田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『ニッポンを読み解く!』より。戦後50年は金属疲労を起こしはじめた時間。では、その次の50年は?

⚪先日、あるテレビ番組で東京HIV訴訟原告団の川田龍平君といっしょになった。番組終了後、彼と雑談していたら、「いま、『日本/権力構造の謎』を読んでいるところなんです」と言うのです。つまり、ウォルフレンさんのいう日本的な〈システム〉、この場合は厚生省とか製薬会社といったものですが、そういった日本的システムにぶつかった人間は、ぶつかってみて初めて ”謎” の存在に気づく。でも、ぶつかったことのない人間にはそれが見えない。
⚫今回の薬害エイズ問題に関していうなら、菅直人厚生大臣の決断は、将来、この出来事を振り返ってみたとき、「大きな前進だった」と評価されると思います。大臣が公権を使って、それまでまったく情報を提出する気持ちのなかった役人たちに「情報を公開せよ」と命じた。
(猪瀬直樹『ニッポンを読み解く!』小学館、1996)

 

 こんばんは。注文していた猪瀬直樹さんの『ニッポンを読み解く!』が自宅に届いたのですぐに目次に目を通したところ「第10章」に「 カレル・ヴァン・ウォルフレン(ジャーナリスト)との対話」とあるのが目に留まってカレル・ヴァン・ウォルフレンのことは学生のときに『日本/権力構造の謎』を読んで知っていたので「おっ」と思ってプロローグも読まずに「第10章」を開いたところ冒頭に《先日、あるテレビ番組で東京HIV訴訟原告団の川田龍平君といっしょになった》と書かれていて再びの、

 

 おっ。

 

 面識はないものの、川田龍平君は中学校の先輩なんですよね。著書(『川田龍平 いのちを語る』)によると、国との闘いの中で「HIV感染は不幸なことだけど、たくさんの人に出会えたのはしあわせだ」と語っていた先輩が、40代の後半になった今もいのちを落とすことなく活躍していて、

 

 ほっ。

 

 それにしても、28年後に二人とも参議院議員になっているなんて、維新の猪瀬さんも、立憲の川田さんも、雑談をしているときには想像もしていなかったことでしょう。空虚な中心(by 猪瀬さん)、あるいは先端のないピラミッド(by ウォルフレン)と呼ばれる「日本的システム」を何とかすべく、親子ほどの年の差のある二人が党派を超えて共闘するなんてことがあったら、将来、その出来事を振り返ってみたとき、「大きな前進だった」と評価されると思うのですが、

 

 どうでしょうか。

 

 

 猪瀬直樹さんの『ニッポンを読み解く!』を読みました。猪瀬さんの「凄さ」がダイレクトに伝わってくる対話集です。X(旧Twitter)等で猪瀬さんにくだらないリプを飛ばしている人たちにはぜひこの本を読んで内省してほしい。

 

 たまげますから。

 

 

 対話の相手は10人。日本人は一人もいません。チャルマーズ・ジョンソン(日本政策研究所長)に始まり、マイケル・ブレーカー(ハーヴァード大学教授)、キャロル・グラック(コロンビア大学教授)、デーヴィッド・タイタス(ウェズリアン大学教授)、ジェラルド・カーティス(コロンビア大学教授)、ジョン・ネイスン(カリフォルニア大学教授)、ジョン・ギレスピー(コンサルタント)、ピーター・グリーリ(プロデューサー)、ハルミ・ベフ(スタンフォード大学教授)、そしてカレル・ヴァン・ウォルフレン(ジャーナリスト)と、これだけでもう、

 

 たまげます。

 

 こういった知識人と主体的・対話的に深く話し合える現役の政治家って、猪瀬さん以外にどれぐらいいるのでしょうか。話題も《アジア安全保障は「軍備」ではなく「市場開放」が鍵だ》といったものから《三島由紀夫作品と大江健三郎作品の英訳で私が味わった60年代日本文学の夢と苦渋》や《昭和20年代、貧しかった日本の青年たちは必死に海外情報を漁り、留学の機会を探った》といったものまで、記念碑的に多岐にわたっていて、ホントおもしろい。

 

 例えば、これ。

 

⚫でも、三島さんに自分の気持ちを素直に言い出す勇気がなくて・・・・・・。しかも、ちょうど同じころ、私は大江さんの『個人的な体験』(64年8月刊)に深く感銘しまして、翻訳するならこの作品しかないと心に決めていたんです。
⚪結局、『絹と明察』を断わって『個人的な体験』を翻訳するわけですが、三島さんには、いつ、謝りに行ったんですか。
⚫例の口約束から半年後ぐらい。
⚪怒りましたか。
⚫ええ、それはもう。

 

 三島由紀夫の『午後の曳航』や、大江健三郎の『個人的な体験』の英訳を手がけたジョン・ネイスン(1940-)との対話より。⚪が猪瀬さんで、⚫がネイスンです。三島や大江が好きな人にとっては「その前後も読みたい」と思う内容なのではないでしょうか。ぜひ購入して読んでみてください。特に、大江のノーベル賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」の「あいまいな」をめぐる猪瀬さんの考察は、それこそノーベル賞級です。

 

 例えばこれも。

 

⚪ところで、僕は『欲望のメディア』という、戦後日本の放送文化の黎明期を描いた作品の取材で、かつてCIE(GHQの民間情報教育局)に勤務されていたグリーリさんのお父さまにお会いしたことがあるんですよ。
⚫ええ、父から聞いています。父はイタリアからの移民の息子で、名前はマーチェロ・グリーリ。コロンビア大学を卒業後、シヴィリアン(従軍民間人)としてワシントンで働いていましたが、第二次世界大戦が終わると同時に進駐軍付のシヴィリアンとして日本へ行く道を選んだ。

 

 5歳から17歳まで東京で育ったという、ピーター・グリーリ(1942-)との対話より。グリーリも、グリーリの父も昔の日本人のことをよく知っていて、グリーリの父曰く《あのころの日本人は、ビジネスマンだろうが知識人だろうが、その後の日本社会からは信じられないぐらいオープンだった》云々。そしてグリーリ曰く《当時の日本は貧乏でしたが、一生懸命に「積もり貯金」をしてお金を溜め、新聞、雑誌、教育情報誌をあさって、海外視察や留学のチャンスをつかもうと努力したものです。いまの日本の若者たちは金銭面では確かに幸せかもしれませんが、好奇心、向学心が欠如している》云々。つまり、

 

 日本はどんどんダメになっている。

 

 教育もその原因のひとつであることは間違いありません。前回のブログで取り上げた磯﨑憲一郎さんの『日本蒙昧前史』にも《我々は滅びゆく国に生きている》って、似たようなことが書いてありました。猪瀬さんはそれを、プロローグの冒頭で次のように表現しています。

 

 戦後50年とは何だろうか。
 僕はこんなふうな捉え方をしている。昭和20年夏を起点としてあらゆる制度が完成し、そして金属疲労を起こしはじめた時間――。

 

 戦後50年が金属疲労を起こしはじめた時間だとすると、次の50年は金属破壊が進んだ時間となるのでしょうか。10年後、20年後の人たちにそんなふうな捉え方をされないよう、故・石原慎太郎は、亡くなる直前、猪瀬さんにこう頼んだそうです。

 

 猪瀬さん、日本を頼む。

 

 おやすみなさい。