田舎教師ときどき都会教師

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磯﨑憲一郎 著『日本蒙昧前史』より。我々は滅びゆく国に生きている。

こういう面白い事件、後の時代であればぜったいに起こり得ない、人に語って聞かせたくなるような事件がじっさいに起こった分だけ、やはり当時の世の中はまだまともだった、そう思いたくもなってしまう、核エネルギーの平和利用は可能であると主張し、交通事故死の急増も繁栄のためには免れ得ない犠牲と諦めていた。有機水銀化合物ををそのまま海に垂れ流しても希薄化されるのでさしたる問題はないと信じ込むほど、我々はじゅうぶんに無知で、蒙昧ではあったが、自分たちの理解を超える事象に対してまで恥ずかし気もなく知ったか振りをするほどは、傲慢ではなかったということなのか?
(磯﨑憲一郎『日本蒙昧前史』文春文庫、2023)

 

 こんにちは。こういう面白い事件というのは「アイジャック事件」のことです。目玉男と聞けば思い出すのではないでしょうか。1970年に開催された大阪万博、正式名称日本万国博覧会で起きた、ハイジャックならぬアイジャック、すなわち太陽の塔の目の部分に男が立て籠もった事件。

 

 え、知らない?

 

 私も知りませんでした。蒙昧というか、まだ生まれていなかったというか、とにかく「日本蒙昧前史」の勉強(?)をして初めて知りました。ちなみに「日本蒙昧前史」の存在を教えてくれたのは本猿さんです。正月に更新したバケットリスト(死ぬまでに実現させたいことをまとめた一覧)に「本猿さんに会って本の読み方や選び方などを教えてもらう」と書いたので、そして「会おうと思えばいつでも会えると思える人には絶対に会えない」って常々思っているので、

 

 会えますように。

 

honzaru.hatenablog.com

 

 あの時代に確かにあった、あんなこと、こんなこと。具体的にはロッキード事件やグリコ・森永事件、三島由紀夫の自決や日本初の五つ子誕生など、私が生まれる前後に起きた《人に語って聞かせたくなるような事件》です。クラスの子どもたちにも語って聞かせたくなりました。日本がまだ、

 

 まともだった時代のこと。

 

 

 磯﨑憲一郎さんの『日本蒙昧前史』を読みました。第56回谷崎潤一郎賞受賞作。1965年から1985年までの20年間に起きた《人に語って聞かせたくなるような事件》に立ち会った人々の視点を巧みにつないで、学校でいうところの教科横断的に、すなわち事件横断的に往事の様子を描いた長篇小説です。繰り返しますが、子どもたちにも語って聞かせたい。

 

 例えば、日本初の五つ子誕生のこと。

 

 1976年のこのニュースを5年生の理科の単元「人のたんじょう」の学習に生かさない手はありません。子どもたちの興味・関心のスイッチが入ること間違いなし。双子が生まれる頻度は80回に1回、三つ子は6400回に1回、四つ子は512000回に1回、では五つ子は?

 

 40960000回に1回。

 

 3年生の算数の単元「大きい数のしくみ」の復習にもなるかもしれません。五つ子の父親の《それにしてもじつの我が子の成長を、新聞の三面記事を通して知るなどということが現実にあってよいものだろうか?》という疑問や《しかしじっさいのところ、これから何年にも亘って、五つ子の両親を苦しめることになるのは、子供たちの健康上の不安でも、教育費や食費などの経済的負担の重さでもなく、マスコミによる執拗なまでの取材攻勢なのだ》という苦悩を紹介すれば、5年生の社会の小単元「情報産業とわたしたちのくらし」の学習にもなります。ちなみに父親は東大卒のNHKの職員です。マスコミの人間がマスコミに苦悩するというこの構図も興味深いのではないでしょうか。もちろん、道徳の「家族愛」もいけます。

 

今後20年間、自分たちのことは全て後回しにしよう、体力と気力の限りを尽くし、二人で節制と妥協を重ねて貯蓄をして、この家で子育てに専念するしかない、両親は覚悟を固めた。

 

 これぞ「家族愛」です。とても真似できません。仁、義子、礼、智子、信子。儒教が説く五つの徳目である五常から取って付けられたという五つ子ちゃんの名前もまさに「道徳」で、よい。

 

 それから、横井庄一さんのこと。

 

 終戦を知らないまま、グアム島に28年間も潜伏していた元日本兵が発見されたという、1972年のこのニュースを、6年生の社会の単元「長く続いた戦争と人々のくらし」の学習に生かさない手はありません。子どもたちの興味・関心のスイッチが入ること間違いなし。元日本兵の横井庄一さんが28年ぶりに日本に戻ってきたときに記者会見で口にした有名な発言とは?

 

 恥ずかしながら帰って参りました。

 

 この言葉はその年の流行語になったそうです。子どもたちに「このときの横井さんの気持ちは?」と聞くのも、国語と社会と道徳の合科学習みたいでいいかもしれません。一躍ときの人となった横井さんは、その後結婚し、なんと、選挙にも立候補します。なぜ横井さんは政治家になろうと思ったのか。28年ぶりに帰ってきた母国が、

 

 滅びつつあることを感じたからでしょう。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 しかし、そんな時代であっても、後の時代に比べればまだまともだった、不愉快な思いに苛まれずに済んだ、そう思えてならないのは、けっきょくこの国は悪くなり続けている、歴史上現れては消えた無数の国家と同様に、滅びつつあるからなのだろう、いかなる国家も、愚かで、強欲で、場当たり主義的な人間の集まりである限り、衰退し滅亡する宿命からは逃れられない、我々は滅びゆく国に生きている、そしていつでも我々は、その渦中にあるときには何が起こっているかを知らず、過ぎ去った後になって初めてその出来事の意味を知る、ならば未来ではなく過去のどこかの一点に、じつはそのときこそが儚く短い歴史の、かりそめの頂点だったのかもしれない、奇跡のような閃光を放った瞬間も見つかるはずなのだ、それはわずかに半年余り、百八十三日間だけ我々の前に姿を現し、その後は朽ちていく醜態など晒すことなく、ただ一つの建造物を除いて、後腐れなく取り壊され、潔く元の更地へと戻った。

 

 畠山理仁さんいうところの「無頼系独立候補」だった横井さんが衆議院選挙に立候補し、落選したのが1974年。目玉男が太陽の塔に籠城したのが1970年。著者の磯﨑さんが「どこかの一点」「かりそめの頂点」と表現したのがその1970年の大阪万博です。

 

 以来、日本は悪くなり続けている。

 

 この見方・考え方について、みなさんはどう思いますか。5年生の国語の単元「事例と意見の関係をおさえて読み、考えたことを伝え合おう」に出てくる教材文のタイトルは「想像力のスイッチを入れよう」です。想像力のスイッチを入れるために、日本蒙昧前史を読もう。

 

 そして考えたことを伝え合おう。

 

 本猿さん、ぜひ。