田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

岡崎勝 著『きみ、ひとを育む教師ならば』より。すべての美しいものに出会うために、かくされた悪を注意深くこばむこと。

 確かな授業を続けるためには、テレビ番組の話をしたり、最近の小説や、『20世紀少年』のマンガの話、タレントの動向、政権交代、環境保護活動などさまざまな話を盛りこんだり、教育の技術を学んでいくことが大切です。そのほうが子どもにとって楽しいし、効果的なことは当然です。
 まして、学習が不得意な子には、まず、いろいろと話を聞いてあげたり、自分の苦労した体験談を話してみたりしてみます。ときには、教員でなく、親の顔だったりきょうだいの顔をして、時間をかけてつきあうことが効果的なこともあります。生活する、生きた人間でなくなる「忙しさ」は、教育の一番の敵なのです。まず、そこにみんな気づくべきでしょう。
(岡崎勝『きみ、ひとを育む教師ならば』ジャパンマシニスト社、2011)

 

 おはようございます。 新年度早々に「教育の一番の敵」がやってきて、心を亡くしかけています。一昨日と昨日の2日間だけで、子どもたち(6年生)もやってくる来週月曜日の「入学式前日準備」を迎えるなんて、無茶苦茶なのです。こんなことを続けている限り「#教師のバトン」はつながりません。瀬尾まいこさんいうところの「そして、バトンは渡された」とはならない。まず、そこに行政は気づくべきでしょう。おかげで今日はこれから休日出勤です。下手をすると明日の日曜日も食われるかもしれません。きみ、ひとを育む教師ならば、定時以降は自分の時間を楽しまないと。

 

 いわんや土日をや。

 

 

 新年度ということもあって、初心にかえるべく、岡崎勝さんの『きみ、ひとを育む教師ならば』を再読しました。岡崎さんは小学校のもと教員で、9年前に定年退職した後も非常勤講師として現場に立ち続けている、私たちの「大先輩」です。

 目次は、以下。

 

 第1章 新学期を迎えたら
 第2章 子ども&親の ”問題” にぶつかったら
 第3章 先生になりたいと思ったら、先生を辞めたいと思ったら

 

 岡崎さんの「魅力」はといえば、それは、学校マガジン『おそい・はやい・ひくい・たかい』の編集人を務めていたり、ウンコのおじさんこと社会学者の宮台真司さんと仲良しだったりするところでしょう。まるで、社会学者の見田宗介さんと仲良しだったという、故・鳥山敏子さん(1941-2013)のようです。それぞれの仲良しの程度は知りませんが、岡崎さんは宮台さんと、鳥山さんは見田さんと「共著」を書いているくらいだから、それなりの間柄なのだろうなって想像します。二人とも私たちと同じ小学校の教員なのに、

 

 すごいなぁ。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 きみ、もしも「先生という仕事にとって一番大事なものは何ですか?」と聞かれたならば、ひとを育む教師として、何と答えますか?

 情熱でしょうか。それとも教える喜びでしょうか。私だったら「健康」、或いは「読書」かな。岡崎さんの答えが奮っています。

 

 自転車!

 

 即答したそうです。なぜ自転車なのかといえば、健康のためではなく、それは《外の世界と教室の世界をつなぐ》ために欠くことのできない道具だから、です。さすがだなぁ。

 

 授業で教えたり、ほめたり叱ったりということが仕事にはちがいないのですが、教え育むというこの仕事は、教室や学校のなかで完結するようなことはありえないと思っています。
 自転車でなくてもいいのですが、外の風を身体に感じることが、先生という仕事にはとても大事です。

 

 教え育むということ
 いま教え育むということ
 それはジテンシャ
 それは21セイキショウネン
 それはタニカワシュンタロウ

 

 生活して、すべての美しいものに出会うということ。生きた人間として、かくされた悪を注意深くこばむこと。なぜそれが大事なのかといえば、答えの代わりに、詩人・岡崎勝さんの作品を引きます。『きみ、ひとを育む教師ならば』の扉ページ(本扉)に載っている詩です。

 

 きみ、人を育む教師(ひと)ならば、
 子どもと並んで横に立ち
 彼らが何を見ているか、彼らが何を聞いてるか
 きっと感じることだろう・・・・・・

 きみ、人を育む教師(ひと)ならば、 
 子どもと並んで横に立ち
 彼らの震えやつぶやきも、とびあがるほどの喜びも
 きっと感じることだろう・・・・・・

 そして、いつか、
 子どもは、あなたの横に立ち
 あなたの見ているものを見るだろう
 あなたの声も聞くだろう

 文部科学省の「#教師のバトン」プロジェクトが悪い意味で話題となっていますが、あそこに書かれているような「かくされた悪」を子どもたちに受け継いではいけないということです。いつか子どもは私たちの横に立ち、私たちが見ているものを見るからです。私たちの声を聞くからです。

 

 #先生死ぬかも

 

 半年くらい前には、そんなハッシュタグが Twitter でトレンド入りして話題となっていました。ひとを育む教師ならば、教育の一番の敵である「忙しさ」を何とかしなければいけません。敵を活気づける「かくされた悪」は、断固として、注意深くこばまなければいけない!

 

  

 岡崎さんは教師の多忙化の原因を「子どもと親が多様化(個性化)したこと」によるものだと考え、そのこと自体は、社会的にいうなら「善き」ことと書きます。見方を変えれば、私たち教員は「みんなちがって、みんないい」&「おそい、はやい、ひくい、たかい」という教育の成果に苦しめられているということになります。子どもと親が個性化したのであれば、私たち教員も個性化すればいい。個性化するためにも《教員は、まず「私の仕事内容と勤務時間を教えてください」と、素朴に聞くべき》であり、自分の時間を当たり前のように大切にして、勤務時間以外はすべての美しいものに出会うために学校の外に足を運んだ方がいい。それが「教え育む」ことにつながるのだから。コロナ以前の「残業(無賃労働)を前提とした行事」なんて絶対に復活させてはいけない。

 

 結局、人。やっぱり、生き方。

 

 第3章の「先生になりたいと思ったら、先生を辞めたいと思ったら」の中に、「先生のくらし方」という節があります。くらし方=働き方=生き方、です。外の風を学校に運び続けている岡崎勝さんという大先輩の生き方、ぜひ参考に。

 

 行ってきます。 

 

 涙。

 

 

そして、バトンは渡された (文春文庫)

そして、バトンは渡された (文春文庫)