田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

鳥山敏子 著『賢治の学校』より。慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル サウイフ親ニ ワタシハナリタイ。

 本当の楽しさには、いつ死ぬかもしれない危険が伴うこともある。そういう楽しさを保証しないと、子どものからだの野生やエロスは育たない。それを賢治は十分に知っていたのだと思う。けがをしたり、最悪の場合は死んでしまうかもしれないことを賭けて生徒の前に立つ人間でなければ、こういったことは決してわからないだろう。
 いまは、教師が生徒を連れ出して山へ行ったり川に行ったりすることができない。管理職である校長の責任が問われるからだ。時代がいかに窮屈になっているか、それを知る意味でも、賢治は大いに参考になると思う。賢治をまねろとか、賢治のとおりにしろといっているのではない。現在がどれほど管理的な社会になっているか、賢治の行為と作品は、それを知らせてくれる本当にいい鑑だと思うのである。
(鳥山敏子『賢治の学校』サンマーク出版、1996)

 

 こんばんは。子どもたちを連れ出して山や川に行くわけでもないのに、いつ死ぬかもしれない危険を伴う学校が再開間近となっています。何が正しい判断なのかはわかりませんが、コロナによって死と隣り合わせになったところで、山や川と違って子どもたちのからだの野生やエロスが育つわけではありません。それを教委は十分に知っているのだと思います。しかし知っていたとしても、立場上、仕方がないのでしょう。ブロガーのインクさんも言っているように《教育長も市長も大臣もみんな人間》ですから。

 

taishiowawa.hatenablog.com

 

 とはいえ、やはり心配です。雨にも風にも雪にも夏の暑さにも負けない丈夫な体をもとうとしても、感染症にはかなわないからです。サウイフモノニワタシハナリタイと願っていた宮沢賢治だって結核にやられて亡くなっています。いつも静かに笑えない。担任は、あらゆることを、自分を勘定に入れて、よく見聞きしわかり、そして忘れずにいないと、満員電車でゲットしたウイルスを子どもたちにうつしてしまうかもしれません。ホント、笑えない。

 東に病気の子供がいても、行ってはいけません。南に死にそうな人がいても、行ってはいけません。西に疲れた保護者がいれば、免疫が大事ですよとその旨伝え、北に喧嘩や訴訟があれば、唾が飛ぶからマスクをつけろと遠くから呼びかけなさい。時代は窮屈さを増しています。しかし三密につながる教室での窮屈はNGとのこと。現在がどれほど管理的な社会になっているか、賢治の「雨にも負けず」は、それを知らせてくれる本当にいい鑑です。

 

 

 雨ニモマケズに呟いた昨日のツイートにたくさんの人が反応してくれました。さすがは小学校の国語の教科書にも載っている国民的作家です。銀河鉄道の父も喜んでいることでしょう。風の又三郎だって飛んでくるかもしれません。

 

 どっどど どどうど どどうど どどう
 やんちゃな子供もつつみこめ
 すっぱいモンペもつつみこめ
 どっどど どどうど どどうど どどう

 

www.countryteacher.tokyo

 

 宮沢賢治の教えをベースにした実践に関しては、小学校教師の中で鳥山敏子さん(1941-2013)の右に出るものはいないでしょう。彼女が創設した「東京賢治シュタイナー学校」のホームページ(https://www.tokyokenji-steiner.jp/)には、次のようにあります。

 

「東京賢治シュタイナー学校」の創設者・鳥山敏子(とりやま・としこ)は、30年以上にわたって公立学校の教師として子どもたち、そしてその親たちと向き合ってきました。

 公立学校時代の彼女は、生きた鶏を絞めて調理をしたり、豚を丸ごと解体して食べるといった「いのちの授業」や、自由意志で集まった親や子どもたちと劇をつくるなど、公立学校の枠組みを超えた生き生きとした学びの場を創り、広く知られる存在となっていました。
 彼女の授業は「奇跡」「伝説」と言われ、多くの賛同者が集まりました。その取り組みの中で鳥山敏子は、子どもたちの抱える問題と同時に、子どもを通して見えてくる”親の問題”にも目を向けるようになります。
 公立学校での教育に限界を感じ、52歳で退職すると、今度は日本全国で講演活動やワークショップを行い、親が抱える問題に直接取り組むようになりました。東京でも親と子が取り組むワークショップが多数開催され、その流れの中で今度は、成長していく若者のための場所が必要だと感じるようになっていきます。

 

 鳥山敏子さんにはお子さんがいて、そこがすごいなぁと思います。祖父母や旦那さんの手厚いフォローがあったのかなかったのか、凄腕のシッターさんがいたのかいなかったのか、或いは双子だったのか、それは知りませんが、子育てをしながら鶏だの豚だの演劇だのってこれだけの実践をするなんて、校種は違えど同じ東京都の教員だった大村はま先生(1906-2005)もびっくりしていたのではないでしょうか。

 

 

《「賢治の学校」は、まず家庭から》。鳥山敏子さんの『賢治の学校』には、学校の抱える問題と親の抱える問題がはっきりと指摘されています。学校については、例えば次のように書かれています。臨時休校明けに、そしてコロナと共存していく時代に「するべきこと」のヒントになるのではないでしょうか。

 

既存の学校というものが、過剰なカリキュラムで埋めつくされ、子どもを比較し、評価し、あまりにもよけいなことをやりすぎる。子どものもっている天の才は、それでは発揮できない。不必要な、しかも、過剰なカリキュラムにかき回され、本来からだがもっているはずの天の才を子どもたちが察知できなくなっている。こんなことでは、南方熊楠や宮沢賢治のような人物はこの国にはもうあらわれないだろう。

 

 減らせばいいんですよね、やることを。詰め込んで比較なんてするから《「あなたの子育ては立派ね」と世間から評価されたい》親が、子ども以上によけいなものをいっぱい背負うことになる。子育てに正解なんてないのに。よけいなことが増えれば増えるほど、親はそれをこなすことが正解だと勘違いしてしまう。

 

子どもは、親のからだやこころを自分に映して生きている。したがって、親が自分のなかに無意識のうちにもっている問題を解決し、親自身が変わっていかないかぎり、子どもは変わらないし、悩みや苦しみから自分を解放することも、天の才を発揮することもできない。子どもの才や能力を封じこめているのは、ほかならぬ親なのだ。もちろん、学校、社会、教師もいわずもがなだが。

 

 親については例えばそう書いてあります。1994年、鳥山さんが教師を辞めたとき、関心はもう子どもではなく親にあったそうです。親が変わらなければ子どもは変わらない。だから親と子のワークショップや「賢治の学校」づくりにシフトしたとのこと。花まる学習会をつくった高濱正伸さんも同じようなことを言っていたなぁ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 子育てに正解はない。

 

 まぁ、ある程度は存在すると思いますが、鳥山敏子さんが宮沢賢治を持ち上げれば持ち上げるほど、そして親が抱えている問題を取り上げれば取り上げるほど、門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』を思い出してしまって、なんともいえない気持ちになります。小説とはいえ、徹底的に調査したことをベースに書かれている『銀河鉄道の父』を読むと、賢治の父である宮沢政次郎さんの子育てが正攻法だったとは思えないからです。賢治のことをかなり甘やかしていますからね。それでも国民的作家ができあがるのだから、おもしろいものです。

 

 保護者「なんで〇〇小は何もしないんですか💢」。

 

 慾ハナク
 決シテ瞋ラズ
 イツモシヅカニワラッテヰル

 

 サウイフ親ニ
 ワタシハナリタイ

 

 

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  • 作者:門井 慶喜
  • 発売日: 2020/04/15
  • メディア: 文庫