田舎教師ときどき都会教師

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村田沙耶香 著『消滅世界』より。Beforeコロナの世界と Withコロナの世界の狭間で。逆アダムとイブ。

 夫の今の恋人とは、私も何度か会ったことがある。ショートカットの小柄な女性で、さばさばと明るく夫に軽口を言うのが可笑しくて、三人でたくさん笑いながら食事をした。
 少し辛辣なところもあるが賢くて、素敵な女性だった。私は彼女が好きだったし、二人は幸せそうだった。夫の妻として、二人の恋を温かく応援していた。
(村田沙耶香『消滅世界』河出文庫、2018)

 

 こんばんは。マスクって、煩わしいですよね。もともと何かを身に付けるのが好きではなかったので、指輪もはめていないし、腕時計も使っていません。アダムとイブが禁断の果実を口にしていなければ、私たちはずっと生まれたままの姿でOKだったはず。それなのに、今ではマスクの着用まで求められるようになってしまいました。人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。羞恥を知り、恋を知り、そして感染症を知り。何かを知るたびに身に付ける「荷」が増えていきます。知ってしまったら、もう元の世界には戻れません。村田沙耶香さんいうところの消滅世界。全裸まで戻る必要はないと思いますが、せめてマスクをつけなくてもいい世界に戻ることはできないのでしょうか。臨時休校がはじまり、ビフォアーコロナの世界が消滅してしまってから早2ヶ月半。マスクをつけずに歩いている人を見るたびに、ソーシャル・ディスタンスを意識しつつ、古きよき時代を懐かしく思い出します。

 

消滅世界 (河出文庫)

消滅世界 (河出文庫)

 

 

 村田沙耶香さんの『消滅世界』を読みました。芥川賞をとった『コンビニ人間』に続く、私にとっては2冊目の村田ワールドです。

 手にしたきっかけは Twitter です。以前、中村文則さんの『私の消滅』をブログで取り上げたところ、フォロワーさんに「消滅」つながりでこの『消滅世界』を勧められ、読んでみたいなぁと思いました。縁は大事に育むもの。お礼も兼ねてそのツイートをここに載せようと思ったのですが、見つからないんですよね、これが。消滅です。消滅ツイート。世界が消滅するよりはいいかもしれません。

 

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 アダムとイブの逆って、どう思う?

 

 小説の頭に登場する台詞です。逆アダムとイブ。伊坂幸太郎さんの『逆ソクラテス』はここからヒントを得たのかと勘ぐりたくなるような言葉ですが、村田沙耶香さんの『消滅世界』では、禁断の果実と真逆の果物を食べた人々が、羞恥も性行為もないエデンに帰って行くかのような世界が描かれています。そんな世界を描くためのアイデアが「夫婦間の性行為を近親相姦に位置づける」というもの。そのアイデアを念頭に置くと、冒頭に引用した普通ではない場面も理解できるのではないでしょうか。

 身を切るような恋はパートナー以外の人とする。夫婦は家族だから恋もしないし性行為もしない。子どもは性行為ではなくて人工授精によって産まれてくる。家族という存在の自明性は薄れ、結婚する人も少ない。性行為に関しては現代でいうところの草食系と同じで、もはやほとんどの人がやっていない。恋人に対してもそれは同じ。性行為という概念自体が消えかけている。図鑑で調べてようやくイメージできるレベル。粘膜とか、ちょっと無理なんですよね(By 古市憲寿さん)。そういった世界。

 

 日本の未来?

 

 主人公・雨音(♀)の母は、そういった世界のずっと前の世界、夫婦が性行為をして子どもを産むことが普通だった時代の生き残りのような女性です。うんざりとした口調で《昔はね、朔くん(雨音の夫)みたいによそに女を作るほうが、ずっといけないことだったのよ》と雨音に話したりします。だから雨音は、2つの時代の価値観の狭間で悩み、混乱しながら生きていくことになります。Before コロナの時代の価値観を引きずっている学校が、with コロナの時代に入って混乱しているのと同じです。 

 逆アダムとイブを描いているので、当然、物語の後半には楽園が登場します。実験都市・千葉です。そこでは家族システムは解体され、子どもたちは集団で管理されています。細かい説明は省きますが、全員がすべての「ヒト」の子どもであり、男も含めて「おかあさん」になるという設定です。この設定は、実はそれほど突飛なものではありません。批評家の東浩紀さんが、ユートピアに関するテクストをいろいろと読んだときのことを振り返り、新刊『新対話篇』の中で次のように述べています。

 

 そしてふと気がついたのですが、ほとんどのユートピアは、子どもを共同管理しているんですね。リュクルゴスのスパルタしかり、プラトンの理想国家しかり、トマス・モアの『ユートピア』しかり。現実になったところではイスラエルのキブツもそうですね。みんな子どもを集団管理する。家族を解体し、子どもたちを共同体のものとするというのが、どうもユートピア論の基本で、それが歴史的に反復されている。これは、裏返せば、人間が理想の社会をイメージしたときに、子どもがいかに厄介な存在であるかということを反映しているんだと思います。

 

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 厄介な存在である子どもを、集団管理どころかステイホームで完全にバラバラに育てている現在は、ユートピアではなくディストピアなのでしょうか。ただ、東さんが説明しているユートピアは、おそらく男性がイメージしたものであって、女性からするとそのイメージはディストピアなのかなと思います。ちなみに解説を書いている精神科医の齊藤環さんによると、『消滅世界』に関しては、女性の側からは主として「ユートピア小説」、男性からは「ディストピア小説」といった評価があるとのこと。その逆転もおもしろいなぁと感じました。

 

 みなさんはどう読むでしょうか。

 

 世界が消滅する前に、ぜひ。

 

 

新対話篇 (ゲンロン叢書)

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  • 作者:東 浩紀
  • 発売日: 2020/05/01
  • メディア: 単行本
 
コンビニ人間 (文春文庫)

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