田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

東浩紀 著『哲学の誤配』より。学校に誤配を。そして人生にも。

 これから、観光は哲学的にも重要な概念になっていくでしょう。そもそもひとが観光するというのは、とても興味深い現象です。さきほどもいいましたが、観光地に行くとき、みなすでにその場所について知っている。にもかかわらず訪れる。「富士山っていったいどんなかたちをしているんだろう」と思って富士山に行くひとはいません。では、なぜ知っている場所にわざわざ行くのか。観光客はそもそも何をやっているのか。これは、知識とはなにか、欲望とはなにかといった問いと関係する興味深い問題です。ところが、哲学者たちはこの問題についてほとんど考えてきませんでした。
(東浩紀『哲学の誤配』ゲンロン、2020)

 

 おはようございます。前回のブログを東浩紀さんが Twitter でリツイートしてくださいました。いい人です。そして感謝です。そばにいた長女の「パパ、暑いからアイス買ってきて」を二つ返事で引き受けてしまうくらいに気分が高揚しました。高校生になった長女を連れてゲンロンに足を運ぶ日も遠からず。これも東さんいうところの誤配かもしれません。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 東さんの主催するゲンロンにはまだ行ったことがありませんが、トークイベントには参加したことがあります。3年前の5月1日に代官山の蔦谷書店で行われた、東さんと社会学者の宮台真司さんとの対談です。

 

 観光客の哲学の出版記念イベント。

 

 興奮したなぁ。宮台さんが手にしていた『ゲンロン0  観光客の哲学』におびただしい数の付箋が貼られていたんですよね。あっ、めちゃくちゃ読み込んできたんだなって。あっ、いい人だなって。そう思いました。

 その『ゲンロン0 観光客の哲学』と、東さんのもうひとつの代表作である『一般意志2.0』を韓国語に訳した安天(アンチョン)さんも、おそらくは宮台さんの「読み込み」に一歩も引けを取りません。東さんの新刊『哲学の誤配』を読んで、そう思いました。そして次のエピソードから想像するに、安天さんもきっといい人です。《ある休日、生まれて初めて横須賀に足を運んだ。すると美術館の入り口の前にいる東氏が目に入り、咄嗟に声をかけた。私にとっては静かでありながら劇的な瞬間で、その美術館で撮った子どもの写真を見るたびに東氏との出会いも思い出す》。佳話だなぁ。

  

 

 

 東浩紀さんの新刊『哲学の誤配』を読みました。 『一般意志2.0』と『ゲンロン0 観光客の哲学』の韓国語版訳者として知られる安天さんが、小学校5年生の国語の単元よろしく「きいて、きいて、きいてみよう」とばかりに試みた、東さんへの2つのインタビュー+α が収録されています。1つ目のインタビュー「批評から政治思想へ」は『一般意志2.0』に、2つ目のインタビューは「哲学の責務」は『ゲンロン0 観光客の哲学』に対応しています。

 インタビューの通奏低音になっているのは「誤配」と「観光客」という2つのキーワードです。

 

 誤配と、観光客と。

 

 冒頭の引用に《観光地に行くとき、みなすでにその場所について知っている。にもかかわらず訪れる》とあります。知識があっても、訪れたいと欲望するのはなぜか。

 

 知識とはなにか?
 欲望とはなにか?

 

 ステイホームの子どもたちにオンライン等で知識を教えることはできても、欲望を教えて満足させることはできません。当たり前ですが、そうですよね。そこに学校のレーゾンデートルがあります。書を捨てよ、町へ出ようもそうだし、町へ出よ、キスをしようもそうです。子どもたちにとっては町が学校で、キスが人間関係です。そしてそこには「何か意図していないことが起こるかもしれない」という誤配の気配があります。東さんと安天さんとの出会いのレベルでの誤配はないかもしれませんが、少なくとも自宅にいるよりは誤配の気配を色濃く感じることができます。

 観光客でいえば、バックパッカーなんて最たるものです。誤配を食べながら旅をしているといっても過言ではありません。サイコロを振るように目的地を決めたり、偶然に任せて行く先のわからないバスに飛び乗ったり。たまたま口にした食事も、たまたま目にした風景も、そしてたまたま意気投合してその後も「弱いつながり」を保ち続けている旅仲間も、すべて誤配による偶然の産物です。パックツアーよりもひとり旅の方が、或いは欧米よりもアジアの方がおもしろいなぁと感じる人がいるとすれば、それは何か意図していないことが起こる可能性が高い = 誤配が多いからでしょう。

 

 誤配を欲望する。

  

www.countryteacher.tokyo

 

 東さんはゲンロンカフェを運営するときに、どのようにしたら「誤配」が起きやすくなるのかを常に考えているそうです。どれくらいの時間話すのがいいのか、どのようなしゃべりかたをするのがいいか、等々。時間制限を撤廃したり、中継をしたりするなど、さまざまな仕掛けをつくって「出来事が起こる場所」を目指しているとのこと。能動的誤配をいかにして学級づくりに組み込んでいけばいいのか。学級経営に例えると、そういう話だろうなぁと思います。経験年数が少ない頃は「誤配」が起こりまくってあたふたとし、経験年数を重ねていくと「誤配」を計算してしまって事前にその「誤配」の芽を摘んでしまいますからね、担任は。誰かが言っていたように、担任のコントロール欲求はなかなか厄介です。

 最後に、東さんの『哲学の誤配』を読みながら「これはあれだなぁ」と思ったことを紹介します。何度かこのブログで取り上げましたが、村上龍さんの『歌うクジラ』の一節です。その魅力がさらによくわかったような気がします。

 

 生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ。


 出会いが誤配であり、移動が観光です。人生に意味をもたらすのは誤配だ。観光が、誤配を生み出すのだ。そういうことですよね。

 

 学校にも、誤配を。

 

 人生にも。

 

 

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