僕が思い出したのは、父が前に、「お父さんたちも試行錯誤なんだよな」と言った時のことだ。
「子育ては初めてだし、何が正解なのかいつも分からないから、ほんと難しいよ。ただ少なくともお父さんは、自分が親に言われたり、やられたりして嫌だったことはやらないようにしているつもりなんだ。だから謙介も親になったら、お父さんたちの良かった部分は真似して、駄目だった部分はやめるんだぞ。そうすれば、ほら、だんだん完成形に近づいていくんじゃないか?」
そう簡単にはいかないだろう、と思いつつも、「うん分かった」と僕は答えた気がする。完成形が程遠いことだけは、分かった。
(伊坂幸太郎『逆ソクラテス』集英社、2020)
おはようございます。昨日、10年前の教え子と Zoom で教育相談をしました。もう成人なので人生相談といったほうがよいでしょうか。当時は10歳の4年生、現在は教育学部に通う大学3年生です。曰く「小学校の先生を目指している」とのこと。
10歳にして完成形に近かった彼女が教職の道を志していることに嬉しさを覚えると同時に、責任も感じます。何せこのひどい労働環境です。彼女が教員を志望した動機の中に、もしも私の存在が0.01%でも入っているのだとしたら、幻滅させたくありません。試行錯誤して一人娘を育てたご両親にも申し訳ないですから。
コロナ禍を奇貨として、before コロナの時代における労働環境の良かった部分は真似して、駄目だった部分はやめる。そうすれば、ほら、だんだん「先生になりたい」や「先生になってよかった」という感想をもつ教え子が増えていくんじゃないか?
昨夜、伊坂幸太郎さんの新刊『逆ソクラテス』を読みました。小学生を主人公とした短篇5編が収録されています。そしてどの短篇にも担任の先生が登場します。さらには主人公の小学生が成長した後に担任の先生と再会するという場面も描かれています。なんてタイムリーな小説なんだ。昨夕、Zoomとはいえ、リアルでもそんな場面があったよ。
事実は小説よりも奇なり。
反面教師的に描かれている先生もいれば、理想の教師像的に描かれている先生もいます。反面児童的に描かれている子どももいれば、理想の児童像的に描かれている子どももいます。
反面教師的に描かれている先生の代表は、タイトルにある「逆ソクラテス」でしょうか。逆ソクラテスというのはすなわち無知の知の反対、俺は完璧だ、間違うわけがない、何でも知ってるぞという先生のことです。
この子はできる子。
この子はできない子。
逆ソクラテスはそういった先入観をもって子どもたちに接することから、できる子はさらにできるようになり、できない子はさらにできなくなっていきます。教師の期待によって学習者の成績が向上するという、いわゆるピグマリオン効果(教師期待効果)です。
「逆もあるよ。『この生徒は駄目な子だ』って思い込んで接していたら、その生徒が良いことをしても、『たまたまだな』って思うだろうし、悪いことをしたら、『やっぱりな』って感じるかもしれない。予言が当たる理屈も、これに近いんだって。それくらい先生の接し方には、影響力があるってことかも」
「病は気から、っていうのと同じかな」
安斎はブランコに座りながら腕を組み、ううん、と唸り、「ちょっと違うかも」と首を捻る。
唸って首を捻るところが、よい。予言が当たる理屈というのがピグマリオン効果のことですね。冒頭に「10歳にして完成形に近かった彼女」と書きましたが、クラスの全員に対してそう思って接することが、おそらくは理想というわけです。主人公のひとりである安斎くんは、担任の逆ソクラテスにこう言います。
「子供たち全員に期待してください、とは思わないですけど、駄目だと決めつけられるのはきついです」
そんな安斎くんの得意技というか裏技というか、とにかく先入観をもった人に抗うための必殺のひとことは、
「『僕はそうは思わない』」
カッコいい。小学生が年齢不相応に知的でカッコいいこと。お洒落な言葉を口にすること。そしてその不相応さにマイナスな意味での違和感がないこと。それが少年たちを主人公にした『逆ソクラテス』の魅力です。村上春樹さんの作品に出てくる大人の主人公の造型スタイルと似ているかもしれません。こんなホットな小学生はいないだろう、でもこんなホットな小学生だったらよかったな。こんなクールな大人はいないだろう、でもこんなクールな大人になりたいな。
そういえば、村上春樹さんの『スプートニクの恋人』にも小学生が登場したなぁ。確か「にんじん」という名前でした。主人公の小学校教師「ぼく」が担任している子どもです。今度、読み返してみようと思います。
理想の教師像的に描かれている先生。
いくつかの短篇に「磯憲」なる教師が登場します。理想の教師像的に描かれている先生です。モデルとなっているのは伊坂幸太郎さんを実際に担任していた先生で、小学校4年生から6年生までの3年間をその先生と過ごしたそうです。新任教師だったとのこと。初任に3年間もち上がりでクラスを任せるなんて、なかなか粋な人事だなぁと思います。
六年ほど前に再会しましたが、それ以降もまた、大事なことを教えてもらっている気がしますし、せっかく小学生が主人公の短篇を書くなら、と登場させたくなった次第です。
磯憲先生、教師冥利に尽きますね。どんな先生だったのでしょうか。それは読んでみてからのお楽しみということで。
教え子たちの未来に期待しつつ。
完成形は、近い。