田舎教師ときどき都会教師

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ひろゆき(西村博之)著『僕が親ならこう育てるね』より。私が読者ならこう参考にするね。

 子どもに幸せになってほしいと願うならば、お金を稼ぐために「勉強しなさい」と言うよりも、「いい人間関係を大切しなさい」と教えたほうがいいということですね。
(ひろゆき『僕が親ならこう育てるね』扶桑社、2021)

 

 おはようございます。引用していたら誤植を発見しました。上記の文章には、形容動詞の「に」が抜けているところがあります。意図的なものでしょうか。初版本なので単なるミスだとは思いますが、もしかしたら「細かい親は子どもを不幸にする」というメッセージを伝えるために、わざと間違えているのかもしれません。誤植くらい気にするな、と。育児に ”手抜き” が必要なように、文章にも ”に抜き”が必要だ、と。さすが小学生にも人気のあるひろゆきさんです。6年生の子どもたちが「論破」なんて言葉を口にするのも、論破王ことひろゆきさんの影響でしょう。

 

 いい人間関係を大切しなさい。

 

 誤植があることで余計に心に残ります。あれは宮崎駿監督だったでしょうか。敢えて線を曲げて描くことで違和感を演出し、そのひっかかりをフックにして観客の心に働きかけるというようなことを何かのインタビューで語っていたようないないような。いずれにせよ、明日学校に行ったらクラスの子どもたちに改めて伝えようと思います。卒業まで残り半年。いい人間関係を大切にしなさい。

 

 ひろゆきさんも、そう言ってたよ。

 

 

 ひろゆき(西村博之)さんの『僕が親ならこう育てるね』を読みました。表紙に書かれている《親が頑張りすぎると子どもがバカになる!》という一文に惹かれての購入です。これって「担任ががんばればがんばるほど子どもは何もしなくなる」という話と同じだな。他にも「親」を「担任」と置き換えても通じる話がたくさん書かれていそうだな。ひろゆきさんも、そう言ってたよって、子どもたちに伝えたら興味をもちそうだな。よし、

 

 買おう。

 

 目次は以下。

 

 はじめに
 第一章 頑張りすぎない親になる
 第二章 子どもの正しい勉強の向き合い方
 第三章 子どもとお金とインターネット
 第四章 日本のバカな学校&子育て環境
 あとがき

 はじめにの冒頭、有名なマシュマロ実験の話が出てきます。幼いときに我慢強かった子は、そうでなかった子に比べて、大人になったときに優秀である可能性が高い、という結果を世の中に敷衍させた実験です。自制心の大切さとセットで子どもたちにも伝えたことのあるこのエピソード。実は再検証が行われていて、3年前に《長期的成功の要因は自制心の強さではなく、親の年収》という元も子もない結果が出ているそうなんです。しまった。子どもたちに嘘を教えてしまった。理科の実験のときにでも「再現性の大切さ」とセットで子どもたちに伝え直そう。

 

 教育に正解はない。

 

 ひろゆきさんがこのマシュマロ実験の話で伝えたかったのは「教育に正解はない」ということです。だから「僕が親なら」というタイトルになっているというわけです。あとがきには《だから、本書に書いてあることが正解ではないとは思いますし、話半分に子育て、教育の参考にできるところがあれば拾ってもらえると嬉しいです》とあります。さすが論破王です。論破されないような構成になっている。以下、私が読者ならこう参考にするね、というところを各章からひとつずつ紹介します。

 

第一章 頑張りすぎない親になる

 揉めごとを避けて自分の考えをきちんと相手に伝えずに黙っていると、伝え方を覚えることができません。自ら発言せずに相手が全部察してくれるのは、石油王の息子でもない限り無理です。

 

 日本の学校は「保護者に怒られないように」最適化してしまっています。角川ドワンゴ学園理事の川上量生さんがそう言っていたし、私もそう思います。だから揉めごとを嫌います。保護者への連絡が必要になってくるようなレベルの揉めごとは特に嫌います。トラブルは成長のチャンスです(!)と担任がいきったところで、たった一人でもそのようにとらえることのできない親がいると、そしてその親の子が揉めごとを起こしたりすると、もうアウトです。電話が長くなって定時退勤もできなくなります。そんなわけで、ひろゆきさんの『僕が親ならこう育てるね』が売れないと、担任はこれからも揉めごとの芽をせっせと摘み続け、石油王の息子を育て続けることになるでしょう。

 

第二章 子どもの正しい勉強の向き合い方

 ハーバード大学が75年以上かけて研究しているテーマに「幸せな人生を送る」というものがあります。その研究によれば「身近にいる人たちとの人間関係の質」が幸せかどうかに影響することが統計的に導き出されています。

 

 この文章の後に冒頭の引用が続きます。だから「いい人間関係を大切にしなさい」というわけです。幸福感に関しては、所得や学歴よりも「自己決定」が幸福度を上げるという、西村和雄さんと八木匡さんの研究結果(幸福感と自己決定―日本における実証研究)もよく知られています。子どもの幸せは「勉強しなさい」からは生まれない、子どもの「学ぶ方法」を決めつけてはいけない、ひろゆきさんの言うとおりです。学校もそろそろ一律一斉のトーク&チョークの授業をやめて、それから狭い教室に40人もの子どもたちを押し込めるのをやめて、異年齢かつ20人くらいの人間関係の中で自己決定を重ねていくイエナ・プランのようなシステムにしていかないと、ユネスコがいうところの「日本の子供の精神的幸福度は38か国中37位」(レポートカード16)なんて悲惨な現状からは抜け出せないと思うのですが、どうでしょうか。社会学者の宮台真司さんも言っているように「損得よりも正しさ、カネよりも愛」です。

 

 勉強はそれからだ。

 

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第三章 子どもとお金とインターネット

 大切なのは、親が見せたくないものを子どもが理解し、そうした情報に触れても動じない子どもに育てること。スマホでネットに触れる際のルールを教えて、それに従うことができるかどうか、子どもを見て判断していくしかないと思うのです。

 

 ここ数年で保護者に電話をしなければいけなくなった「揉めごと」は全てスマホとネット絡みです。ラインで友達と喧嘩をしてこじれた。フォートナイトで喧嘩をしてこじれた。保護者的には「学校の責任」だそうです。やれやれ。与えなきゃいいのに、なんてことを口にした日には、オブラートに包んで伝えたのにもかかわらず「家庭の方針に口を出さないでください」なんて切れられてしまいます。やれやれ。何を伝えるべきか伝えないべきか、親を見て判断していくしかありません。スマホに限らず、ゲームに限らず、お金に限らず、インターネットに限らず、それから揉めごとに限らず、ひろゆきさんが言うように《僕が親なら、インターネットを使っても大丈夫な子どもに教育します》が正解でしょう。教育に正解はないとはいえ、こればかりは正解のように思えます。スマホを使っても、ゲームをやっても、お金がなくても、揉めごとが起きても大丈夫な子ども、すなわち動じない子どもに育てるためにはどうすればいいのか。

 

 スマホはそれからだ。

 

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第四章 日本のバカな学校&子育て環境

 そもそも、子どもが「学校に行きたくない」と感じるのは普通です。だからこそ、学校へ通うのは「やりたくないことも、できるようになる」という目的のひとつになります。覚えたくないものを学習する方法や、その習慣を身につけることを学ぶのが学校の意義でもあるので、行かなくても大丈夫ってものでもないと、僕は考えます。

 

 ここに引用した文章の小見出しは「『学校に行かなくていい』論は絶対に聞いてはいけない」です。教育に正解はないというひろゆきさんが「絶対に」と強調するくらい、世間では「学校に行かなくていい論」が幅を利かせているのでしょう。行きたくなければ行かなくていい、マシュマロを食べたければ食べればいい、フォートナイトをしたければすればいい、だってあなたは石油王の息子なんだから。意味がよくわからない方には『僕が親ならこう育てるね』を買って読むことをお勧めします。

 

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 合わせて『1%の努力』と『なまけもの時間術』もお勧めします。どちらも「私が読者ならこう参考にするね」にたくさん出逢える本です。ちなみに『僕が親ならこう育てるね』の著者印税は《児童養護施設にパソコンを寄贈するための費用に充てる》そうです。

 

 さすがひろゆきさん。

 

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