田舎教師ときどき都会教師

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エーリッヒ・フロム 著『愛するということ』より。愛は技術です。習練を積みましょう。

 わが国では、「男女交際のマニュアル」の類が氾濫している。最近の男の子たちは、雑誌を読んで恋愛のテクニックをおぼえるのだそうだ。デートのときには女の子をどこへ連れていけばいいか、どこで食事すればいいか、何をプレゼントすればいいか、女の子がこういう顔をしていたらどうすればいいか、等々を、男の子たちは雑誌でまなぶのだという。たしかに、交際には技術がいる。だが、人を愛すること自体が技術なのだと考えている人はほとんどいないだろう。誰もが、交際の練習はしても、「愛の習練」を積もうなどとは考えない。その意味で、本書の主張は今もなお新鮮である。
(エーリッヒ・フロム『愛するということ』紀伊國屋書店、2020)

 

 こんばんは。今日はエーリッヒ・フロムの『愛するということ』より。訳者である鈴木晶さんのあとがきから引用しました。《たしかに、交際には技術がいる》というところを「たしかに、授業には技術がいる」と読み替えると、わが国では、

 

「学級づくりや授業づくりのハウツー」の類が氾濫している。

 

 職業柄、そう思えてきます。教員の誰もが、授業の練習はしても、長時間労働ゆえに「愛の習練」にあたることができていないように映るからです。その意味でも、フロムの『愛するということ』(原題は『愛の技術』The Art of Loving)の主張は今もなお新鮮です。では、

 

 教員にとっての「愛の習練」とは?

 

 

 エーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読みました。以前から「読まなければいけない」と思っていた古典です。まぁ、古典って、そういうものですよね。いつか読まなければいけない。サヨナライツカ。

 

 目次は以下。

 

 第一章 愛は技術か
 第二章 愛の理論
 第三章 愛と現代西洋社会におけるその崩壊
 第四章 愛の習練

 まず、愛は生きることと同じで技術であるというのが著者の主張であり、この本のベースとなる見方・考え方です。第一章にそのことが書かれています。愛は快感の一種などではなく、たまたま出逢って恋に落ちたというような運でもありません。

 

 愛は技術(Art)です。

 

 絵を描くとか、ピアノを弾くとか、そういったことと同じです。だから、理論に精通し、その習練に励むことによって、腕が上がり、上手に愛せるようになりますよというのがフロムのロジックです。教育技術という言葉を思い浮かべれば、納得できるのではないでしょうか。学級経営も授業も、腕がなければうまくいきません。

 第一章を受けて、第二章と第三章には理論とその現状が、そして第四章には習練のことが書かれています。

 

 生産的活動で得られる一体感は、人間どうしの一体感ではない。祝祭的な融合から得られる一体感は一時的である。集団への同調によって得られる一体感は偽りの一体感にすぎない。だから、いずれも、実存の問題に対する部分的な回答でしかない。完全な答えは、人間どうしの一体化、他者との融合、すなわち愛にある。

 

 第二章より。愛は人間の実存の問題に対する答えだというのがフロムの立脚点です。曰く《愛こそが、いかに生きるべきかという問いにたいする唯一の健全で満足のいく答え》云々。だからこそ自分にとっての究極の関心事として「愛するという技術」を学ばなければいけないというわけです。友愛にせよ、母性愛にせよ、恋愛にせよ、生きていく上で実存の問題を避けて通るわけにはいきませんから。

 

 愛 >>>>> 成功、名誉、富、権力

 

 愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。愛とは愛を生む力であり、愛せなければ愛を生むことはできない。そういった愛に関する理論がわかっているにもかかわらず、市場原理に基づく資本主義社会は、成功や名誉、富や権力に重きを置き、愛をダメにしてしまっているというのが第三章です。私とパートナーがギクシャクしているのも、私と思春期の娘二人がギクシャクしているのも、それから職員室の人間関係がしんどいのも、資本主義社会のせいかもしれません。

 では、どうすればいいのか。読者が最も興味を示すのはおそらく第四章です。マニュアル、あるいはハウツーに当たる処方箋的な内容がそこに書かれているのではないかと期待してしまうからです。私たちはどうやって愛の技術の習練を積めばいいのか。教員にとっての「愛の習練」とは何なのか。フロムのアドバイスは極めてシンプルです。医術であろうと、教育技術であろうと、愛の技術であろうと、

 

 まず、規律。
 次に、集中。
 そして、忍耐。
 最後に、関心。

 

 

 要するに、愛の技術や教育技術を磨くためには、類い希なる「意志の力」が必要ということです。定時退勤という規律を守る。勤務時間内に全集中で仕事をする。職員室の人間関係を耐え忍ぶ。教え子がつくりだす未来に関心を持ち続ける。そしてプライベートでも規律と集中、忍耐と関心を軸に自己研鑽に励む。意志の力で「ひとりでいられる能力」を獲得した人にのみ、愛する能力や教える能力の萌芽が芽生えるということでしょう。うん、難しい。なお、規律や集中、忍耐や関心に加えて、愛の習練には、ナルシシズムを克服して謙虚さと客観性と理性を育て、さらには「他人の可能性を信じる」ことも必要なようです。

 

 注文の多い料理店でしょうか。

 

 逃走も、やむなし。