田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

恩田陸 著『蜜蜂と遠雷(下)』より。社会に開かれた教育課程。閉じ込められた教育を元いた場所に返そう。

 先生と話してたんだよ。今の世界は、いろんな音に溢れているけど、音楽は箱の中に閉じ込められている。本当は、昔は世界中が音楽で満ちていたのにって。
 ああ、分かるわ。自然の中から音楽を聞き取って書きとめていたのに、今は誰も自然の中に音楽を聞かなくなって、自分たちの耳の中に閉じ込めているのね。それが音楽だと思っているのよね。
 そう。だから、閉じ込められた音楽を元いた場所に返そうって話してたの。どうすればいいのか。先生といろいろ試してたんだけど、どうしたらいいのか僕も先生もわからなかった。先生はもういなくなっちゃったけど、僕はそれを続けていくって約束した。
(恩田陸『蜜蜂と遠雷(下)』幻冬舎文庫、2016)

 

 こんばんは。新しい学習指導要領で謳われている「社会に開かれた教育課程」っていうのは、つまりそういうことです。教育は学校の中に閉じ込められている。だから、閉じ込められた教育を元いた場所に返そう。

 

 例えば、これ。

 

 

 先日、社会学者の宮台真司さんにリツイートしていただいたツイートです。社会に開かれたリアル道徳。今度、子どもたちにこのエピソードから学べることを訊いてみたいと思います。若者にとって、この体験は、

 

 ギフトか、災厄か。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 単純に考えれば災厄です。が、宮台さんのリツイートの意図を汲めばギフトになるかもしれません。これが宮台さんのいう「感情の劣化」ってやつか、と学ぶことができるからです。子どもたちにはこう問えます。

 

 感情を劣化させないためにはどうするか。

 

 

 恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷(下)』を読みました。舞台は第6回芳ヶ江国際ピアノコンクール。メインの登場人物は風間塵と栄伝亜夜とマサル・カルロス・レヴィ・アナトールと高島明石。下巻はその4人のコンテスタントが1次予選(88名→24名)を勝ち抜き、2次予選(24名→12名)を闘っている場面から始まります。ちなみに3次予選は12名→6名。残った6名が本選(オーケストラとの協奏曲)へと進むことができます。勝ち進むのは、そして優勝を手にするのは誰か。直木賞と本屋大賞をWで受賞した傑作とあって、読み応え十分。クラス(6年生)の子どもたちにも勧めたい作品です。中学生になったら、読みましょう。読めば、感情の劣化に抗うためのヒントを得ることができるかもしれない。

 

 風間塵16歳。

 

 師匠であるホフマン先生と《閉じ込められた音楽を元いた場所に返そう》なんて話している風間塵は、宮台さん的にいえば「社会の外に開かれた存在」です。社会の外とは音楽が元いた場所のこと。正規の音楽教育を受けず、ピアノすら買ってもらえず、養蜂家の父と共にフランス各地を転々とする日々を送っている風間塵は、教育でいうところの森の幼稚園やシュタイナー教育が目的としている「感受性」を期せずして身に付けているといえます。蜜蜂王子という愛称の通り、自然になりきることができるということです。感受性がしっかりと育っていれば、当然、感情は劣化しません。

 

 塵は朝の陽射しをどこかで感じながら、引き揚げてきたみんなが忙しく作業をしているのを聞くのが好きだった。

 

 聞くっていうところが、よい。

 

 栄伝亜夜20歳。

 

 栄伝亜夜も風間塵に負けず劣らずの感受性をもっています。それは、2次予選で「春と修羅」を弾いたときの《亜夜は、あの凄まじい「修羅」に満ちた風間塵のカデンツァを聴いて、それに応えた。自然が繰り返す殺戮や暴力に対して、それらをも受け止め飲みこんでしまう大地を描いている》という表現からもわかります。ただし風間塵と違うのは、母親の急死を境に、その感受性にいっとき蓋をしてしまったところ。親が子どもを抱え込んでしまうと、得てしてそういうことが起こりがちです。幼少期から多様な大人と接する環境が必要だって、宮台さんが至るところで語っている所以です。   

 

 若くして極め、それに慣れてしまうことの恐ろしさは身に覚えがあった。コンサートツアーに明け暮れる歳月、孤独に虚しくなる瞬間、これがずっと続くのだという絶望。天才少女でい続けることの恐怖と重圧。
 どうやら完全復活したみたい。

 

 孤独は感情の劣化を引き起こします。だから感情の劣化に抗うには、家族や仲間の存在が鍵になります。栄伝亜夜の完全復活の陰に、風間塵やマサル・カルロス・レヴィ・アナトールあり。

 

 マサル・カルロス・レヴィ・アナトール19歳。

 

 マサルはモテるんです。そうです。宮台さんの著書でいうところの『きみがモテれば、社会は変わる。』なんです。言い換えると、きみがモテれば、感情は劣化しない。栄伝亜夜も《確かにマサルはカッコイイし、女の子にモテモテなのは間違いない》と、かつての友人マサルの魅力を素直に表現しています。亜夜とマサルは、実は幼なじみ的な関係にあったというストーリーも、よい。

 

 マサルの天才と、風間塵の天才は全く異なるのだ。
 理解できる天才と、理解できない天才。それはどういうことなんだろう。方向性が違うのか、それとも思想が違うのか?

 

 正規の音楽教育を受けてきたマサルと、正規の音楽教育を受けていない風間塵という対比も、この小説の魅力です。そして隠し味的に効いてくるのが、

 

 高島明石28歳。

 

 生活者の音楽を標榜する非天才の明石がいることによって、風間塵と栄伝亜夜とマサル・カルロス・レヴィ・アナトール人の天才性が際立ちます。しかも明石はただの引き立て役ではない。その明石と栄伝亜夜の人生がクロスする場面があります。  

 

 明石が自己紹介しようとするのを遮って、亜夜は首を振った。
「高島明石さんでしょう。あたし、あなたのピアノ好きです」
 亜夜は、あのきらきらした大きな目で言った。
 明石は「えっ」と思わず叫ぶ。
「僕の名前、覚えていてくれたんですか?」

 

 感情の劣化の反対です。素晴らしきかな人生。明石の全身に熱いものが駆け巡るのも無理はありません。生活者の教育を標榜する私にも熱いものが駆け巡りました。生活の中に閉じ込められていた人生が外に開かれたこの瞬間、明石は《このコンクールは始まりだ》と確信します。

 

 最後にこの小説の魅力をもうひとつ。

 

 エントリーに始まり、一次予選、二次予選、そして三次予選と、人を変え曲を変え、何度も演奏が繰り返されるのにもかかわらず、飽きることなく読者をコンクールに没頭させる恩田さんの筆力って、すごい。閉じ込められた物語を元いた場所に返すことに成功しているのでしょう。

 

 社会に開かれた物語の力で、感情の劣化に抗う。

 

 おやすみなさい。