田舎教師ときどき都会教師

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坂口恭平 著『継続するコツ』より。人からの評価はいらない。通知表もいらない。

 やりたいことを継続することは無茶苦茶難しくて、やりたくないことを継続することは惰性でできてしまう。

 何だか言葉で書いていると、そんなわけはないとみんなから言われそうですが、どうやら、こんな感じじゃないですか? 僕も書いてて、ちょっとびっくりしているくらいなんですけど、何でやりたくないことを継続することは惰性でできて、やりたいことを継続することは惰性でできないんでしょうか。これを考えるのは面白いのかもしれません。予想外に予想外のことが飛び出てきて、今、少し嬉しいです。これぞ書いていて楽しい瞬間です。
 なぜやりたいことは継続するのが難しいんでしょうね。
(坂口恭平『継続するコツ』祥伝社、2022)

 

 こんばんは。最近、学級づくりや授業づくりを惰性でしているような気がしていたので、継続のプロこと坂口恭平さんの《やりたくないことを継続することは惰性でできてしまう》という言葉を目にしたときにはハッとしました。もしかしたら学級づくりや授業づくりが「やりたいこと」ではなく「やりたくないこと」になっているのではないか。だから代休なしの土曜授業はイヤだとか、時間外労働を前提とした通知表の作成はイヤだとか、そういったネガティブなことばかり考えてしまうのではないか。

 

 なんてことは、まるでない。

 

 やりたいことがやりたくないことに変わってしまうくらいひどい労働環境だからこそ、次世代のためにも自世代のためにも何とかしたいというのが正直なところです。換言すれば、学級づくりや授業づくりをやりたいように継続できる環境をつくっていきたいということ。坂口さんが言うように、私も《生きている時間を、ただひたすら自分がやりたいことだけで埋めて》いくことこそが幸福だと思うからです。

 

 先生が幸せなら、子どもたちも幸せ。

 

 

 坂口恭平さんの『継続するコツ』を読みました。本を書いたり、絵を描いたり、歌をうたったり、その他もろもろのことを長きにわたって続けている著者による、語り下ろし調のユニークな「継続」本です。「はじめに」と「僕について」に続く目次は以下。

 

 第1章 人からの評価はいらない
 第2章 作りたいのに、作れない
 第3章 とにかく定量を死ぬまで継続。これこそが人生・・・・・・?
 第4章 生きている時間を、ただひたすら自分がやりたいことだけで埋めていく
 第5章 続けていると、予測ができる
 第6章 どうやって生活を作り上げるか
 終 章 いつまでビビっとるんじゃい!

 継続するコツについて書かれた本なのに、読み始めると、どうやら「幸せになるコツ」について書かれた本でもあるなって、すぐに気がつきます。

 

 一冊で二度おいしい。

 

 幸せとは何か?

 

 これは生きている全ての人間が気にしている命題だと思うのですが、僕なら「幸せとは、自分が興味のあることを今も継続できていることである」と言うでしょう。
 継続は人との比較を無効化します。継続は自分が好きなことをまたもう少しだけ好きになること、興味があることへの興味を、またもう少しだけ広げることにつながります。

 

「はじめに」にそう書かれているんですよね。やりたいことや興味のあることを継続するコツさえわかれば、幸せになれるということです。俄然、第1章以降の展開が楽しみになります。で、そのコツはといえば、終章に至るまでに種々書かれてはいるものの、第1章のタイトルになっている、

 

 人からの評価はいらない。

 

 ということに尽きるように思います。私にはそのように読めました。坂口さんは、評価の暴力性に気づいているんですよね。浮き沈みのある評価こそが継続の最大の敵である、と。幸福の最大の敵である、と。だから「才能がない」という評価や、「お金にならない」という評価なんて気にしなくていい。そんなことで継続や幸福を諦めなくていい。ついでにいえば、自己否定や他者否定につながるような比較もしなくていい。評価も比較もシャットアウトして、貧乏だろうと何だろうと、

 

 継続という行為自体を楽しめばいい。

 

 小さな子どものように、そして坂口さんのように、です。小さな子どもは評価されることを求めて絵を描いているわけではありません。ただ単に描くのがおもしろいから画用紙にクレヨンを走らせているだけです。それなのに、小学校に入学した途端、図工BBB(知識・技能、思考・判断・表現、主体的に学習に取り組む態度)などと評価されちゃったりするから、あれ、僕の絵はBなんだ、Aじゃないんだ、〇〇さんはオールAだから、〇〇さんの絵の方がうまいんだ、などと思わされてしまって、絵を描くということが「やりたいこと」ではなく「やりたくないこと」に格下げされてしまうんです。しかも、もしかしたらそのBは、隣のクラスとAの数を揃えるという、大人側のくだらない理由でA→Bになっているかもしれないのに。

 

 

 小学生のときから評価や比較にさらされ続けていると、もしかしたら好奇心もやりたいことも継続する力もなくなってしまうかもしれない。評価に関する会議をするのであれば、そういったことも考え・議論すべきでしょう。そもそも通知表って必要なんですか、と。子どもたちにABCなんてつけているから、継続云々の前に、やりたいことすらわからない、エーリヒ・フロムいうところの「自由からの逃走」にあてはまるような大人が大量生産されちゃっているんですよ、と。坂口さんも《しかし現状では、かなり強い恐怖心が幼少の頃からしっかりと根付いているので、やりたいことを見出す時間がほとんどないように思えてなりません》と書いています。恐怖心 ≒ 評価や比較、です。だから繰り返します。人からの評価はいらない。

 

 通知表もいらない。

 

www.countryteacher.tokyo

 

下手なら下手でいいんです。馬鹿にされてもいいんです。それよりも、のびのび生きていくことが重要なんです。

 

 馬鹿にされてもいい ≒ 人からの評価はいらない。継続するコツは、幸せになるコツは、念のためにもう一度繰り返しますが、これです。通知表の所見にも、こういったことを書きたい。CならCでいいんです。馬鹿にされてもいいんです。それよりも、

 

 のびのび生きていくことが重要なんです。

 

 って。