがソクラテスになったりプラトンになったりしながら、主体的・対話的で深い学びを展開していきます。当たり前ですが、伊坂幸太郎さんいうところの逆ソクラテスは登場しません。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 冒頭の引用は、ロシア文学者で五木寛之さんの愛読者でもある沼野充義さんの言葉です。五木さんと沼野さんと東さんとの鼎談「デラシネの倫理と観光客」から引用しました。《そのやりとりを見てひたすらかっこいいなあと憧れていた若造》というところが、教育的で、よい。『新対話篇』の読者も、東さんや対話相手の面々に「かっこいいなあ」と憧れを抱いたのではないでしょうか。若造ではないですが、私もです。

 
 サウイフモノニワタシハナリタイ。

 

 例えば梅原猛さんとのやりとりの中で、東さんが《ルソーは『言語起源論』で、言語の起源は歌だと主張しています》とサラッと口にするところとか。それから國分功一郎さんとのやりとりの中で、國分さんの《そうなると、柄谷行人さんがカントを引いて言った「統整的理念」が機能しなくなる》という発言に、東さんが《これは哲学的に言えばヒュームの問題です》とサラッと返すところとか。


 クラムボンはかぷかぷわらったよ。

 

 統整的理念の話もヒュームの話も、クラムボンと同じくらいによくわかりませんが、かっこいいなぁと思います。沼野さんが五木さんと江川さんに抱いた感情も同じだと想像します。ちなみにクラムボンというのは小学校6年生の国語の教科書に載っている宮沢賢治の『やまなし』に出てくる生き物(?)であり、「江川卓」は巨人のピッチャーではなくロシア文学者の江川卓さんです。すぐるではなく、たく。何で江川が司会を(?)などと真面目に思ってしまったところに私の能力の限界を感じます。

 

 ぼくは昔からなぜか後輩を育てることに対して積極的な人間でした。批評家としてデビューした直後から、いかに後輩を育てるかをずっと考えつづけてきたように思います。そのことによってぼく自身はすごくトラブルを抱えているけれど、育てないでトラブルを起こさないことと育ててトラブルを起こすことと、どちらがいいのかといったら、やはり育ててトラブルを起こすことだと思います。

 

 東さん、ひたすらかっこいいなぁ。社会学者の宮台真司さんによれば、子どもたちがものを学ぶときには3つの動機があるとのこと。競争動機と理解動機と感染動機です。競争動機は勝つ喜び、理解動機はわかる喜び、そして感染動機は「よくわからないけどスゴイ」という喜びから始まる学びです。この3つの中で、感染動機だけが、知識を血肉化し、長い期間にわたって人を動機づけます。本を読み、知識を血血肉化し、サラッと口にできる大人。

 

 サウイフモノニワタシハナリタイ。

 

 そんなふうに思うのも母の影響かなと思います。母は本を読む人を「あからさまに」好んでいたからです。親の憧れは、子どもの憧れに容易に転化します。教え子ファミリーを見ていてもそう感じます。永劫回帰。長女と次女も、ママの憧れをなぞります。

 

 パパの憧れはいずこへ。

 

 嗚呼。

 

 

哲学の誤配 (ゲンロン叢書)

哲学の誤配 (ゲンロン叢書)

  • 作者:東 浩紀
  • 発売日: 2020/05/01
  • メディア: 単行本
 
言語起源論――旋律と音楽的模倣について (岩波文庫)