田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

小松理虔 著『地方を生きる』より。地方を生きるとは、エラーと生きること。優れた教師は、エラーの価値を知っている。

 おかしいですよね。ローカルの話をしているのに、その外に出ろ、外を受け入れろ、と言っているわけですから。地域のことを考えようとすると、その地域のことを内に内に考えていくイメージが湧きますが、本書は結果的にそうはならなかった。むしろそこから外に出ようとしている。ローカル、つまりある特定の地域や領域や現場をよりよいものにしていこうと思ったら、同質性に抗わなければならない。つまり外部を獲得し続け、風を送り続けなければいけないということかもしれません。
(小松理虔『地方を生きる』ちくまプリマー新書、2021)

 

 こんばんは。上記の文章は「学校をよりよいものにしていこうと思ったら、同質性に抗わなければならない。つまり外部を獲得し続け、風を送り続けなければいけない」と言い換えることができます。正しい。その場合のタイトルは『学校を生きる』となるでしょうか。同質性に抗っている先生って、よい。外部を獲得し続け、風を送り続けている先生って、よい。小松理虔さんいうところの「ローカル・アクティビスト」のようで、よい。

 

 ローカル・アクティビストって、何?

 

地方を生きる (ちくまプリマー新書)

地方を生きる (ちくまプリマー新書)

  • 作者:小松理虔
  • 発売日: 2021/01/08
  • メディア: 新書
 

 

 小松理虔さんの『地方を生きる』を読みました。小松さんは、地元のいわき市を拠点に活躍しているローカル・アクティビストです。ここでいう「ローカル」というのは「いま、あなたが住んでいる地域」のことで、たとえばそこが銀座であっても「ローカル」、ニューヨークであっても「ローカル」です。もっというと、

 

究極のローカル、究極の現場とは「自分の人生」です。

  

 あなたの人生そのものが、他者からすれば「ローカル」ということです。つまりあなたも『地方を生きる』を読めば、ローカル・アクティビストになれるというわけです。で、ローカル・アクティビストって、何?

 

 目次は以下。

 

 第一章 郷に入りては、郷を面白がる
 第二章 ふまじめな場づくり
 第三章 ローカルと食
 第四章 ローカル「クソ」話
 第五章 地域の「復興」とは
 第六章 エラーと生きる

 

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いわき市にある「アクアマリンふくしま」にて(2006.12.29)

 

 初任校が三陸海岸沿いにあったので、実家のある東京に帰りがてら、 福島にはよく立ち寄っていました。長女が生まれてからも寄り道は続いて、小松さんが活躍しているいわき市でいえば、子連れ観光客の定番、アクアマリンふくしまとスパリゾートハワイアンズが楽しかったなぁと懐かしく思い出します。

 私が長女と一緒にカメを仰ぎ見ていたとき、27歳だった小松さんは、3年間勤めた福島テレビ局を辞め、日本語教師の資格をとって中国の上海に移住します。ローカルの、すなわち福島の価値を見出すことができず、「ローカルなんてクソつまんない!」という負のエネルギーを原動力にしての移住です。

 

 郷に入りては、郷を面白がる。

 

 第1章のタイトルです。ローカル・アクティビストの面目躍如といったところかもしれません。上海が面白かったんですよね。それもいわき市でいうところの「ハワイアンズ」ではなく、つまり上海のグローバルなところではなく、《唯一無二の味を提供する古びた食堂》に似た、上海のローカルなところが。

 

 ローカルは、刺さる。

 

 三陸海岸沿いにあった初任校も刺さりまくったので、よくわかります。観光客の視点とは違ったところにローカルの魅力は眠っています。それを見つけるのは往々にして「ソトモノ」「ヨソモノ」です。小松さんは上海に行ったことで「ソトモノ」「ヨソモノ」の見方・考え方を獲得することができたというわけです。

 

 十八年間暮らしたいわき市小名浜だってそうでしょう。「うちの地元なんてなんもねえ」としか思っていませんでした。地元にはまだ見たことのない景色がたくさんあるはずなのに、「何もない」「つまらない」と決めつけ、興味も持っていなかった。つまらないのは、地域ではなく、ぼく自身だったのでしょう。

 

 上海を面白がることで見えてきた「ローカルやべぇ」「ローカル面白い」という見方・考え方が、「自分の地元はクソだ」と思っていた小松さんを、ローカル・アクティビストとして覚醒させます。ローカルを毛嫌いしていた時期があったからこそ、大好きになった。小松さんは上海の3年間がもたらした「覚醒」をそのように振り返っています。覚醒した小松さんが、郷里のいわき市小名浜に戻り、上海での経験(日本語教師として働いた後に広告会社へ転職)をもとにスタートさせたのが「場づくり」です。

 

 ふまじめな場づくり。

 

 第2章のタイトルです。第6章とともに、この本の白眉といえるでしょうか。小松さんは、食い扶持を得る仕事とは別に、上海の広告会社でやっていたことを真似て「ローカルウェブマガジン」を創刊します。先ずはオンラインでの場づくり。

 

 企画はどれもシンプル。人に話を聞き、風景を撮影し、地元について様々に考察し、それを書き綴るだけ。それだけなんだけれど、発信することで反響が生まれ、それがまた新しい人間関係をもたらしてくれました。メディアを作ることの原初的な楽しさが記録されています。

 

 学級通信を書いてクラスづくり&保護者との関係づくりをしている先生はピンとくるのではないでしょうか。 ウェブマガジンを通して、小松さんは小名浜での人間関係を拡張していきます。続いてはオフラインでの場づくり。

 

彼、丹洋祐くんとは運命の出会いでした。すぐに意気投合し、オルタナティブスペースの構想を語り合いました。そして首尾よく、小名浜港のそばに、古くは練り物の加工場だったという建物を見つけました。

 

 ウェブマガジンの読者だったという建築屋の丹さんと知り合い、オフラインでの場づくりに必要な物件を見つけ、契約を結ぶ手はずを整えたところに襲ってきたのが3月11日の地震というのだから、人生、一寸先は闇です。

 

 契約書の締結予定日は、2011年3月12日。

 

 ローカル・アクティビストは《明日災害が起きるかもしれない地域》も楽しみます。揺れにも負けず、波にも負けず、原発事故にも負けず、《むしろ、多くの犠牲があったからこそ、そもそもやりたかったことをここでやるべきではないかと考えるように》なった、とのこと。サウイフモノニワタシハナリタイ。

 

ゴーストタウン化していた小名浜で新しい物件を探し、五月一日、小名浜銀座商店街の一等地に二〇坪の物件を見つけ、オルタナティブスペース「UDOK.」は開かれました。

 

 UDOK.では、復興会議などのまじめなものから、入棺体験などの一見ふまじめに思えるものまで、様々なイベントが開かれたそうです。イベントの多様性は小名浜内外から予期せぬ多様な人たちを引き寄せ、《だれかといい時間を過ごす》ことによって場づくりが進んでいったとのこと。学級もそうありたい。

 ちなみに「場づくり」という言葉は「NPO法人れんげ舎」が商標登録をしています。代表理事の長田英史さんは『場づくりの教科書』という本を書いていて、その内容は、小松さんのいう「ふまじめな場づくり」に通ずるところがあります。クラスづくりでいうと、管理統制ではなくゆるい感じでしょうか。

 

 ゆるさは余白を生み、誤配を生みます。

 

 エラーと生きる、というのが最終章である第6章のタイトルです。エラーというのは、東浩紀さんいうところの「誤配」のこと。第1章と第2章はもちろんのこと、第3章~第5章にも、この「エラーと生きる」が通奏低音となって流れています。以下の引用は第3章から。総合的な学習の時間の「手本」です。

 

 ぼくは、福島の海の汚染状況を調べに行ったはずなんです。そのはずが、予想に反し、釣りをマスターし、魚の生態について知り、魚の捌き方まで覚え、さらに、どうやって食べたらうまいかまで学んでいました。なんという「エラー」でしょう。

 

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エラーではなく、エイ

 

www.countryteacher.tokyo

 

 優れた教師が授業中のエラーを楽しむように、ローカル・アクティビストもエラーを楽しみます。優れた教師がまじめに「ふまじめなクラスづくり」(≠管理統制)をするのは、ローカル・アクティビストと同じように、エラーから学べることの豊かさを、すなわち「エラーの価値」を知っているからでしょう。エラーと生きなければ、ローカルを、クラスを、自分の人生を、よりよいものにしていくことはできません。ローカル・アクティビストとは、エラーと生きる人。最初の問いにシンプルに答えれば、そうなります。

 

 地方を生きるとは、エラーと生きること。

 学校を生きるとは、エラーと生きること。

 

 おやすみなさい。

 

 

場づくりの教科書

場づくりの教科書

  • 作者:長田英史
  • 発売日: 2016/09/13
  • メディア: 単行本
 
哲学の誤配 (ゲンロン叢書)

哲学の誤配 (ゲンロン叢書)

  • 作者:東 浩紀
  • 発売日: 2020/05/01
  • メディア: 単行本