田舎教師ときどき都会教師

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河野哲也 著『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』より。こなす学校から、哲学する学校へ。

 現代社会に生きる私たちは日々の活動に追われ、自分の人生、社会のあり方、人間の生き方についてじっくり考える時間を失っています。こどもたちにも同じことが言えます。こどもたちも、学校や塾などに忙しくしています。こどもたちの人間関係は大人と同じほど複雑で、こどもたちはその調停に多くの労力をさいています。ですから、深くて大きな問題について友だちと一緒に話し合うなどという時間はあたえられていません。学校でもそうなのです。そうして、大人もこどもも、断片化した生活を素早くこなして生きていくのですが、あるとき突然に、自分の生活が全体として無意味に思えて、呆然とするのです。
(河野哲也『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』河出ブックス、2014)

 

 こんばんは。やれオンライン配信だの、やれ感染防止の徹底だの、やれ土曜授業だのと、2学期早々《断片化した生活を素早くこなして生きていく》毎日に追われ、呆然としています。わかってはいたものの、しんどい。はたしてこれは、

 

 よい人生なのか?

 

 先日、6年生の国語の授業で「対話の練習」をしたときに、テーマ「自分にとってこれからの生活でいちばん大事にしたいこと」に対して、ノートに「勉強してよい人生にすること」と書いていた子がいました。当然、こう問いたくなります。

 

 よい人生って何?

 

 日を改めて、道徳の時間に「よい人生って何?」というテーマで対話の場をもちました。全員で円をつくった後、ちいさな哲学者はこう言います。曰く「よいことばかりではなく、失敗や悲しい出来事もあった方がよい人生になると思います」云々。もしかしたら、このしんどい日々も、

 

 よい人生には必要なのかもしれない。

 

 

 河野哲也さんの『「こども哲学」で対話力と思考力を育てる』を読みました。主体的・対話的で深い学びを実現する「学級づくり」と「授業づくり」の助けになる一冊です。目次は以下。

 

 第一部 理論編
  第一章 「こども哲学」とは何か
  第二章 なぜ「こども哲学」がよいか
  第三章 いま求められる対話力
  第四章 世界に広がる対話授業
  第五章 鍛えられる思考力
  第六章 行い方の特徴

 第二部 実践編
  第一章 環境づくり
  第二章 進め方
  第三章 各科目での取り入れ方
  第四章 こどもに対話させることは本当にできるのか
  第五章 対話をどう評価するか


 こども哲学というのは《対話によって思考を深める活動》のことをいいます。その目的は、こどもたちに《対話という学びを通して、吟味された意義深い人生を生きてもらおうとする》こと。つまり新しい学習指導要領の柱である「主体的・対話的で深い学び」と「社会に開かれた教育課程」の両方を満足する「学び」というわけです。全員で車座になり、聴き合う関係をつくりながら「よい人生って何?」というような、学びを動機付ける大きなテーマについて掘り下げていく哲学対話。活用しない手はありません。

 

 世界に広がる対話授業。

 

 しかし、日本は遅れている。

 

 こういった「学び」の必要性を説いているのは河野さんだけではありません。こども哲学の意味するところは、聴き合う関係づくりの重要性を説いた教育学者の佐藤学さんであったり、日本の教育に欠けている動機付けの重要性を説いた社会学者の宮台真司さんであったり、ただ聞くだけの場ではなく「聞いて考えて対話して気づく」場の重要性を説いた人材開発・組織開発で知られる中原淳さんであったり、教室にコミュニケーションの束をつくることの重要性を説いたもと教員の岩瀬直樹さんであったり、映画『プリズン・サークル』で他者の本音に耳を傾けることの重要性を説いた映画監督の坂上香さんだったり、要はわたしの「推し」のトップランナーたちが主張していることと重なります。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 こんなにもたくさんのまともな大人が「対話」を推しているのに、なぜ日本の授業スタイルは変わらないのでしょうか。コロナ不安で欠席している児童へのオンライン対応に追われるここ最近。近隣の自治体には、予備校のようなオンライン授業をイメージしていた保護者から山のようなクレームが届いたそうです。予備校のような授業っていうのは要するに「チョーク&トーク」のことでしょう。こども哲学の対極にある授業です。敵は本能寺にあり、ではなく、

 

 敵は黒板と喋りすぎる教師にあり。

 

 では、哲学対話の授業はどのように進めればいいのかといえば、以下。

 

 哲学対話は、
  (0)哲学対話の説明
  (1)テキストを読む
  (2)テーマと問題を決める
  (3)探究的対話をする
  (4)対話を振り返り、吟味する
 という過程から成り立っています。

 

 画期的なのは、この「こども哲学」の過程は、国語算数理科社会などの各教科の授業にすぐにでも取り入れることができるということです。それが第二部実践編の第三章にいくつもの例とともに詳しく書いてあります。場のつくり方しかり、ファシリテートの仕方しかり。これを読めば、国語の『ごんぎつね』も、社会の歴史の学習も、音楽や図工や体育だって、

 

 哲学できる!

 

 いちばん大事なポイントは、こども哲学が《自分の人生、社会のあり方、人間の生き方についてじっくり考える時間》をこどもたちに提供しようとしているところでしょう。故・吉本隆明さんが『ひきこもれ』に《ぼくには子どもが二人いますが、子育ての時に気をつけていたのは、ほとんどひとつだけと言っていい。それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです》と書いています。断片化した生活を素早くこなして生きていくっていうのは、やはりよくないということです。こなす生活からは吉本ばななは生まれない。こども哲学を武器に、

 

 こなす学校から、哲学する学校へ。

 

 おやすみなさい。